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座敷わらしと朝ごはん
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目が覚めればそこは、見慣れた我が家の天井だ。
ベッドから落ちるように床へ身体を落としてから、紬はよたよたとした足取りで起き上がった。
まだ寒さの残る季節だから、起きるのが億劫なのだ。布団が自分をあたたかさで誘ってくる。強引にでも布団から離れなければ永遠に寝てしまいそうだった。
しかしまだ眠気から逃れきれてはいない。
布団の魔力に吸い戻される前に睡魔を払うべく顔を洗おうとしたところで、昨夜の出来事を思い出した。
「あ……睦月さん」
夢であったかもしれない。もしかしたら彼女と会ったのは夢だったかもしれない。でも、夢じゃなくて隣の部屋にいるかもしれない。もし居たとしても、どこまでが現実で、どこからが夢かも自信がなかった。
「……座敷わらし、って結局なんだっけ」
携帯で調べようとしたが、携帯を睦月に預けっぱなしだったのを思い出した。
無用心だったかもしれないが、昨日は眠くて判断能力を失っていたので、なにかあったら自業自得だと思い、あとで考えることにしようと思考を放棄した。
紬の知識の座敷わらしというのは、わりと有名な話で『座敷わらしのいる家は幸せになり、座敷わらしが去った家は不幸になる』というものだ。
だが紬は、そんな非科学的な妖怪なんて存在を信じる気にはどうもなれない。
何故なら、妖怪は基本、人間の目には視えないからだ。
視えなくとも、肌で感じる風や、耳に聞こえる音、喜怒哀楽から生じる痛みや快楽ならあるが、五感でわからない存在を信じるというのが、紬にはどうもわからなかった。
そして、五感でわかる存在は、妖怪などという不確かな存在ではない、とも思っている。
ゆえに睦月は、人間である。これが紬の答えだ。
(睦月さんが座敷わらしというのは、冗談か、彼女が夢想家ということだろう。そもそも座敷わらしっていうなら、見た目は子どものはずじゃないか? 睦月さんはどう見ても二十歳前後だし、本人も二十歳で戸籍登録しているって言っていたから、その時点でやはりおかしいと訝しむべきだったんだ)
うんそうだ、と納得してから部屋を出た。
睦月が眠っているはずの隣の和室は、入り口のふすまが開いていた。
「睦月さん? 入りますよ?」
そう呼びかけてから中を覗き込むと、部屋の隅っこで体育座りをしながら携帯を見つめる睦月の姿があり、紬は少しだけ「これは妖怪っぽい……」と恐怖を感じた。
入ってきた紬に気づいた睦月は、パッと顔を上げて「おはようございます!」と、愛嬌のある笑顔で挨拶をしてくれた。その表情で「妖怪っぽい」という恐怖は消えていった。
紬が起きたとわかるやいなや、睦月は部屋のカーテンを開いた。
目が覚めてから時間は見ていないし、自分の部屋のカーテンも閉めたままだったが、カーテンを開くと部屋がとても明るくなった。もう9時くらい超えているのではないだろうか、とリビングにあるデジタル置時計を見ると、8時50分と表示されており、9時は超えていないが、似たようなものだった。
「昨日結局、何時に寝たんだったっけな。睦月さんは眠れましたか?」
「はい。少しだけ眠りました」
「少し……って、どのくらい?」
「……20分くらい眠りました」
「それ眠ったって言える、んですか?」
少し考えるような仕草をしてから、あっけらかんと答えた睦月に、呆れたような言い方をしてしまった。
でも仕方がない。
それは仮眠の域かどうかも怪しかったからだ。
何時間、ではなく分単位なのだから。秒でないだけ人間らしいなと思ったが、睦月は人間ではない、と昨日言っていたのを思い出した。
「……妖怪、座敷わらしってもしかして眠らないんですか?」
「いえいえ、眠りますよ。昨日は、まだこの部屋に慣れていなかったから、緊張して、眠気より興奮してしまったんです」
「なるほど。じゃあ、もし今日眠くなったら、日中でも構わず眠ってくれて構いませんからね?」
よく見たら、睦月に使ってもらうために昨日敷いた客用の布団が片付けられていた。
そしてカーテンを開いて、明るくなった室内を見て、部屋が綺麗になっていることに気づいた。
「なんか、いつもより部屋がキラキラしている……?」
外から差し込む光に、部屋中の家具が反射して輝いているように見えた。
「もしかして、これは座敷わらしの能力とかいうのと、関係しているんですか?」
「それはたぶん、夜の間掃除をしたからだと思います。どこか行き届いていない箇所など、気になるところはありませんか?」
「え、睦月さんが掃除してくれたんですか?」
「はい! 私、お掃除が好きなので! これくらいしか役に立つことがないですが……」
おそらくこれは謙遜ではなく、本当にそう思っているのだろう。とんでもない話だ。
「いえ、オレが初めてここに住んだときのように綺麗になってる……。オレは掃除が苦手なので、ありがたいです」
なので素直にそう礼を言えば、睦月はホッと胸を撫でおろした。
「お役に立てたようで、よかったです」
「あ、朝ごはんまだですよね。昨日帰りにコンビニで、菓子パンとサンドウィッチを買ったので、好きなほうを選んでください」
「そんな、置いてもらっている身分で先に選ぶなんてできません。紬さんが先に選んでください!」
「いえ、どっちも好きなので。選ぶの悩みますから」
本当はサンドウィッチのほうが好きだが、どちらか睦月が食べられない可能性も考えそう答えた。
「……じゃあ」
睦月は菓子パンを指さした。
もしかしたら紬がサンドウィッチを食べたいと思った思考が通じてしまったのでは、と思わなくもないが、睦月に選んでくれと言い、彼女が自分で選んだのだから、ありがたくサンドウィッチをいただくことにした。
そして食べようとしたとき、睦月がパン代をテーブルに置いた。
「気にしなくていいんですよ」
「いいえ。昨日はお気持ちに甘えて夕食代御馳走になってしまいましたが、一緒に住むのなら、こういうことはしっかり決めたほうがいいと思います。……あ、住まわせて、いただけるのでしたら、ですが」
「住んでも大丈夫ですよ。幸い部屋も二つありますし」
「ありがとうございます!」
睦月は満面の笑みで礼を言った。
その笑顔が、本当に可愛くて、紬はその笑顔を見るのが好きだなと感じた。
「そうですね。食べながら今後どうするか考えましょうか」
「はい」
ベッドから落ちるように床へ身体を落としてから、紬はよたよたとした足取りで起き上がった。
まだ寒さの残る季節だから、起きるのが億劫なのだ。布団が自分をあたたかさで誘ってくる。強引にでも布団から離れなければ永遠に寝てしまいそうだった。
しかしまだ眠気から逃れきれてはいない。
布団の魔力に吸い戻される前に睡魔を払うべく顔を洗おうとしたところで、昨夜の出来事を思い出した。
「あ……睦月さん」
夢であったかもしれない。もしかしたら彼女と会ったのは夢だったかもしれない。でも、夢じゃなくて隣の部屋にいるかもしれない。もし居たとしても、どこまでが現実で、どこからが夢かも自信がなかった。
「……座敷わらし、って結局なんだっけ」
携帯で調べようとしたが、携帯を睦月に預けっぱなしだったのを思い出した。
無用心だったかもしれないが、昨日は眠くて判断能力を失っていたので、なにかあったら自業自得だと思い、あとで考えることにしようと思考を放棄した。
紬の知識の座敷わらしというのは、わりと有名な話で『座敷わらしのいる家は幸せになり、座敷わらしが去った家は不幸になる』というものだ。
だが紬は、そんな非科学的な妖怪なんて存在を信じる気にはどうもなれない。
何故なら、妖怪は基本、人間の目には視えないからだ。
視えなくとも、肌で感じる風や、耳に聞こえる音、喜怒哀楽から生じる痛みや快楽ならあるが、五感でわからない存在を信じるというのが、紬にはどうもわからなかった。
そして、五感でわかる存在は、妖怪などという不確かな存在ではない、とも思っている。
ゆえに睦月は、人間である。これが紬の答えだ。
(睦月さんが座敷わらしというのは、冗談か、彼女が夢想家ということだろう。そもそも座敷わらしっていうなら、見た目は子どものはずじゃないか? 睦月さんはどう見ても二十歳前後だし、本人も二十歳で戸籍登録しているって言っていたから、その時点でやはりおかしいと訝しむべきだったんだ)
うんそうだ、と納得してから部屋を出た。
睦月が眠っているはずの隣の和室は、入り口のふすまが開いていた。
「睦月さん? 入りますよ?」
そう呼びかけてから中を覗き込むと、部屋の隅っこで体育座りをしながら携帯を見つめる睦月の姿があり、紬は少しだけ「これは妖怪っぽい……」と恐怖を感じた。
入ってきた紬に気づいた睦月は、パッと顔を上げて「おはようございます!」と、愛嬌のある笑顔で挨拶をしてくれた。その表情で「妖怪っぽい」という恐怖は消えていった。
紬が起きたとわかるやいなや、睦月は部屋のカーテンを開いた。
目が覚めてから時間は見ていないし、自分の部屋のカーテンも閉めたままだったが、カーテンを開くと部屋がとても明るくなった。もう9時くらい超えているのではないだろうか、とリビングにあるデジタル置時計を見ると、8時50分と表示されており、9時は超えていないが、似たようなものだった。
「昨日結局、何時に寝たんだったっけな。睦月さんは眠れましたか?」
「はい。少しだけ眠りました」
「少し……って、どのくらい?」
「……20分くらい眠りました」
「それ眠ったって言える、んですか?」
少し考えるような仕草をしてから、あっけらかんと答えた睦月に、呆れたような言い方をしてしまった。
でも仕方がない。
それは仮眠の域かどうかも怪しかったからだ。
何時間、ではなく分単位なのだから。秒でないだけ人間らしいなと思ったが、睦月は人間ではない、と昨日言っていたのを思い出した。
「……妖怪、座敷わらしってもしかして眠らないんですか?」
「いえいえ、眠りますよ。昨日は、まだこの部屋に慣れていなかったから、緊張して、眠気より興奮してしまったんです」
「なるほど。じゃあ、もし今日眠くなったら、日中でも構わず眠ってくれて構いませんからね?」
よく見たら、睦月に使ってもらうために昨日敷いた客用の布団が片付けられていた。
そしてカーテンを開いて、明るくなった室内を見て、部屋が綺麗になっていることに気づいた。
「なんか、いつもより部屋がキラキラしている……?」
外から差し込む光に、部屋中の家具が反射して輝いているように見えた。
「もしかして、これは座敷わらしの能力とかいうのと、関係しているんですか?」
「それはたぶん、夜の間掃除をしたからだと思います。どこか行き届いていない箇所など、気になるところはありませんか?」
「え、睦月さんが掃除してくれたんですか?」
「はい! 私、お掃除が好きなので! これくらいしか役に立つことがないですが……」
おそらくこれは謙遜ではなく、本当にそう思っているのだろう。とんでもない話だ。
「いえ、オレが初めてここに住んだときのように綺麗になってる……。オレは掃除が苦手なので、ありがたいです」
なので素直にそう礼を言えば、睦月はホッと胸を撫でおろした。
「お役に立てたようで、よかったです」
「あ、朝ごはんまだですよね。昨日帰りにコンビニで、菓子パンとサンドウィッチを買ったので、好きなほうを選んでください」
「そんな、置いてもらっている身分で先に選ぶなんてできません。紬さんが先に選んでください!」
「いえ、どっちも好きなので。選ぶの悩みますから」
本当はサンドウィッチのほうが好きだが、どちらか睦月が食べられない可能性も考えそう答えた。
「……じゃあ」
睦月は菓子パンを指さした。
もしかしたら紬がサンドウィッチを食べたいと思った思考が通じてしまったのでは、と思わなくもないが、睦月に選んでくれと言い、彼女が自分で選んだのだから、ありがたくサンドウィッチをいただくことにした。
そして食べようとしたとき、睦月がパン代をテーブルに置いた。
「気にしなくていいんですよ」
「いいえ。昨日はお気持ちに甘えて夕食代御馳走になってしまいましたが、一緒に住むのなら、こういうことはしっかり決めたほうがいいと思います。……あ、住まわせて、いただけるのでしたら、ですが」
「住んでも大丈夫ですよ。幸い部屋も二つありますし」
「ありがとうございます!」
睦月は満面の笑みで礼を言った。
その笑顔が、本当に可愛くて、紬はその笑顔を見るのが好きだなと感じた。
「そうですね。食べながら今後どうするか考えましょうか」
「はい」
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