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第七章 水郷会児童福祉施設 あけぼし

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 それから私たちは搬入を手伝うために裏口に向かった。本来、搬入作業は私たちの仕事ではないけれど、指をくわえて見ているというわけにもいかないだろう。まぁ……。これは私の意思ではなく弥生さんからの指示なのだけれど。
 裏口から出るとてんびん座の団員たちがトラックから荷物を降ろしていた。プロジェクターや色とりどりの布、あとは張りぼての岩や衣装。それらが次々と駐車場に降ろされていた。どうやらこれを全部今日の興行で使うらしい。
「とりあえず……。皆さんには衣装をブルーシートの上に並べて貰います。それで並べ終わったらこのリストと照合してください」
 住吉さんはそう言って弥生さんにクリップボードを渡した。弥生さんは「分かりました」と淡泊に答えると「じゃあ聖那ちゃんは袋から衣装を取り出して。メイリンはそれを種類ごとに並べて」と的確な指示な出した。その様子は普段の彼女からは想像できないくらい『デキる女』って感じがする。
 それから私は言われるがまま衣装を袋から引っ張り出していった。袋の中で絡まっていた衣装をほどきながらブルーシートの上に投げる。そして美鈴さんがそれを一枚一枚丁寧に並べる。そんな流れ作業だ。別に難しいことなんて何もない。
 そんな私たちの横で弥生さんは瑞穂さんと何やら話し込んでいた。瑞穂さんはさっきとは打って変わって朗らかな笑顔を浮かべている。まるで別人みたい。そう感じるほどに。
「おーい鹿島ちゃん! 悪いんだけどここお裁縫お願い!」
 衣装を並べながら美鈴さんが香澄さんに声を掛けた。香澄さんは「はーい」と言って美鈴さんから衣装を受け取るとその場で縫い物を始めた。そしてものの一分で縫い終わるとそれを美鈴さんに返した。早すぎる。流石は天才縫い子だ。
 そうこうしているとトラックの箱形の荷台から女性が顔を覗かせた。そして「瑞穂ー。ドラゴン降ろすよー」という声が聞こえた――。

「今行くよ」
 瑞穂さんはそう言うと弥生さんに手を振ってトラックに走って行った。弥生さんは小さく会釈するとこちらに向き直る。
「並べ終わった?」
「あいよ。これで全部じゃないかな? 一応鹿島ちゃんに頼んでほつれは直して貰ったから」
「了解! 香澄ちゃんもありがとね……。んじゃチェックするよ」
 弥生さんはそう言うとクリップボードを持って衣装の数をチェックし始めた。結構な数なので思いのほか時間が掛かりそうだ。
 トラックに目を遣ると荷台からドラゴンの赤い尻尾が飛び出していた。そして徐々にそれはこちらにせり出してきた。その様子はかなりシュールで思わず笑ってしまいそうになる。
 でもそんなおかしな絵面とは裏腹にそのドラゴンはかなり精巧に作られていた。小劇団が作ったとは思えないくらい妙にリアルで、仮にこれを映画のセットだと言われても違和感がないレベルだと思う。
「あのドラゴンすごいね……」
 私は独り言みたいに呟いた。すると弥生さんが顔を上げて「だよねぇ」と反応してくれた。
「マジですごいよね。あれ瑞穂さんがほぼ一人で作っちゃったらしいよ? さすが芸大の学生さんだよねぇ」
「え! アレって瑞穂さんが作ったの!?」
 思わず私はそう聞き返した。どうやら彼女はただ感じが悪いだけの女子大生ではないらしい。
「うん。瑞穂さんはすごいんだよ。てんびん座の小道具・大道具の大半はあの人の作品だからねぇ。ま……。だから逢川さんもてんびん座に下請け出してるんだろけど」
 弥生さんはそう言うと視線を奥にいる逢川さんに向けた。そして「ろくに口も利かない癖に瑞穂さんの才能は評価してるんだよ。あの人は」と言って苦笑する。
「なんか……。あの二人険悪だったよね。何かあったのかな?」
 私は聞くとはなく逢川兄妹に何があったのか弥生さんに探りを入れてみた。でも弥生さんは「うん。まぁ……。そうね。色々あったぽいねぇ」と言葉を濁した。その言い方には『私の口からは言えないよ』というニュアンスが含まれているように感じる。
「気になったんなら直接逢川さんに聞いてみりゃいいさ。たぶんあの人教えてくれるからさ」
 私たちがそんな話をしていると美鈴さんが間に入ってきた。
「メイリンさぁ……。わざわざ逢川さんちの家庭の事情聞きに行かせてどうすんの?」
「いやいや。逆にアレだよ? あんだけ仲悪げなのに触れられないほうがキツいって! 何も言われないのが一番堪えるんだから」
 美鈴さんは悟ったように言うと「だから気になったら聞くと良いよ」とダメ押しみたいに付け加えた。確かに美鈴さんの言うとおりだとも思う。腫れ物を扱うにみたいに触れないほうが……。ずっと不健全な気がする。
 それから程なくしてトラックの荷台から全ての荷物が降ろされた。もちろんドラゴンも降ろされた。張りぼてとは思えないほどリアルな。そんな張りぼてドラゴンが――。
 
 てんびん座の劇団員たちが降ろした荷物のセッティングをしている間。私たちは施設長室に戻って今日の流れを確認した。と言っても私のやることはほとんどない。三人で悪役と対峙してうなずき合う。そして単身でドラゴンに突っ込んでいって吹き飛ばされた美鈴さんを治癒する。本当にそれだけだ。
「今回は私が盾になってる間に聖那ちゃんがメイリンを癒やすってとこが一番難しいと思うんだ。基本は私が一人で耐えてるシーンだけど……。それでも二人の演技も十二分に注目されるはずだからね」
 弥生さんは口元に手を当てながらそう言うと「ま、ちょっとアドリブして観客の注意をこっちに向けるよ」と言った。
「そうだね。そのほうがいいかもね。いくら何でも今日デビュー戦の聖那ちゃんに注目当てるのはあんまり良くないからね」
 美鈴さんは眉間に皺を寄せながら弥生さんの意見に同意する。どう足掻いても今日の私はお荷物なのだ。そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 そんな私に気づいたのか弥生さんが「聖那ちゃんは今日は半分見習いってことでよろしくね。まずは体験するのが大事だから」とフォローしてくれた。美鈴さんも「そうそう。ちょっとぐらい失敗しても問題ないから」とそれに続く。
「ありがと……。でもお金貰うんだから失敗しないように頑張る!」
 私はそう答えながらも自身の身体の震えを感じずにはいられなかった。思えば演劇なんて幼稚園でやった笠地蔵の地蔵B役を演じて以来やったこともないのだ。そう考えると否応なく不安が積もる。
 そうこうしていると施設の女性職員が施設長室にやってきた。そして「そろそろ移動お願いしまーす」と言った。いよいよ本番。私の魔法少女デビュー戦だ。
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