コーヒーゼリー

谷内 朋

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内省編

ー25ー

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 『ぼくのおとうと、しょうかいするよ』
 初めて波那と津田が出会ったのは通っていた幼稚園の遊び場だった。当時五歳の時生少年が入園式以来半月ほど空けて弟の登園に付き添っていた時だった。
 『波那っていうんだ。にゅうえんしてはじめてきたんだけど、はいるのいやがってぼくからはなれようとしないんだ』
 波那と言う名の男の子は、時生少年の手を握り締めて今にも泣きそうな顔をしている。子供の頃から大きかった津田少年から見た波那少年はとてつもなく小さく映っていた。
 幼馴染みで同い年の時生少年宅と彼の家とは子供の足でも二??三分もあれば辿り着けるほどのご近所さんなのに、これまで一度も見た事の無いとても可愛い男の子だった。
 『おれ津田総一郎っていうんだ、波那くんっていまなんさい?』
 彼は可愛い波那少年に興味を示して話し掛ける。しかし初めて見る相手を怖がってしまい、兄の後ろに隠れて怯えている。
 『さんさい、ってちゃんといいな。……ごめんな、こいつにゅういんばっかりしてるからそとのひとになれてないんだよ』
 『さんさいなのか。ねんしょうぐみなら麗未ちゃんいなかった?』
 『うん、麗未とはふたごなんだ。でもじぶんのおあそびにむちゅうになっちゃってるから……せんせいにおゆるしもらってくる』
 時生少年は弟を連れて職員室に入っていく。この日は先生の許可をもらって初めての幼稚園生活を過ごした波那少年は、女の子たちに可愛がられてお飯事を覚えたのだった。それを機に彼は幼稚園に馴染み始め、女の子よりも女の子みたいな男の子と親しくなるにつれ、津田少年はいつしか恋心を抱くようになる。

 そんなある日、彼は時生少年を含めた近所の子たちと原っぱで遊んでいた。この日は外出許可の下りた波那少年もやって来ていて、女の子たちとお絵描きをしていた。この時男の子たちは鬼ごっこをしていて、早々に捕まり時間をもて余していた津田少年は休憩がてら波那少年に声を掛けた。
 『波那ちゃん、なにかいてるの?』
 すると嬉しそうに、おかあさん!と言って笑顔を見せる。
 『おかあさん、だいすきなんだ』
 『うん!ぼくおかあさんになりたいんだ』
 えっ?津田少年は四歳になったばかりの波那少年に男の子はお母さんになれない事を教えるべきかどうか言葉が詰まる。母親から結構な重病らしいと聞かされていたので、どれだけ生きられるか分からない小さな男の子の夢を摘むの良くない。と六歳の男の子なりに一生懸命夢が叶う方法を考えていた。
 『波那ちゃん、おれのことすき?』
 『うん、だいすきっ♪』
 波那少年の言う『すき』は津田少年の言うそれとは明らかに違っていたが、当時の彼にはそんな事どうでも良かった。
 『それじゃあおおきくなったらおれのおよめさんになって』
 波那少年へのプロポーズが彼なりに考えた答えだった。
 『およめさんってなあに?』
 『おかあさんになるまえにすきなひととけっこんしてなるものなんだ。おかあさんになるってすごくむずかしくてね、おとなになってからでないとなれないんだよ』
 その言葉に波那少年の表情が曇る。子供ながらに自身の病気の重さを知っているのだろう。
 『ぼく、おとなになれるのかな……?』
 『なれるよ。“おかあさんにしてください”ってかみさまにおいのりしよう』
 おれもいっしょにおいのりするから。二人は手を合わせて一生懸命お祈りする。
 『……総ちゃん、これでおかあさんになれる?』
 『うん。でもかみさまはとってもいそがしいから、ときどきはおいのりしたほうがいいよ。それと、このことはないしょにしておかないとこうかがなくなっちゃうんだ』
 やくそく。二人は指切りげんまんして二人だけの秘密を共有する。しかし大人になってから分かったのだが、この出来事の一部始終を時生少年に見られていたのだった。

 「……ときのせいだ」
 波那と別れて自宅に戻っていた津田は、何もする気が起こらなくてベッドに寝転んでいたところ、すっかり眠ってしまって辺りは暗くなっている。
 こんな夢久し振りに見たな。そんな事を考えながら窓の外を見る。そう言えば中学に上がる頃まではお祈りしてたっけ……。そう思いながら窓を開けて外に出ると思いの外空気が冷たくて、寒っ!と声に出してしまう。
 波那ちゃん今でもやってんのかねぇ?しばらくそんな事を考えていたが、寒さに耐え切れず中に入る。
 暇だ。テレビを点けてニュース番組を観ていたのだが、今や毎日の様に報道されている殺人事件や詐欺事件に辟易して電源を切る。
 今度は誰かと話したくなってきた。彼は傍にあったケータイを掴み、おもむろに電話帳登録されている相手を一人選んで通話ボタンを押す。何度かの呼び出し音の後、男性の声で、はい。と反応があった。
 「よぉ、今話せるか?」
 『無理。仕事中だから』
 通話の相手は毛利だった。
 「バーのか?」
 『病院。棚卸なんだ』
 「そうか……終わったらワン切りしてくんないか?」
 『それは構わないけど何時になるか分かんないよ』
 「良いよ、何時になっても」
 『分かった。じゃ、後ほど』
 ひとまずそれで通話を切り、再び暇になってしまう。津田はこのまま寝転んでいても、と体を起こし、タンスから着替えを取り出して部屋を出た。

 同じ頃、波那は自宅の個人部屋に篭って小さなウサギのぬいぐるみを触っていた。それは色も褪せて薄汚れており、長姉千景が中学生の時に麗未と色違いで作ってくれた物であった。例え古くなっても彼にとっては大切な御守りとしてまだまだ現役の代物である。
 「久し振りに洗おうかなぁ……」
 独り言を言いながらウサギを触っていると、テーブルの上にあるケータイがブルブルと震え出す。
 『そちらのお天気はどうですか?こちらは快晴、おうし座流星群が綺麗に見えています』
 千郷からのメールだった。彼とはあの日以来ぽつぽつとやり取りをする様になり、今は良好な関係を築きつつあった。波那はそのメールに誘われて窓を開ける。外の空気はひんやりとしていてベッドの上にある毛布を体に巻き付ける。
 この街の夜空も快晴だったが、住宅の灯りがそこかしこに灯っていて、星空を楽しむには少々明るすぎた。波那はその事をメールで伝え、寒いながらも星空を眺めていた。
 そう言えば流れ星が流れた瞬間に合わせて三回願い事を唱えると叶う、とか言ってたっけ……彼は都会の夜空を見ていると、一本の白い光がすっと横切った。
 あっ願い事……!しかしこんな時は何を願おうかなど考えておらず、結局言いそびれてしまった。もう少し見ていよう。少々欲張ってしまった波那の元に流れ星は現れず、体も冷えてきたので願っている間に流れてくれたら。とウサギを手に合掌してとっさに思い付いた事を呟いた。
 「僕をお母さんにしてください……」

 休日、自宅で家事仕事をしていた波那の元に一通のメールが届く。
 『小泉波那様
  先程あなた様を気に入られた方から仲介のご依頼がございました。ただ、新サービスをご利用の男性なのですが、……』
 その内容に波那は、えっ!?と声に出してしまう。新サービスってアレだよね?少し前に受信した相談所からのメール内容を思い出す。無下にするのも、と渋々ではあったが話だけでも聞こうと訪ねてみると、応対したのは初めて見る男装女性だった。波那よりも背が高くてスーツがよく似合う彼女に少々惹かれつつも、まずは事の経緯を訊ねてみた。
 「昨日会員登録された二十六歳の男性なんです。このケースの成功例は今のところございませんが」
 「だと思います。ただ一度位はお会いしても良いかな、って思っているんです……」
 その言葉に男装美女はホッとした表情を見せる。
 「その方相当あなた様の事を気に入られた様でして。『お逢いできるまで粘る』と随分張り切っておられました」
 そうですか…….波那は一度会ってみる事にし、相談員に仲介をお願いしてこの日はそれで帰る事にした。

 「そう言えば波那ちゃん、婚活進んでる?今年に入ってその話聞かないけど」
 この日は小田原と二人屋上でお弁当を広げていた波那は、婚活の話題に触れられて少し慌てている。
 「えぇ、まぁ……一時期恋人が居たので……」
 「それってもしかして畠中君?」
 「ちっ違いますっ!別の方ですっ」
 波那は胸元で両手を振って顔を赤くしている。
 「どうしてそんなにアタフタしてんの?」
 「小田原さんこそ、どうしてそこで畠中さんの名前が出てくるんです?」
 「まぁ何となく。告白劇で済んだとは思ってないからね」
 「あれ以来何もありません……」
 一旦はそう言ったのだが、後ろめたさからふっと下を向いて表情を暗くしてしまう。小田原はそんな様子をじっと見つめている。
 「波那ちゃん?」
 「……ごめんなさい。何も無い、と言うのは嘘です」
 「そう、やっぱりね」
 えっ?波那は顔を上げて小田原を見る。
 「あっいえ、その、お付き合いしてたとかではないんですが……」
 いくら信用している相手とは言え、さすがに浮気だったとは言えず一人忙しくワタワタしている。
 「相変わらず君は嘘が下手だね。二人して良くも悪くも分かり易いんだから」
 小田原に見透かされていたのが恥ずかしくなった波那は、頬をピンクに染めて再び下を向く。
 「ほんの一時だけ、彼を好きだった時期がありました。でも肝心なところで僕が逃げてしまったんです」
 「畠中君の心の悲鳴が辛くなったんでしょ?彼には大きな傷があるみたいだからね。並大抵の覚悟じゃ取り扱えないのかも知れないね」
 「僕にそこまでの事は……」
 波那はほとんど手を付けていないお弁当に箸を入れ、里芋の煮付けを口に入れて言葉を飲み込む。
 秘密裏とは言っても交際をしていたはずなのに、対話は少なかった様に思う。体を重ね合わせているだけで彼の隠し持っている痛みが伝わってしまい、真っ暗な迷路に入り込む感覚に何度も襲われていた。畠中は何度も話し掛けてくれていたのに、その場所が見付けられず怖くなっては逃げ帰る、を繰り返していた。本当は心から繋がっていたい、しかし暗く足の付かない闇の中に入る事に疲れてしまい、その時は中林に甘える選択をしたのだった。
 「卵焼き一つ貰うね」
 小田原はそれ以上の深入りをせず、綺麗に仕上がっている卵焼きを箸でつまむ。それを口の中に放り込んで美味しそうに噛みしめる。
 「美味いね、更に腕上げてる」
 「ありがとうございます。何があっても台所に立つのが一番好きですから」
 「そこが変わってなくて安心したよ。はい、卵焼きのお礼」
 小田原はさやいんげんの肉巻きをチョイスして波那のお弁当箱の中に入れる。ありがとうございます。それを早速頂くと、美味しく仕上がっているのだが彼の味付けとは違っていた。
 「美味しいです、夏海さんが作られたんですか?」
 「さすが、僕じゃないのは判るんだね。実は綾が作ったんだ」
 綾ちゃんが?波那はそれを聞いてびっくりする。彼女は幼少期の心の傷が元で軽度の味覚障害があり、料理を作っても味が分からない、と言っていたからだった。
 「最近自炊する様になったんだ。味覚もマシになってきてる、って言ってる。今では僕らにも料理を振る舞ってくれるんだ」
 例え成人していても、父として娘の成長が見えるのは嬉しい様子だった。
 「良かったですね、僕も久し振りに会いたいです」
 「そうしてやって。大学の校舎の建て替えで先月から家に戻ってきてるんだ。今通ってる仮設校舎が家から通う方が近いんだって」
 小田原は家族団らんが久し振りに出来ている事が嬉しい様で、二人は綾の話を肴にお弁当を平らげた。
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