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第十一章 成田国際空港 北ウイング

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 お風呂から上がるとリビングで兄が腕立て伏せしていた。思えばこの人帰って来るといつもこうなのだ。おそらく仕事柄筋トレがクセになっているのだと思う。
「筋トレ?」
「ん? ああ、そうだよ。サボるとすぐに筋肉落ちるからさ」
 兄はそう答えながらも身体を上下に動かしていた。なかなかシュールな光景だ。正直に言えばかなり変だと思う。
「明日の夜には帰るの?」
「そうだよ。同窓会終わったらすぐに百里に戻ると思う」
 百里……。隣県にある航空自衛隊の基地のある場所だ。聞いた話によるとそこはとても田舎らしい。まぁ成田も大概田舎なので大差ないとは思うけれど。
「そっかー。もうちょっとゆっくりできればいいのにねぇ」
「まぁね……。でも仕方ないよ。お盆だって休みは貰うしあんまり長居するわけにもいかないんだ」
 兄はそう言うと腕立て伏せを中断して立ち上がった。そして冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと一気に喉に流し込んだ。その様子は兄がまだ高校生だった頃とあまり変わっていない気がする。兄は昔から体力バカなのだ。ネットスラング風に言えば『脳筋』というやつなのだと思う。
「母さんが聖那のこと褒めてたよ」
 不意に兄はそんなことを言った。母が私を褒めた? にわかに信じられない。
「マジで? 褒められるようなことしてないけどなぁ。成績だって今期は一位取れなかったし」
「違う違う。試験じゃなくてバイトのことだよ。……てか母さんは聖那が全国模試でトップ取ったって褒めたりしないと思うよ? あれでなかなかハードル高いからね」
 兄は呆れ気味に言うと今度はスクワットを始めた。本当に体力バカ。文字通り脳みそまで筋肉なのかも知れない。
「まぁ……ね。そりゃそうか。お母さんあんなでも昔は優秀だったんでしょ?」
「うん! らしいよ。意匠設計したいからって芸大行ったけど本当はもっと上の大学目指せるくらい頭良いらしいからね。ま、眉唾だけどさ」
 兄はそんな親戚のおばちゃんから訊いたであろう知識を披露しながらもスクワットを続けていた。その姿は父の若い頃そっくりに見える。実際父も体力バカなのだ。おそらく父も船上では身体を鍛えながら毎日こんな風に仕事をしているのだと思う。
「聖那は……。母さんに似て良かったね。俺みたいに体力しか取り柄ないと……。ずっとこき使われてばっかだし……。勉強が……。できるのは……。良いことだと思う……。よ」
「……お兄ちゃん少しは休んだら? 汗やばいよ?」
 私はそう言って兄にタオルを差し出した。兄は「ああ、そうだね」と私の手からタオルを受け取ると顔を拭った。そして深呼吸するとその場にへたり込んだ――。
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