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quatre-vingt-seize

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 結局新しい電子レンジを迎え入れる必要性が出てきたので、姉が改めて中西電気店に電話を入れていたが、昨夜のことがあった私は少々気まずい思いがあった。
 どうか瀬田さんか先代でありますように~なんて心の中で神頼みなんぞしつつ、ご近所の電気屋さんが来るってだけで変な緊張をしている私。 
 「どうしたのなつ?」
 姉は何かに気付いているのか私を見て変な顔をしている。実は昨夜のことは飲みに行ったという事実しか伝えていない。家族を使った嘘を吐いてしまったがばっかりに、普段なら聞かれなくても話す事案なのにどうしても言えなかった。
 「ん?どうもしないよ。電話誰が出てくれたの?」
 基本中西電気店は電話応対してくれた人が対応してくれる感じになっている。ここでてつこでなければ大丈夫。
 「えっ?先代だけど……」
 ならよほどでない限り先代が濃厚だと思う。それが分かっただけでも何となくほっとした。

 それから一時間もしないうちに玄関からチャイム音が鳴る。きっと中西電気店だと姉が応対してくれる。
 『ごめんください、電子レンジ持ってきたよ』
 『すみません助かります。あの、壊れた分なんですが……』
 『もちろん引き取らせて頂きますよ。ではお邪魔します』
 『えぇどうぞ。杏璃も来てたの?』
 『うん、家にいても暇だから』
 今日は土曜日だから学校お休みなのね。最近小学生以下は一人で外出させないでってチラシ家にも入ってたな。うちに上がって来られた先代は早速箱を開けてレンジを設置してくださる。使い方は秋都が説明を聞き、姉は杏璃と何やら話をしている。
 「済まないがはるちゃん、しばらく杏璃預かってくんないか?今日は社長がいねぇから迎えは行けても夜になる」
 えっ?てつこいないの?土日は絶対に休まないのに珍しいこともあるものだ。
 「構いませんよ、何でしたらある程度のお時間にお送りしますが」
 「悪いね、五条さんのご都合の良い方で」
 分かりました。先代はそれで安心なさったように仕事に戻られ、杏璃は込み入った話があるからと姉を連れて客間に入っていった。
 「んじゃ僕レポート書いてこ~」
 大学の進級レポートってそれなりに大変だったからね、かなり前だけど私も憶えがあるなぁ。あの頃は一番広い部屋を借りていた明生君宅によくお邪魔していた。
 彼のご実家は所謂旧家というやつで、それなりに由緒正しいお家柄だ。彼は私なんかよりも成績優秀で、勉強の面でもとても頼りになった。何度かに一度はお泊りさせて頂き、それなりに甘い時間を過ごした思い出もある。
 けどそう言えば彼は大学在学中家へ一度も訪ねてこなかった。私も彼のご実家は場所こそ知っているが、実際ご家族にお会いしたことは一度も無い。
 『僕たちまだ一人前じゃないから』
 当時はそうだよねと納得してたけど、今思い返せば何となく変な気がする。ご家族の話もしなかったし、旧家だなんだっていうのも小久保か亘理に聞いただけだと思う。
 『あいつんとこの親小煩いからな、俺らに対してあんま良い顔しないんだ』
 『取り敢えずは今言ったこと黙っててくんね?後で揉めんの面倒だから』
 まぁそういうことならと私も彼の前ではご家族絡みの話題は避けてきたし、明生君も五条家のことを根掘り葉掘り訊ねてこなかったと思う。
 そう考えたら彼は私を恋人として相応しいと思ってなかったのかな?とも思える。それなら……友達にはちゃんと紹介してくれてたからそんなことも無いのかな?
 それに今はお互い大人と言える年齢になった。彼の言葉に偽りがないのであれば、ご家族にも認めて頂けるのではないか?という甘い考えも頭をよぎる。
 「まぁ、それも今更なんだけど」
 独り言を呟き、一人部屋の中でゴロゴロと過ごす私。そんなまったりとした時間をぶった斬るケータイのバイブ音、もう誰よ?面倒臭い。 
 「どっこいしょ」
 私は無理やり体を起こしてケータイを掴み、誰だよと画面を見ると明生君だった。本当に来ると思わなかった、私は勢い一択で通話ボタンを押す。
 「はい」
 『……夏絵?』
 少し間を置いてから、懐かしいあの声が耳元に届いた。

 久し振りに体が軽い。
 今凄くふわふわしてる。
 一年振りに出したお気に入りのワンピースに袖を通し、いつも以上に念入りにお化粧を施している。普段付けない香水を少し振り、バッグも靴もワンピースに合わせて買ったお気に入りのアイテムだ。
 普段は使わない、とっておきの時にだけ使うアイテムを身に着けると凄く気分がいい。何なんだろうこの気持ち、一過性のときめきとは違う至福の時……周りの景色はいつも通りだけど私だけはいつもと違う、何か違う者に生まれ変わったような感覚がある。

 『この後、会えないかな?』

 たったこれだけの言葉が幸せな気持ちにさせてくれる、このところ続いていたイヤ~な塊が一瞬にしてほどけていく。これまでのこだわりが馬鹿みたいだ、もっと早く素直になればあんな嫌な思いをしなくて済んだのに。
 私はウキウキした気持ちを乗せて駅に入り、待ち合わせ場所であるランドマークホテルに向かう。今日は奇しくもバレンタインデー、先に『文子洋菓子堂』に入って滑り込みでマカロンを買っている。
 彼はこのマカロンがお気に入りで、アルバイトをしてお金を貯めて初めてあげた本命チョコだった。彼のために買ったのに、『一人で食べるよりは』と言って半分分けてくれた。
 思い返せば彼との思い出は沢山ある。五年分の悲喜こもごもを、これまでの私は全部否定して忘れようとしていたの?何て勿体無いことをしてきたんだろう、あの時はああするしかなかったのかも知れないって何で考えられなかったんだろう?
 待ち合わせ場所との距離が近づくにつれ、少しずつ心拍数が上がっていくのを感じてる。脳内で余計なBGMもかからず、世界は淡々と時を刻んでいく。

 一度電車を乗り換え、普段仕事では使わない方向の電車に乗る……たったこれだけのことがドラマチックに感じられ、シンデレラにでもなったような気分になる。快速急行に乗っているのになかなか目的地に着いてくれない、待ち遠しい、彼に会いたい。
 『間もなくランドマーク前、ランドマーク前でございます』
 待ちに待った待ち合わせ場所最寄り駅に到着し、逸る気持ちを抑えながらも早足で目的地に向かう。私はホテルと直結しているホテル三階の改札口から外に出ると、すぐ前のオープンカフェであの時と変わらない笑顔で私を迎えてくれる彼。
 「ごめん、待った?」
 その笑顔を見た瞬間、六年という時間があっという間に取り戻された。
 「そんなに待ってないよ、先にここで休もう」
 私たちはカフェに入り、久し振りに向き合って座った。
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