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8 これっぽっちも期待していない

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 『バービナ』との約束の前日。
 高嶺さんから電話が入った。
『竹井くん? ちょっと時間もらえっかな? 明日の事でちょっと前もって話しておきたい事があるんだ』

 高嶺さんの声はこの前のように不機嫌そうではない。
「いいですよ」
『したらねー。今出先だから場所指定してくれない?』
「え? 今からですか?」
 僕はあまりに急な誘いに思わず声をあげてしまった。
「ん? 問題あり?」
「いえ……。じゃあ、池袋の喫茶店来れます?」
『いーよー! ちょっと待っててね!』
 あまりにも急すぎる誘いだ。
 まぁ僕自身、今は暇をしていたし断る理由もないけれど……。
 先に喫茶店に着いたのは僕の方だった。
 店内は買い物帰りの主婦とビジネスマンで賑わっている。
「あのーすいません。待ち合わせなんですが……」
「いらっしゃいませ! おタバコはお吸いになります?」
 店員のその質問に一瞬考えたが、高嶺さんの事を考えて「吸う」と伝えた。
 奥の喫煙席に進むと当然の事ながらタバコの煙が充満している。
 これだから喫茶店は嫌いだ。
 この前、大叔母と話した時もこんな感じだった。なぜ喫茶店に集まる連中はこんなにプカプカとタバコばかり吸っているのだろう。
 高嶺さんが来るまでの間、店員にコーヒーを頼んで大学の課題に取りかかる。
 いくらこれからバンド活動するとはいっても課題を疎かにはできない。
 僕が課題に二〇分くらい集中していると、テーブルの前に人の気配を感じた。
 女子特有の甘い匂いが鼻を突き、その人間が誰であるかすぐに理解した。
 僕は視線を上げる。
 そこには高嶺さんが仁王立ちするかのように堂々と立っていた。
「おまたせ! ごめんねー。急に呼び出して! どうしても二人で話したくてさー」
「構いませんよ! 僕も高嶺さんとは一回話しておきたかったので」
 高嶺さんは座るとすぐに店員に注文を伝えた。
 店員にブレンドコーヒーを注文すると、高嶺さんはこちらに向き直った。
「で? ジュンと七星はどうだった?」
「へ?」
「この前、会ったんでしょ? 二人から聞いたけど楽しく話したらしいじゃん! 特に七星は一緒にゲームしたって喜んでたよ?」
 話をしているとすぐに店員がコーヒーを運んできた。
 高嶺さんは運ばれてきたコーヒーにミルクを大量に流し込んだ。
 あっという間にコーヒーは茶色と乳白色が混ざった液体へと変化してしまった。ついでに砂糖も三杯入れる。
 何故、最初からカフェオレにしなかったのだろうか?
 疑問には思ったけれど、僕はその事について特に触れなかった。
「そうですね……」
 僕は引きつったような笑いを浮かべる事しか出来なかった。
 高嶺さんから、何か得体の知れない圧のようなものが感じられたのだ。
「ああ、あんまり構えなくて良いよ? それよりこれから一緒にやってくからさ! 二人の事どう感じたか知りたいんだー」
 そう言うと高嶺さんは少女が戯けたような顔になって僕の瞳を覗き込んできた。
 僕は二人に会った正直な感想を彼女に伝えた。
 おそらくこの人に隠し事は出来ない。
 高嶺さんは先ほどとは打って変わって穏やかに僕の話を聞いてくれた。
 彼女は相づちを打つのが上手く、聞き上手な営業マンのように感じられた。
 もし、スーツに着ていたならかなりそれっぽく見えるかもしれない。
 気が付くと僕は高嶺さんとすっかり打ち解けていた。
 そんな彼女の姿を見ていると、この前会った高嶺さんとは別人のようにさえ思えた。
「この前さー、メンバーとお好み焼き食いに行ったんだよー。めっちゃうまくてさ! そうだ! 竹井くんの歓迎パーティーもそこでやろうかなー」
「ありがとうございます! あの高嶺さん?」
 僕は気になっていた事を彼女に聞いている事にした。
「なーに?」
 高嶺さんはリラックスしながら聞き返す。
「なんで僕の事、選んだんですか?」
 僕はド直球な質問を高嶺さんに訊ねた。
 彼女は僕のそんな言葉に少し驚いた顔をしていたが、すぐに口元を緩めた。
「竹井くんさぁー。自分に自信がないの? 私は単純に君の腕がいいから採用したんだよ?」
 彼女はそう言うとコーヒーに口をつけた。ミルクを入れすぎたコーヒーは茶色掛かった牛乳にしか見えない。
「でも……」
 僕はそこまで言いかけて口を噤んだ。
 一体何が「でも」なのだろう? 高嶺さんの言う通り技術的に認められただけじゃないのか?
「なんかウチのバンドで気になる事でもあんの?」
 高嶺さんは何か含むような言い方をした。
「いえ……。あの、なんと言いますか……」
「ああ! もう煮えきんねーな! はっきり言えよ!」
 彼女は急に荒っぽい言葉を吐いた。不思議と口調自体は穏やかなままだ。
「僕なんかに松田さんの代わりが務まるんでしょうか? 多賀木さんと七星くんの話聞いてたらなんかそんな気がして……」
 僕は自分で言っていて情けない気持ちになった。
 仮に自信がないにしても他の言い方があるだろう。
「……。安心して良いよ」
 高嶺さんは優しく冷たい口調でそう言うと、タバコを取り出して口にくわえた。
「でも……」
 僕は性懲りもなく同じ言葉を繰り返す。
 彼女は呆れたようにタバコに火を点けると煙を吐き出しながら恐ろしく淡々と言葉を続けた。
「別に大志の代わりが務まるなんてこれっぽちも期待してねーから」
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