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cent douze

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 美容師さんにヘアメイクをして頂いたお陰でどうにかドレスと合った雰囲気になったと思う、素材を除けば。髪の毛は食事がどうとか言っていたので、サイドの毛を捻って後ろで留めただけのシンプルなものとなった。
 私は美容師さんにエスコートされて明生君の待つリビングに入ると、まるで待ちわびていたかのように駆け寄って笑顔を見せてくれた。
「凄く綺麗だ」
 惜しげもなく白い歯を見せてそう言われてしまうと何だか照れ臭いし、私は彼の隣に立つにはブスと言ってもいいくらいのルックスなので申し訳ない気持ちにもなる。
 ただこの程度の素材をこんなにしてくださった美容師さんには感謝の言葉しかない。改めてプロの仕事の凄さを実感しているまさに今。
「お気に召して頂き光栄です」
 美容師さん二名は彼に向かって恭しく頭を下げている。う~んそこまでしなくてもいいと思うけど、彼は当然のように受け入れてらっしゃるので敢えて口は挟まない。
「それではこれで失礼致します、良い夜を、奥様・・
 えっ? 奥様・・? いえ私たちまだ交際一日目です。私はどう答えたら良いのか分からず何も言えずにいたが、彼らは私の返事などお待ちではないようで用事が済むとさっさとお帰りになられた。
 そう言えばさっきからお料理の良い香りがダイニングから流れてきている。彼は一応お料理はなさるけど今は一緒にいるので……キッチンから離れてて大丈夫なんだろうか?
「そろそろ食事にしよう」
 と私の手を取ってダイニングへと誘ってくれる。するとシェフらしき男女が二名、せっせと夕飯もといディナーの支度をなさっていた。
 テーブルメイクもどこぞの高級レストランレベルさながらにグラスやらフォーク。ナイフがたくさん並べられている。
「そろそろ良いかな?」
「はい、問題ございません」
 シェフの返答で私たちはテーブルまで歩み寄り、女性シェフの方に椅子を引いて頂いてから腰を落ち着ける。こういうのはレディーファーストのようで、私が座ったのを見てから彼にも同じことをなさっていた。
 今度はどちらに控えていらっしゃたのか、ソムリエちっくな男性が出てこられて食前酒であろうスパークリングワインを入れてくださった。彼は早速グラスを手に取ったので私もそれに倣う。
「少し早いけど、ハッピーバースデー」
 シャンパングラスをチンと合わせ、食前酒をひと口頂く。この手のものには全く詳しくないけれど、ブドウの香りが鼻を通ってとても美味しい。
 その間にもお料理の準備は進められていて、電子レンジからお肉の焼ける良い香りが届いてきた。あ~ヤバい、お腹空いてきた。
「まずはスープからお召し上がりください」
 まるでそれを察知なさったかのようにポタージュスープ的なお料理が出てきてお食事が始まる。当たり前だけどお湯で溶くだけのものではない高級感溢れるスープだった、めちゃ美味。
「美味しいです」
「ありがとうございます」
 私は彼のお陰で昨日今日と贅沢三昧だ。中学時代からきょうだいだけで育ってきたので、一般庶民以下の私がこんなに至れり尽くせりの誕生日を経験するなんて思ってもみなかった。
「ここまでの贅沢したこと無い」
「そっか、ご両親を早くに亡くされてるもんね」
 父はバーテンダー、母は看護師だったので仮に健在だったとしても夜勤が多いお仕事だ。きょうだいも四人いるのでたまの贅沢で高級料理店へ行きましたなんて記憶も無い。姉はお仕事の同伴なんかで利用してるっぽいけど『続くと地獄』とか言ってたので、何と申しますか五条家は庶民派といえると思う。 
「でもこんなのは贅沢のうちに入らないよ」
「えっ?」
「君はもっと高いところにいるべきなんだ、少し時間はかかるけど僕が証明してあげる」
 彼は私をまっすぐ見据えてそう言ってきた。その言葉に私の胸はトクンと弾み、勝ち組に入れた充足感とこれまで培ってきたものが壊される不安感とが入り混じっていた。

 食事を終えてシェフご一行様も帰られ、今は二人ベッドの上で体を重ねている。どちらからともなく求め合い、ダイレクトに伝わる彼の感触と熱気に酔いしれていた。
「夏絵」
 時折彼に名前を囁かれるだけで身も心も高揚し、本能をむき出して他所では見せられない姿を晒している。羞恥心という言葉は意識の奥底になりを潜めてただただ感情に任せているだけだった。
 そんな至福の時間も終わりはやってきて、体力の限界を超えてやむなく体が離れた。支えを失った私の体はベッドに埋まることしかできず、二人の間に割って入ったひんやりとした空気に喪失感を覚えた。彼も同じ気持ちだったみたいで、動けない私の体を引き寄せ優しく抱きしめてくれる。
 彼は私の髪の毛をゆっくりと撫で下ろしてくれる。指の感触が体に伝わって守られている感覚になる。ほとんど体力は残っていないけど、彼の体に腕を回して離れないよう体を寄せた。
「もう、離したくない」 
 彼は私をぐっと抱きしめてくれる。私ももう後悔したくない、こんなことなら振られたからと泣き寝入りせず韓国に飛べばよかった。
「後悔してる、あの時の決断を」
「えっ?」
「だから取り戻そう、空白の時を」
 彼は顔を寄せて後頭部に手を回す。目を閉じると唇に彼の唇が触れ、再び本能が目覚めて欲の渦になだれ込んだ。
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