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第八章 成田山新勝寺 表参道

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 そんな日常はあっという間に過ぎていった。そして父とも少しずつ打ち解けられたし弥生とはもはや親友と言っても良いくらい仲良くなった。おそらくそうなれたのは少しずつ母の記憶が私の心から抜け落ちたからだと思う。まぁ、それは父と弥生が私の心に寄り添ってくれたからなのだけれど。
 だから私は今いるこの場所を第二のスタート地点にしようと思った。私のことを大切に思ってくれるこの人たちを私も大切にしよう。素直にそう思ったのだ――。
 
 そんな風に私が殊勝な考えを持つようになった頃。弥生が酒々井から離れることになった。理由は彼女の両親の離婚調停……。だったらしい。まぁこれは随分あとになってから知ったことなのだけれど。
「ごめんねメイリン……」
 弥生はそう言うとその綺麗な青い瞳から大粒の涙をこぼした。その涙は彼女の頬に線を作りながら首筋に流れていく。
「泣かないで! 絶対絶対また会えるから! もう少し大きくなったら弥生んとこにも遊び行くから!」
 私はそう言って弥生をギュッと抱きしめた。そして「大丈夫だから」と彼女の背中をゆっくりとさすった。本当は私だって辛い。でも泣き顔を見せるわけにはいかないのだ。最後に見た友達の顔が笑顔じゃないなんてあんまりだと思うから……。
 抱きしめていると弥生は私の胸に顔を埋めた。そしてそのままずっと泣き続けた。もう感情の行き場が分からない。どこにもたどり着けないし、たどり着きたくもない。弥生の体温から彼女のそんな思いが染み出しているように感じた――。

 弥生が酒々井を離れてから程なくして私は小学校に入学した。その頃にはすっかり私も純日本人的になっていて、『趙美鈴』という名前よりも『香取美鈴』という名前の方がしっくりくるようになっていた。……と言ってもそれだけで何かが変わったわけでもないのだけれど――。

 話は前後するが、父――。もとい香取春秋は本来は私の伯父だった。つまりは父の弟が私の実父ということになるらしい。
 父から聞いた話だと実父はだらしない男だったようで横浜中華街で知り合った私の母親と短い間一緒に暮らしていたそうだ。そして子供ができたと知った途端蒸発したとか……。自分の実父ながらなかなかのクズだと思う。
 そんなクズみたいな実父は今現在行方不明らしい。連絡先も分からないし、何なら生死さえ不明。そんな状況だ。……だから思う。徹頭徹尾クズ野郎だと。
 ともかく私はそんな感じで父の養子になったわけだ。アラサー独身男と中国人と日本人のハーフの幼児。客観的に見ればかなり歪な家族だと思う。
 でも……。そんな中でも父は私を本当の娘として扱ってくれた。良いことをすれば褒めてくれたし、悪いことをすればちゃんと叱ってくれた。言葉にするとチープだけれど父は私に本当の愛情をくれたのだと思う。
 だから私は自然と父に尊敬の念を抱くようになった。そして同時に父に貰った愛情をきちんと返したいと思った――。
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