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16 動機なんて大概は適当なものなのだ

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「とうちゃーく!」
 休憩を挟んだ後、僕たちは無事に山頂へとたどり着く事ができた。
 正確に言うと僕は無事ではないけれど……。
「あいちゃんいつも思うんだけどさ……」
「なーにぃ?」
「あいちゃんって体力の限界とかないよね……」
 愛衣は「そんな訳ないじゃん!」と涼しい顔で言った。
 本当にどうかしている。
 疲れてはいたけれど、山頂の空気は澄んでいて気持ちがよかった。
 山並みは美しく、見ているだけで僕の気持ちを落ち着かせてくれる。
「ほらー! やっぱり富士山見えるよー!」
 愛衣は嬉しそうに展望台から富士山の方角を指差した。
 彼女の指す先にはたしかに小さく富士山が見える。
「これが見れただけでも登った甲斐があったよ……」
「ほんとだよねー! たまには高尾山も悪くないかもね」
 普段、池袋の雑多な街で生活しているとこういう景色も悪くないものだと思う。
 愛衣はともかく僕は、こんな景色を見る機会が少なかったから余計だろう。
 自然に癒やし効果があるというのはどうやら本当らしい。
 一通り景色を堪能すると、僕たちは山頂の東屋で休憩する事にした。
「今日はねー。ちゃんとお弁当作ってきたんだー」
 そう言うと愛衣はリュックから布に包まれた箱を取り出した。
「おぉ! 珍しい! 手作りしたの?」
「そだよー。せっかくのトレッキングだし、何か変わった事したくてさー」
 愛衣が作ったサンドイッチは格別だった。(こう見えて彼女は料理が上手い)
 とくにタマゴサンドは絶品でコンビニで売っている物より数段美味しい。
「あいちゃんの手料理なんて食べるの何年ぶりだろ?」
「そうだよねー。高校ん時にチョコレートケーキ作ったのが最後じゃない?」
 高校時代。
 愛衣はバレンタインにチョコレートケーキを作ってくれた。
 そのケーキの味も絶品だった。愛衣には料理の才能があるのかもしれない。
「あれも美味かったよねー。あいちゃん、将来良いお嫁さんになれそうだねー」
「ありがとー。でも司法試験通ったらきっと料理とかしない人になりそう……」
 愛衣の専攻は法学部で彼女は僕より数段頭が良かった。
 理系に関しては僕の方が成績が良かったけれど、法曹関係では彼女に手も足も出ない。
 才色兼備のクセに『良い奴』なのだから彼女を見ているといたたまれなくなる。
「検察になれるといーねー」
「そだねー。頑張って良い検事さんになるって決めてるからさ!」
 彼女はサンドイッチを頬張りながらサラッと自分の夢を語った。
「のんちゃんはどうすんのー? 将来とか決めてないって前言ってたよね?」
「んー……。そうなんだけどさー……」
「やっぱミュージシャン? のんちゃん色んな楽器出来るもんね!」
 まるで小学生のような会話だ。
 得意だからそれを仕事にすれば? くらいのノリだ。
 法学部の優等生でロジカルな思考が出来るはずなのに、僕と一緒だと小学生同士の会話とあまり変わらない。
「それも考えものかなぁ……。ほら、音楽業界って浮き沈み激しいからさ」
「ふーん……。じゃあ『バービナ』も学生の間だけやる感じ?」
 愛衣はリュックから大きめの魔法瓶を取り出してほうじ茶を注いで僕に手渡した。
「お、ありがとう! そうだね……。それに京極さんも他に良いドラムが見つかったら僕の事外すかもしれないからさ……」
「そうなんだ……。もしかして京極さんに何か言われたの?」
 愛衣には『バービナ』の内情をそれとなく話していた。
 メンバーの性格や僕がなんで加入する事になったのかについて彼女はよく把握している。
「前にも言ったけどさ。京極さん自由人なんだよ。いい人なんだけど気まぐれでさー。他の二人はともかく彼女はそのうち僕を「いらない」って言い出しそうな気がするんだよねー」
「うーん……。そんなに自分勝手な人なんだ……」
「いやいや、自分勝手とかとは違うよ……。彼女は僕のスケジュールとかいつも気にしてくれてるし、気さくで優しいと思う」
 愛衣の頭の上にクエッションマークが浮かんでいるのが見えた。
「えーと……。どういう事? なら問題ないじゃん?」
「彼女の事を説明するのはすごく難しいんだよ……」
 僕自身、彼女が考えている事を理解するのはかなり難しい。
 それを他人に話すとなればもうなんて言っていいのやら……。
「よし! じゃあ洗いざらい吐いてもらおうか!」
「え?」
「だから! 全部話して! 全部! 客観的に何があったかだけで良いよ! その時にのんちゃんが『~だと感じた』とか、『~だと思う』とか主観は一切いらないから!」
 愛衣はこういう話になると、たちまちロジカルにモノを考える。
 こういうところを見ると確かに検察官の適正があるのだろう。
「じゃあ……」
 僕は愛衣に言われた通り、実際に目の前で起きた事実だけを彼女に説明した。
 彼女は時々、『うん……』と相づちを打つだけでそれ以上何も言わない。
 話の内容は大叔母に呼び出された日の事から、この前の病室での一件までだ。
「……という訳なんだけどさ……」
 話してみると意外とアッサリした内容だ。
 大叔母に紹介された『バービナ』というバンドに欠員が出たのでたまたま入る事になり、少し仲良くなれたと思った矢先に京極さんの本意がわからなくなってしまった……。
 その程度の話だ。
 愛衣は瞳を閉じて何かを考えていた。
 彼女は自身の言葉を僕用に翻訳してくれているのだろうと思う。
「わかったよ……。それは考えちゃうよねー……。それで? のんちゃんはこれからバンド活動どうしていきたい?」
「どうしていきたいか……」
 改めて聞かれると難しい。
「そんなに難しく考えないでいいよ。『演奏のレベルアップしたい』とか『メンバーと仲良くなりたい』とか『人気になってお金たくさん貰いたい』とかそんな感じで良いからさ」
 目標……。
 確かに僕は『バービナ』に入ったものの目標がなかった。
 流れに身を任せて彼らと一緒にやって行こうと思っていただけだ。
「ごめん。目標とか決めてないんだ……」
 愛衣は「はぁ……」と小さなため息を吐いた。
「いいんだけどさ……。別に目標ってほど大それたものじゃなくていいんだよ。もっと簡単に言うと、『バービナ』で活動してのんちゃんはどんな事が楽しいのかかな?」
 楽しい事……。
 一体僕は彼らと一緒にいて何が楽しいのだろう?
「演奏はしてると楽しいと思う……。多賀木さんとリズム合わせるのは気持ちがいいし、七星くんが毎回成長してるのを見るのもいいね」
「うんうん! それで?」
「あとはね! 京極さんの歌ってる後ろ姿見てるのは最高だよ! 彼女本当に楽しそうに歌うんだ!」
「のんちゃんさー。すごく簡単な話だったんだと思うよ?」
 愛衣はにっこりと笑いながら続ける。
「のんちゃんはバンドメンバーと一緒に演奏してるのが好きなんだよ。多賀木さんや七星くんともきっと相性がいいんだと思う。でも一番好きなのはきっと京極さんなんだろうね!」
「そうなのかな……」
「なんでのんちゃんて自分の気持ちに鈍感なんだろうねー。すごくシンプルな話じゃん! のんちゃんはただ『バービナ』の中で演奏していたいんだよ! それで、もっともっとレベルアップして他のメンバー……。特に京極さんに認められたいんだよ!」
 愛衣は鬼の首でも取ったようにそう言うと僕の肩を小突いた。
「たしかにその通りだけどさ……。でもそんな理由でいいのかな?」
「私だって検察になりたいのは、TVドラマ見てカッコ良かったからっていう単純な理由だし! 動機なんて適当なもんなんだよ。のんちゃんは志望動機とか生き方とか難しく考え過ぎだよねー」
 完全に正論だと思う。
 動機なんて大概は適当なものなのだ。
 その適当さの根源にあるものは「好き」という単純な感情でしかない……。
「確かにそうだね。僕がドラム始めたキッカケだってTVで見たバンドがカッコ良かったってだけだったよ」
「そんなもんだよ! でさー、のんちゃん的には京極さんに認められたいのに前任者に負けたような気持ちになっちゃったんだと思う。でもそれって傲慢だと思うよ? だって前のドラマーさん何年も京極さんと一緒にやってきたんでしょ? そりゃー勝てる訳ないって! 言い方が悪いけどのんちゃんは嫉妬してるだけだかんね!」
 僕は愛衣に何も言い返せなかった。
 彼女の言う通り僕は松田さんに嫉妬していただけだ。
「本当にあいちゃんは容赦ないよ……」
「今更何言ってんの? でもまぁ……。せっかくバンド始めたんなら続けたら良いと思うよ! のんちゃんの話を客観的に聞いた感じだと悪くないと思う。焦らずじっくりやってれば京極さんだってそのうち認めてくれるよー」
 その日の愛衣は救世主のように見えた。
 毎日顔を合わせているというのにこんな風に思うのだから酷い話だ。
「あいちゃん!」
「なぁに?」
「今日は一緒に登ってくれてありがとうね!」
 僕は珍しく彼女に感謝を伝えた。
「いいって。なんて事ないよ! 早く京極さんに認めてもらえるといーねー」
 東屋から見える景色は登った時のものとは全く別ものだ。
 僕は心の中で再び彼女に「ありがとう」と呟いた——。
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