コーヒーゼリー

谷内 朋

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迷走編

ー20ー

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 店を出た直後に私鉄を利用している中林と別れ、同じ地下鉄で逆方向の千郷を見送った波那は人知れず畠中の自宅に居た。
 寝室のベッドの上で布団がモソモソと蠢いていて、中で裸になった二人が体を重ね合わせている。この時の波那はいつも以上に積極的で畠中の体の上に乗って腰を動かしている。
 星哉ぁ……。波那は時折畠中の名を呟きながら体を求めている。一方の畠中はどこか冷静で、体を求めてくる割には辛そうにしている波那の体調が気掛かりで欲情に歯止めがかかっていた。
 「あんま無理すんな、倒れるぞ」
 「誰のせいだと思ってんの?トイレであんな事しておいて……」
 波那は一旦動きを止めて薄暗い中畠中の顔を凝視し、バーのトイレで彼が欲情した事の顛末を咎める。
 「ここまで我慢するの結構大変だったんだよ……」
 責任取ってよね。波那は畠中の体中にキスマークを付けていき、あっさり欲情する畠中は彼の脚を広げて性器を中に捩じ込んだ。波那の体は無防備に乱れ、そんな彼の体を優しくくるんで唇を這わせる。
 「んん……あぁ……ん……愛してる……」
 波那は欲情しながら譫言の様に喘ぎ、瞳を閉じて畠中のやや高めの体温を感じていた。こんなに愛してくれているのに、体の欲望は充分満たされているはずなのに、今日はどうしても心にまで響かない……。それが申し訳無くなってきて段々セックスに集中出来なくなる。
 自分から求めておきながら勝手すぎる……。その事にも腹立たしくなり、しまいには自身の行いを棚に上げて、畠中の恋人に君臨しているのに中林の心にまで入り込もうとしている千郷への嫉妬心がふつふつと沸き上がっていた。
 ううぅ……。波那は知らず知らずのうちに涙を流しており、畠中もそれを気にかけて欲情は治まっていた。
 波那?突然泣き出した事に戸惑いながらも縮こまる体を抱き寄せて優しく髪を撫でる。畠中の心遣いに涙が止まらなくなり、彼の逞しい胸に顔を埋める。
 「……嫉妬で頭おかしくなりそう……」
 波那は本音を吐露して更に涙をこぼし、畠中は彼の細い体を支えてそっと唇を重ね合わせる。そうは言っても逸脱しているのは自分たちの方で、これ以上このままでいるのは限界が見えていた。二人は唇を離してお互いの顔を見つめ合い、畠中は波那が流した涙をそっと親指で拭ってやる。
 「そろそろ決断しないとな」
 「うん……」
 波那は畠中の体に身を預けて少しばかり寂しそうな表情を浮かべている。そして次に本当の恋人と会う日、二人はそれぞれの『決断』を胸にしていたのだった。

 約束した三連休の土曜日、波那は中林の自宅へ遊びに行く。少し久し振りに訪ねると家具の配置換えがなされていた。
 「どうしたの?模様替え?」
 波那は慣れた様に家に上がりながらも、少し落ち着かなさそうに中を見回している。
 「あぁ、引っ越して以来そのままだったから飽きちまって」
 総さんに手伝ってもらった。彼は少しばかりすっきりした表情を浮かべて波那の顔を見た。
 「ちょっと早いけど腹減ったな」
 「そう、じゃあ何か作るね」
 波那はキッチンに入り、冷蔵庫を開けて彼の好きそうな食材を選んでいく。
 中林は悪徳施設時代の食事がトラウマとなっている様で、図体と違って子供が食べるくらいの量しか摂取できない。肉や魚の他に赤い食べ物が苦手で、特にトマトは見るのも嫌な次元である。
 最初の頃、波那はそれを知らずにナポリタンを出した事があり、匂いだけで吐き気をもよおして一時間ほどトイレから出てこなかった。嫌な事思い出した。とは言っていたのだが、さすがに問い質せず詳しい事は分からないままだ。
 最近はトマトやその加工品さえ使わなければ苦手な洋食も食べられる様になっており、時折一緒に買い物に行く事で好き嫌いもほぼ頭に入っている。波那の料理のお陰で偏食も少しずつ緩和されてきていた。
 そんな恋人のために丹精込めて作った料理が完成し、二人はダイニングテーブルで食事を摂る。この日も中林は美味しそうに食べ、それが嬉しくて幸せそうな表情を浮かべている。心なしかいつもよりゆっくりな様な気がしたが、それでも出した分は綺麗に平らげた。
 「ごちそうさまでした。洗い物は俺がするよ」
 「え?手伝うよ」
 「良いって、いつもさせてばっかだから」
 中林は波那をリビングに追いやって洗い物を始める。その間波那は彼がよく読む映画雑誌を読んで時間を潰す。二人の食器など大した量ではないのですぐに終わり、リビングにやって来た中林は何故か隣に座らなかった。
 あれ?いつもならどこにいても必ず隣に来てくれるのに……。波那は雑誌を閉じて恋人を見たが、彼はテーブルにある新聞を広げている。
 「悠麻君?」
 波那は不安になって声を掛けた。ん?返事はしたものの新聞から視線を外さない。
 「今日は何だか余所余所しいね……」
 中林は少し寂しそうな声に反応して顔を上げたが、波那の顔を見ようとはしない。
 「そうかな?いや、そうかもな」
 「悠麻君……?」
 波那は嫌な予感がした。体には緊張が走り、何もしていないのに息が苦しくなってくる。すると中林はようやく彼と視線を合わせ、読んでいた新聞をたたむ。
 「俺達別れよう、波那ちゃん」
 「え?」
 どうして?そう聞きたかったが、波那にはやましいところがあってそれを口に出せなかった。それでも元の鞘に戻る『決断』を下していた彼にとってその言葉はショックだった。
 「俺波那ちゃんが好きだった。波那ちゃんもそうだと思ってた」
 「思ってた……?僕が好きなのは悠麻君だよ」
 波那は中林の瞳を見て真剣にそう言った。
 「多少の浮気は仕方無いさ、でも相手が星哉となれば話は別だよ。俺の度量が小さいと言われりゃそれまでだけど、それがどうしても許せなくて……」
 中林は悔しそうな表情を見せる。彼が浮気に気付いていた事を知り、今になって自身の行いを後悔する。
 「俺の知らないところでどんどん綺麗になっていくのを指をくわえて見てるだけの自分自身も情けなくてさ。手の届く所にいるはずなのに、最近の波那ちゃんはずっと遠くに感じてたんだ」
 「……ごめんなさい」
 波那はもはや言い訳も弁解もしたくなかった。自業自得だ……その現実を受け入れる事しか出来なかった。
 「今謝るくらいなら先に別れて欲しかったよ」
 中林は立ち上がって平棚の上に置いてある紙袋を手にして戻ってくると、忘れ物、とと言ってすっと差し出してきた。
 菓子折が入るほどの紙袋の中には彼が持ち込んでいた衣服や小物が入っており、恐らくこの為の模様替えだったのだろう。
 「それ持って出てってくんねぇかな、あんたとはもうサヨナラだ」
 中林は冷たく言い放って個人部屋に入っていく。取り残された波那は少しの間呆然としていたのだが、恋人を裏切ってしまった事を悔いて重い足取りで家を出て行った。

 この日の夕方、畠中もまた彼なりの『決断』を持って市街地を一望できる小高い山の上にある公園に向かうと、波那は紙袋を持って既にやって来ていた。この時点でどのような『決断』をしているのかまだ知らない畠中は、背を向けている波那に声を掛ける。
 「波那」
 しかし振り返った大きな瞳は真っ赤に充血していて、彼を見てもにこりとも笑わない。小さな体を抱き締めようとしたが、すっと後ずさりして冷たい視線を向けてきた。
 「波那……?」
 「僕はあなたが嫌いです……」
 畠中は彼が自身と同じ『決断』をしていると思っていただけにその言葉にショックを受ける。
 「まさかお前……」
 「えぇ、彼とやり直すつもりでした」
 「……何でだよ?」
 「あなたは優しくないから……もう二度とこうしてお会いする事もありません」
 波那はさっと背中を向けてその場から立ち去った。畠中は一人取り残されてしまい、まさかここで孤独感に苛まれようとは思ってもみなかった。
 『大した場所じゃないけど、ここから見る街の景色が好きでね……』
 畠中は数年前にここで会った初老の男性の言葉を思い出していた。当時はこの景色を見ても何も感じなかったのだが、転職をした頃から不思議と度々足を運ぶ様になっている。
 彼はふとデニムパンツのポケットに重みを感じ反射的に手を入れる。中には古ぼけた懐中時計が入っており、これまで義務的に持っていただけのそれが急に手に馴染んできた。
 そうなるとずっと持っていたくなってポケットから取り出し、動かなくなった時計盤を触りながら下の景色をじっと見つめていた。

 波那は一度下した『決断』を変えられないまま畠中とも別れ、この短時間に二つの別れを経験して一人寂しく自宅に戻る。
 「お帰り、早かったのね」
 「ただいま……」
 「ねぇ、いつものケーキ屋さん、今週いっぱいお休みするんだって。波那ぁ、明日久し振りにケーキ焼いてよ」
 笑顔で出迎えてくれる麗未の存在に安心した波那は、痛んだ心が疼いて思わず泣き出してしまう。
 「麗未ちゃん、振られちゃった……」
 良い歳をした男性なのにも関わらずめそめそと泣く弟に麗未は肩をすくめる。
 「しょうがないなぁ……」
 彼女は波那の体を抱きしめてよしよしとあやしてやる。
 「振られたくらいで泣くんじゃないよぉ」
 弟の背中をさすりなから、私も振られたんだ、と初めて失恋の痛手を吐露したのだった。
 「え……?」
 「女こさえて子供作りやがった。別れるしかないじゃない」
 「ゴメンね、僕ばっかり甘えちゃって……」
 あんたは何にも悪くない。麗未は波那の頭を優しく撫でてやる。奇しくも同じ時期に恋人に振られてしまった二人は、お互いの心をいたわりあう様に抱き合っていた。気付けば麗未も涙を流しており、他人ながらも双子の二人は身を寄せ合って失恋の痛みに耐えていたのだった。
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