コーヒーゼリー

谷内 朋

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内省編

ー24ー

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 「ところで一つ聞いても良いかな?」
 この日畠中は小田原と一緒に外回りをしており、出先のレストランで昼食を摂っていた。ほぼ食事を終えたタイミングで声を掛けられ、顔を上げて上司を見る。
 「バーベキュー最後の夜、正確には卓球温泉の後なんだけど。波那ちゃんとの間に何があったの?」
 小田原は畠中から視線を逸らさない。ここで逸らしたら負けだ……、彼もまた負けじと凝視している。
 「あの時、たった一晩で別人みたいに雰囲気変わってたからね。例えて言うなら蛹から蝶に変わった感じかな?」
 そうですか……。まるで他人事の様な返事をして上司の反応を伺う。
 「君同室だったはずだから何か知ってると思って。まぁ込み入った話だろうからベラベラ喋るのもどうかと思うけどね」
 彼は部下を見て笑う。
 「一時期の彼、これまで見た事が無い位に綺麗だったからね。今は元に戻ってるけど、あの時の妖艶さはノンケの僕でも惑わされそうだったよ。お陰で常務が心配しちゃって……」
 「……」
 親きょうだいが心配するならまだしもなぜ役員が?その疑問はすぐに解決した。
 「常務、息子さんを一人亡くされてるんだ、波那ちゃんと同じ病気でね。それで御家族皆さんが彼にただならぬ縁を感じたそうなんだ。八歳で亡くなられた、って聞いてるよ」
 畠中は十二歳で亡くなった初恋の女の子の事を思い出していた。細かいところは違っていたが、常務が波那に肩入れしてしまう気持ちは理解出来た。
 「でもそれは波……小泉さんという人間をきちんと見ていると言えるのでしょうか?俺も人の事は言えませんが、時々そんな疑問が頭をよぎる事があるんです」
 「なら聞くけど、その方の持っていた物を身に付けて欲しいと思う?そう願ったりそれを強要してるのなら君の疑問ももっともなんだけど。波那ちゃんは波那ちゃん、そこは二人共ブレてないと思うよ」
 「そうですね、似せて欲しいとは思いませんから」
 畠中は波那とその女の子を思い比べる。確かに二人は似ていたが、彼女の様になって欲しいとは思わないし彼女の代役にする気など全く無い。常務も多少思うところがあるだけで、亡くなった息子の代役にしているつもりなど無いだろう。
 「で、君いつから波那ちゃんを下の名前で呼ぶようになったの?」
 えっ!?言い直したのをちゃっかり聞かれていた様で、罰悪そうな顔をして言葉に詰まってしまう。
 「よっ呼んだ事ありません!」
 「そこはとぼけなくて良いでしょ?本当は年明けの火事辺りから何かあったんでしょ?ついでに言うと課を代表した振りして自宅まで見舞いに行った事、あるんでしょ?」
 「あんた俺の後でも付けてんのか!?」
 畠中は自身で墓穴を掘ってしまい、あっ!と口をつぐむ。見事に引っ掛かったのが面白かったのか、小田原は珍しく声を立てて笑い出した。
 「ハハハッ!畠中君って面白いね。普段格好付けてるから余計に滑稽で……」
 あ??可笑しい。彼は俳優ばりの顔を持つ部下を面白そうに見る。
 「そこまで笑う事ですか?」
 「そりゃそうだよ、入社当時は動く蝋人形みたいだったからね。それが一年と少し経って君は成長したよ、スタンドプレーも減ったし、同僚との対話もきちんとする様になった。やっぱり凄いよ、波那ちゃんマジックは」
 僕もその一人だからね。その言葉が畠中には意外だった。
 「俺むしろ逆だと思ってました。どこかあなたを目指してるフシがあったんで」
 「彼はそう言ってくれるけどね。実は僕不倫してた時期があってね、今の妻となんだけど。娘も彼女に懐いて息子も誕生して家庭の方が割と円満だっただけに、風評被害?大袈裟に言うと。それに参っちゃってた時期でまぁちょっと腐ってたんだ」
 多分理解を求めようとしてたからだと思う。小田原はこれまで見せてこなかった過去を話し始める。
 「そんな時に波那ちゃんが一課から当時僕が居た秘書課に異動してきてね。その頃彼は彼で仕事のハードさに付いて行けなかったみたいで、一度退職届出した事あるんだよ。松村課長とは当時から一緒に仕事してたから彼だけは必死に引き留めてたんだけど、それでも風当たりはキツかったみたい。
  体が弱いから初めから一般職で入社してるのに、男の子だからって理由で外回りさせて。営業成績は悪くなかったそうだけど、途中で倒れては病院に運ばれて。の繰り返しだったんだって」
 それで迷惑がられてた、って課長が言ってた。小田原はお茶を飲んで一息吐く。
 「じゃあ波那も腐ってたんですか?」
 「それが全然。彼いつも穏やかでほとんど笑顔を絶やさなかったよ、あんなに若いのにメンタル強くてね。多分生死をさまよう事態を経験してるからかも知れないけど、当然の僕には菩薩にしか見えなかったよ。
  それから少しして波那ちゃんを自宅に招いて家族を紹介したんだ。当時は娘も同居してて息子もまだ小さくてね、家族とも仲良くなって。帰り際に素敵な御家族ですね、って。噂でしか知らないけど、今の方が幸せなんですよね?って言ってくれたんだ。その一言で吹っ切れたよ」
 「俺も良い御家庭だと思います」
 畠中も彼の家族との交流を通して感じた事を正直に言った。ありがとう。小田原は畠中を見て、で、だ。と話題を変える。
 「これはあくまで僕個人の見立てなんだけど、波那ちゃんと君、運命付けられている出逢いの様な気がするんだ。一生のうちに一人くらいの確率でしか出逢わない人」
 「そんなの誰にでも居るんじゃないんすか?」
 「これがそうでも無いんだよ。出会わない人も珍しくなくて、それまで待てなくて妥協する人も大勢居ると思うよ。僕で言ったら夏海の事かな?」
 「あなたノロケたいだけでしょ?」
 畠中は笑顔で言う上司にムッとした顔を向ける。
 「それもあるけどね。今がどんなに逆風でも、すれ違って時間が掛かっても必ず結ばれるはずなんだ。そこには年齢、性別、出身地、家柄、学歴も何もかもどうでも良い事だよ。
  それぞれの持つ赤い糸をいかに上手に手繰り寄せるか次第だと思うんだ。無理して引っ張ると途中で切れたり他の糸と絡んだりする。先手必勝とかで何でも思い通りにしようとするとかえって上手くいかない。チャンスメイクをするのは構わないけど焦っちゃいけないよ」
 そろそろ行こう。小田原の話はそれで終わり、二人は席を立って店を出ると、ここからは別行動を取ることになった。

 少しずつ秋らしくなってきた十月中旬、波那は久し振りに一人公園でのんびりと散歩をしていた。スッキリとした秋晴れの中、ベンチに腰掛けて本を読んでいるところへ津田が声を掛けてくる。
 「しばらく振り、波那ちゃん」
 「珍しいよね、ここで会うの」
 「そうだな。……少し歩かないか?」
 うん。波那は本を鞄にしまって津田と共に公園内を歩く。ここは趣向の違う二つの公園が遊歩道で繋がっていて、道沿いの街路樹の葉の色が少しずつ変わり始めていた。
 「最近どう?婚活に戻った?」
 遊歩道に入った辺りで、津田が近況を訊ねてくる。
 「ううん、最近結婚に興味が湧かなくて」
 「それは決まった相手が居るからか?」
 その言葉に波那は足を止めてしまう。今日の総ちゃん何だか怖い……。そんな感情がふっと表れて息が詰まる感覚に襲われる。
 「そうじゃないよ、ちょっと疲れちゃって」
 波那は首を横に振ったが、嘘を言ったつもりは無いのに自身の言葉になぜか後悔が付きまとう。
 「そう、じゃ俺と付き合わない?」
 えっ!?思ってもみなかった幼馴染みの告白に困惑した波那は、先日帰省していた長兄の言葉を思い出していた。
 津田はそんな事しないと信じていたのにそれを見事に打ち砕いてきた彼の頭の中が分からなくなってくる。
 「急にどうしちゃったの……?」
 「俺にとっては急でもないんだよ。別に遊びで付き合ってもらっても全然構わないよ」
 総ちゃん……?津田の急変とも言える態度に波那は戸惑ってしまい、大きな瞳を見開いて幼馴染みを見る。
 「遊びでお付き合いなんて出来ないよ……」
 「へぇ、二人相手に真剣交際ってあり得るのか?」
 津田は何もかも気付いている様だった。波那は返事に困ってきちんと答えられない。
 「そこんとこハッキリさせて欲しいんだ、悠麻と畠中、どっちが遊びだったんだ?」
 津田はいつの間にか波那の目の前に立っていた。普段は感じない圧迫感が苦しくて後退りしてしまう。
 「悠麻君とは真剣にお付き合いしてたよ」
 「じゃ畠中が遊びだったんだな?」
 それは……。波那は後退りし続けた事で追い詰められ、背中が街路樹にぶつかった。
 「まさか畠中とも真剣だった、なんて事言わないよな?その行動が悠麻と千郷君を傷付けてたって思わなかったのか?」
 「思ってたよ、罪悪感だってあった。悠麻君と別れたくなかったし、かと言って畠中さんとも離れられなくなって……」
 「いくら何でもそれ勝手過ぎるだろ?」
 「分かってる、でも……」
 「二股掛けられて喜ぶ奴がどこに居るんだ?逆の立場になった時相手にそんな答え方されて納得出来るのかよ?」
 津田は波那の手首を掴んで街路樹に押し付けると強引に唇を塞いできた。
 「……!」
 波那は腕の自由を奪われてなかなか身動きが取れず、それでも体中の力を振り絞って彼の体を押し退けた。
 どうして……?波那の瞳からは涙がぽろぽろとこぼれ落ち、津田は拒絶される事は予測していた様で顔色は涼しいままだった。
 「少しは目、覚めたか?」
 その言葉に波那は立っていられなくなる。津田はその場にへたり込んでいる幼馴染みの姿を見下ろしていたが、再び歩み寄って小さな体を抱き締めてきた。
 波那は一旦抵抗して厚い胸板を殴り付けていたのだが、その痛みを我慢してただ寄り添う津田の抱き締め方は、父親が子供を抱き締める感覚に近い様に感じられた。
 「ゴメン、総ちゃんとは付き合えない……」
 「そんなの分かってる、それで良いんだ」
 津田の声は優しかった。波那の頭を優しく撫で、元の優しいお兄ちゃんに戻っていく。波那の中から恐怖心は次第に消え去っていき、幼馴染みの胸に涙まみれの顔を埋めていた。
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