蠱毒の贄は夢を見る

庭坂なお

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20話

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玄関先から引き戸の開く音がした。左京が帰ってきたのだろうと、三木も七緒も特に気にせずニュース番組を観ていた。有名な文学賞の話題に、七緒は読んでみようか、などと考えていた。軋む足音が次第に鮮明になっていく。よく聞くとそれは2人分で、左京と武蔵が帰ってきたのか、と三木はチャンネルを2人が好きそうなドラマの再放送へと変えた。襖が開いて姿が見えると、その人物に七緒は「ありゃ?」と声を漏らした。

「久しいねぇ。えっと……」
「折鶴よ。久しぶりね、七緒さん」

折鶴と、その背後に気まずそうに隠れている武蔵が足音の正体だった。三木はチャンネルをニュースに戻し、すっかり冷めた緑茶を啜った。

「武蔵も折鶴も突っ立ってないで入ったらどうだ?武蔵、お前の気持ちも分かるから叱るつもりはない。堂々としてろ」
「……うん……」

三木の言葉に武蔵が少しだけ顔を上げる。折鶴は武蔵と共に居間に入ると襖を閉め、立ったまま口を開いた。彼女の不安げな表情に、三木は首を傾げた。

「どうした?」
「あのね……東海林しょうじさんから聞いたんだけど……ここのアルバイトの子……ほら、黒髪の、優しそうな青年……さ、さ……?」
「左京」
「そう、その子。こっちに戻って来てない?」
「少年?戻って来てないけど……なんかあったかい?」
「左京君……蠱毒の贄なのよね?私、知らなくて、彼の前で七緒への老廊会の命令の話、しちゃったのよ」
「まずいね……こっちに戻って来てないから、まさか不知火邸に……?いや、でも、少年は不知火邸の場所を知らないはずだし……」
「万が一ってこともあるだろ。七緒、行くぞ。入れ違いになるかもしれないから、武蔵は折鶴とここで京を待ってろ」
「う、うん……」
「分かったわ」

武蔵と折鶴の返事を半ばに聞きながら、三木と七緒は急いで居間を出た。三木も七緒も祓札を持っているが、老廊会の一員である不知火の家でそれを使うことは無礼になる。しかしもし既に左京が不知火邸で揉めていた場合、戦力や腕っ節は欲しいところだ。今から七緒が使役する妖を呼んだとして間に合うだろうか。七緒は思い出したようにその名を呼んだ。

「桜音、いるかい?」
「呼んだか、七緒。私は忙しいのだぞ」

桜音がふよふよと七緒の頭に着地した。2人が早足なのを不思議そうにした桜音に、七緒は問いかける。

「君、人間みたいな姿のとき、体格良かったよね?もしかして、結構力持ち?」
「今更気づいたのか!私は木霊の中でも力のある方だぞ!」
「それは心強いね。今から不知火邸に行くんだけど、ついてきてくれないかい?戦力が1人でも多く欲しいところなんだ」
「し、不知火!?わ、私は何も知らんぞ!何も!ええ、何も!」
「……桜音?」
「私は行かんぞ!何も知らん!」

慌てふためく桜音の様子に、三木も七緒も訝しむが、今はそれを気にする暇はない。三木は玄関で履物に足を突っ込みながら桜音を呼んだ。

「桜音」
「な、なんだ?」
「京の身に危険が迫っているかもしれない。ついてきてくれ」
「ぬ、ぬぅ……あい分かった」

桜音の弱々しい返事と同時に玄関の引き戸を開ける。生温い風が頬を撫でた。







───────



ぼたぼたと、切り口から血が溢れては地面に広がっていく。血の海、まさしくそれだ。赤い海には左京の頭部が転がっている。既に光を失った瞳はガラス玉のように血の赤を反射していた。肉体は血に溺れるように倒れ、頭部が離れている様は即死を疑う余地がない。

「終わったな。弥生、家の奴らに雪女を解放するように伝えろ。俺はまずは宗像むなかた様にこのことを───」

続くはずの言葉が止まった。どうしたのだろうと、弥生は不知火の視線の先に目を向ける。首から滴っていた血が血の海から浮かび上がっていた。まるで血そのものが別の生き物のようにうごめき、逆再生のように首の切り口に戻っていく。溢れていた血が切り口にさかのぼる。血がすっかり切り口から体内へ戻ると、頭部が動いて首の切り口同士で繋がった。
再生。
治癒と呼ぶには化け物じみたそれは、およそただの妖と同じに断言するには難しい。再生能力に似た治癒能力を持つ妖でさえ、首を落とされれば死ぬ他ないだろうに。
無傷で地面に倒れ伏している左京からは、先ほどのような妖力の上昇は感じられない。ピクリとも動かない左京だが、直感的にまだ生きていると判断出来た。

「……弥生、家にある封じの札をありったけ持ってこい。俺はこいつを見張っている」
「かしこまりました」

弥生が早足に門をくぐるのを見ると、不知火は1歩、2歩と左京に近づく。そっと首元で脈を取ると、とくん、とくん、と生きている感触が指先に伝わった。
蠱毒の贄とは呪法《蠱毒》に由来する名のはずだ。妖を喰らい、まるで呪いのように妖力をその身に宿すこととなった人間……いや、橘の話では生まれすら人間でないとされるらしい。名前だけの存在だったはずが、いつの間にか斬首すらものともしない化け物へと転じてしまったようだ。もう左京この男は後戻り出来ない。
今まできっと人並みに幸せと不運を辿ってきたのだろう。
人並みの生活を営んで、一喜一憂しながらここまで歩いてきたのだろう。
しかし、もうそんな生き方が出来ない身となってしまったらしい。

「……哀れだな、化け物め」





───────



「京左京……蠱毒の贄はこちらに来てはいませんか?」

七緒はインターホン越しに不知火家の人間に問うた。相手の言い淀む様子に左京が来たことを確信し、さらに続ける。

「来たようですね。今、彼は無事ですか?」

それも言い淀む。つまりそれは左京が無事とはおよそ断言出来ない状態にあるということだ。七緒は相手に聞こえないよう、そっと深呼吸する。初手を間違えれば左京に、あるいは不知火に会うことが難しくなる。そうなれば、左京の無事を約束されないまま処刑されてしまう可能性があった。

「浄楽庵は、アルバイトとして蠱毒の贄を預かる身です。彼の両親にも話を通してあり、家族から信頼を得て預かっています。ですので、私達浄楽庵の人間は、彼が今、どういう状況にあるのか認識すべき義務があります。ですから、どうかお願いします。彼に会わせてください」

七緒はそう言って頭を下げた。三木も同じく頭を下げる。両親や家族のくだりは嘘だが、こうでも言わなければ会えないだろうと苦渋の決断だった。老廊会の一員である不知火の家に虚言を吐いたとしては後々罰を受けるだろうが、今はそんなことどうでもよかった。

『……少々、お待ちください』

弱々しい返答の後、ブツッと音が切れた。
2人は頭を上げ、顔を見合わせる。七緒の頭に乗った桜音は、震えて小さくなっていた。

「おぅ……不知火家に一日に二度も来ることになろうとは……恐ろしや……」
「桜音、一日に二度、とはどういうことだ?」
「っ!あ、いや、それは」

三木の追及に桜音は慌てふためいて、それから空へ逃げようとふよふよと浮いた。しかし三木に摘まれてしまい、逃げる手段を失ってしまう。

「桜音……お前、京とここに来たな?」
「う、ぐぬぅ……」
「……来たんだな」
「く、口が裂けようとも言わんぞ!左京様と約束したのだ!」

それはもう自白ともとれるのだが……と、三木は桜音を離した。これ以上桜音を追及したところで、責めることと同じになってしまう。ここに左京が来たのは左京の意思であり、責任を負うべきは桜音ではないのだ。

「三木、どうする?たぶん、少年は地下牢にでも繋がれてるだろうねぇ。おじさん達が少年に会えたとして、助けられる算段はついてるかい?」
「どうにかするしかねぇだろ。とにかく京が危険な存在ではないことを伝える」
「それしかないんだけどさぁ……上手くいくかねぇ……」
「助ける気はないのか?」
「あるさ、もちろん。おじさん、頑張っちゃうよ。大人の駄々こね、見せてやる」

正直、大人の駄々こねとやらは見たくはないが、どんな手段を使っても左京を助けようという七緒の気合いは感じる。三木は腕組みをして、これからどう切り抜けるかを思案する。
門へと続く石畳の向こうで、玄関引き戸が開いた。現れたのは予想外の人物で、三木と七緒は慌てて頭を下げた。

「不知火様が直々にお話を聞きにいらっしゃるとは思いもしませんでした。私達の思いが伝わったと考えてよろしいでしょうか」
「……とりあえず上がれ」

不知火は玄関からの石畳を歩いて門へ来ると、内鍵を開けて2人を顎で促した。
三木と七緒はおとなしく不知火の後ろを追った。妖である桜音のことに追及がなかったのはありがたかった。少しも軋まない廊下を歩き、地下へと続く階段を降りていく。その道中、人の気配はあったが、息を殺して隠れている様子だった。不知火が畏れられることがあっても、ここまであからさまではないだろうに。彼らは何に怯えているのだろうか。階段から地下室の床を踏んで、いくつもの壁の穴に備え付けられた蝋燭の灯りで照らされたその地下にまみえる。仄明ほのあかるい地下の、石造りは堅牢で重厚感がある。階段を降りてきて右側に牢が並んでいるが、そこには誰も縛られてはいない。ただ、奥からどんよりと重い妖力が感じられた。奥の、まだ見えぬ最奥の牢に、“なにか”がいる。

「妖力を感じるか?」

不知火の問いに、三木と七緒は「はい」と頷いた。《悪しきもの》か《善きもの》か、それを判断しようにも、経験と勘が《未知のもの》と告げて鳴り止まない。

「この妖力、どう思う?」
「……禍々しいと呼ぶには幼く、安全と呼ぶには重々しいですね……」
「言い得て妙だな」

不知火が奥へと歩き始め、2人は黙ってついていく。奥の牢の前が見えてくると、三木と七緒は伸びていた背筋を更に伸ばした。
牢の前には老廊会の全員が揃っていた。見ない顔は彼らの護衛だろう。老廊会が招集される状況は異常事態だ。それほどまでにこの妖力の持ち主が厳重警戒対象である証左だろう。

「老廊会の皆様がお集まりとは……そんなに危険なのですか?」
「まあ、見ろ」

七緒の問いに、不知火が顎をしゃくる。老廊会の面々とその護衛はその行動の意図を察して左右に分かれた。牢の中がハッキリと見えたとき、三木と七緒は瞠目した。どこかそんな気がしていた、しかし、そう思いたくなかった、そんな“彼”が、牢の中で拘束されていた。

「京……」

しかしその呼び声に応える者はいない。
膝をつき、天井から下げられた鎖に両手首を繋がれた左京。その身体中に札が無数に貼られ、皮膚どころか服を着ているのかさえ分からない。口には猿轡が噛まされ、唯一表情の窺えそうな目は静かに閉じられている。
三木と七緒は知っている。身体中に貼られた札が“封じの札”と呼ばれる、妖力を抑制する札であることを。1枚でも効果的なそれが無数に貼られ、それでも皮膚を不快に撫でるような重い妖力を感じるのが異常であることを。

「三木、七緒。この男は危険じゃ」

加賀美が徐ろに口を開いた。
違う、京左京はそんな存在じゃない───返したい言葉は目の当たりにした妖力によって否定される。

「不知火から聞いたが、京左京は首を落とされても死ななかったとのこと。この不死性故に七緒への命令は撤回とする。鈴雪も解放しよう。だが、京左京の処分は如何にせん……」

宗像むなかたが告げる。このままでは左京が殺されてしまう───しかし今ここで何か弁解しようともそれは無意味になるのではないかと、どこか諦観している自分がいた。その事実を否定したくて、三木と七緒は必死に抜け道を探した。探しても思案しても見つからない抜け道に、焦燥ばかりが積もっていく。

「首と胴体を分けた状態で封印するのはどうでしょうか?全身を一緒に封印するよりは安全だと思いますが……」

和泉が悩ましげに頬に手を添えて提案する。他に意見は挙げられず、宗像は頷いて不知火を見た。

「和泉の案が妥当だろう。不知火、再び京左京の首をねよ」
「お、お待ちください、皆様……!」

七緒が声を上げる。このまま左京を見殺しに出来ない。皆の視線を一身に受け、緊張か不安か、はたまた恐怖か分からない震えが襲う。応えなければ───七緒はいつもの軽口を叩く覚悟で口を開く。

「……京左京はただの優しい青年です……ただの、妖力を持ってしまった人間です。そんな彼を殺すのはあまりに非道……どうかお考え直しください」

論理的な説得など出来ようもなかった。情に訴える説得が、老廊会かれらを動かすとは微塵も考えていない。しかし、それ以外なかった。長年の祓い屋経験から言って、今の左京は処分すべき対象だ。それを助けようとするのは彼の人となりを知っているからであって、知らなければ七緒も三木も処分に頷いていただろう。

千鶴ちづる様でさえ、この妖力を抑えるのは困難だと仰っていたのです。七緒と三木の気持ちも分かりますが、諦めなさい」

八尾軒の言葉に、更に現実が重くのしかかる。千鶴というのは、霊や妖、神を鎮めることに長けた一族の現当主だ。彼女が困難だと言うのなら、当世でかなう者などいないだろう。
牢の鍵が開けられる。不知火が牢に入り、妖刀《黒曜丸》を顕現させる。左京の首にひた、と刀の刃が当てられた。静かに上げられた刃先は、そのまま無慈悲に下ろされた。
ゴト、と頭部が床へ落ちて転がった。血が噴き出し、床は赤く染まっていく。
三木も七緒も目を離せないでいた。現実を目に焼き付けるように、その現実の間違った箇所を探すように。
宗像の手で額に封じの札が貼られる。この封じの札で、何がどこまで封じきれるのかは疑問だが、無いよりはマシという判断なのだろう。和泉が左京の頭部を抱えた。「可哀想に」とぽつりと呟いて左京の肉体から離れようとしたとき、パタパタと足音が階段の方から聞こえてきた。重要機密とも言えるこの地下牢での出来事に踏み入れる人物など数えるほどもいない。誰の侵入かと皆が動きを止めてそちらを見る。やがて姿を現したのは、黒髪の着物美人。予想外の人物に、三木は思わず彼女の名を呼んだ。

「折鶴……なんでここに……?」

折鶴は巾着袋を片手に左京の前まで来て、それから宗像を真っ直ぐ見据えた。

「宗像様。どうか彼の処分はお待ちいただけないでしょうか。私に考えがございます」
「考え?状況を知っての発言か?京左京は危険な存在。頭部と肉体に分けて封印して然るべきだろう」
「彼は一般人の身、そして家族のいる身ならば、早計な封印や殺害は祓い屋界、そして怪異や神の存在の露呈に繋がります。祓い屋界も怪異も神の存在も、表の世界には決して知られてはならない影なるもの。それが明らかにならぬよう、どうか私の考えを聞いていただけませんか?」
「ならば聞く。その考えは、如何に?」

宗像の問いに、折鶴は目を閉じて深く深呼吸する。折鶴にとっても宗像は重鎮。そして人1人の命が掛かった答えを告げることとなる。折鶴はゆっくりと目を開いて、それから唇を二度噛んでから口を開いた。

「妖力を、封印します」

その言葉に、一瞬の静寂があった後、不知火が吹き出して笑った。

「ははは、何言ってんだ、折鶴!てめぇんとことのご当主様が『困難だ』と答えたのを忘れたか!?蠱毒の贄はあの千鶴様が匙を投げるほどの化け物なんだよ!」
「お母様が仰ったのは『妖力全てを』封印出来ないということです。皆様がそうお聞きになったのでしょう?『妖力全てを封印出来るか』と。……実際、地の主の妖程度まで彼の妖力を封印することは可能です。地の主程度の妖力となれば、三木や七緒さんでも制御出来るでしょう。そうすれば、無闇矢鱈と封印や殺害をしなくてもよいのです」
「京左京は、咲羽耶大蛟贄子綴さくはやのおおみずちにえのこつづり……もとい小玖哉と同一存在となれば、神力を手にし、殺すことの出来る者や手段が限られる。それはどうする?」
「小玖哉なる者が神力を宿す者でも、我ら桐生きりゅう一族であれば鎮めることが出来ます。小玖哉を鎮め、同一存在化を防ぐことをお約束致しますので、どうか……どうか京左京の延命を」

折鶴が頭を下げる。それに続いて三木と七緒も頭を下げ、懇願する。これが最後のチャンスだろう。これが通らなければ、左京の延命は絶望的。七緒は生まれて初めて、自分の祓い屋生命を絶とうとも救いたいと思った。三木は生まれて初めて、三木の一族の名を捨ててもいいと思った。
3人の必死の懇願に、宗像はため息ひとつを返した。

「……何故そこまでして京左京を助けようとする?その如何を問う」

その答えに、3人は顔を上げる。
曰く、三木をして。

「京は、俺を頼ってくれました。霊力を持たない、落ちこぼれの俺を。そして、生きることに懸命でした。力の無い俺に、望まぬ力を手にした彼が、生きる為に手を伸ばしたのです。それを断る理由はありはしません。頼られたからには最後まで手を尽くす……それが三木家の数少ない教えです」

曰く、七緒をして。

「初めて彼に会ったとき、あぁ、どこにでもいる少年だな、と思いました。手を尽くすのも程々にして引き際を探すくらいには、思い入れはありませんでした。でも、彼の家に訪ねたとき、彼は当然のように妖である鈴雪にお茶を出してくれたんです。私の大切な者を大切にしてくれる彼を、助けない理由はありません」

曰く、折鶴をして。

「私は彼のことを知りませんでした。だから、彼の前で今回の七緒への命令を話してしまったのです。その後、彼が蠱毒の贄と知り、それから武蔵との会話の中で、彼がどんなに優しい人かを知りました。彼は友人を失いました。彼は安寧を奪われました。これ以上彼から何かを奪うことは、許されることではありません」

3人のそれぞれの真摯な言葉に、宗像は再度ため息を吐いた。

「……分かった。祓い屋界でも実力のある貴殿達がそこまで言うのならば、京左京の処分は延期としよう。老廊会の皆、異論は無いな?」

返ってきたのは沈黙。異論無し。つまり───

「はぁぁぁ……よかったぁぁ……」

七緒はがくんと座り込み、大きな吐息を零した。「老廊会の前ですよ!」と八尾軒に叱られるも、七緒は目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭いながら、力の無い笑みで八尾軒を見上げた。

「いやぁ……はは、これぐらい勘弁してくださいよ、ばあさま。俺、ほんとに祓い屋辞める覚悟で取りすがったんですよ?ちょっとくらい気ぃ抜くくらい───」
「七緒、皆様の前だ」
「ミキちゃんまで言う?どこぞのばあさまに似てきちゃったんだから……はぁ、よっこいしょ」

七緒は立ち上がり、和泉に両手を差し出した。その意味を察して、和泉は慈愛の笑みを浮かべて左京の頭部を手渡した。

「御三方の気持ち、よく伝わりました。彼のことを大切にしてあげてくださいね」
「ありがとうございます。あぁ、やはり和泉様は菩薩……いえ、天女のようなお方ですね」

七緒はへらりと笑って、左京の額に貼られた札を剥がす。頭部を肉体の方へ運ぶ。肉体の前で屈んで「待たせたね」と左京に微笑みかけると、封じの札を全て剥がす為の詠唱を一言、口にする。

「───」

封じの札がはらり、はらりとひとりでに剥がれていき、最後の1枚が落ちると、床に広がっていた血が逆再生を始める。左京の首を切り口に添えると、すぐに癒着して傷口が綺麗に消えた。
左京の肉体と頭部が元に戻るべき姿に戻ると、折鶴が牢に入った。巾着を解いたとき、慌ただしい足音が階段を駆け下りてきた。

「た、大変です、不知火様……皆様……!」
「どうした?ここに立ち入るなと伝えたはずだ」

不知火の鋭い指摘に、息切れした男は、肩を上下させながらそれを口にした。


「小玖哉なる者が現れました!」



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