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第六章 オフィス・トライメライ 幕張研修所

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 翌日。私はロケ地があるデトロイト市内の廃墟を訪れていた。そこは古びた廃教会で外観はレンガ造りの建物だった。今回撮影に使うのはこの建物の礼拝堂らしい。
「おはようございまーす」
 私が現場で衣装に着替えているとそう言って演者さんたちがやってきた。彼女たちは皆既に魔法少女の衣装に着替え終わっていて、天沢さんもピンクのふわふわした衣装に身を包んでいた。しかもピンクのウィックまで付けている。誰がどう見ても魔法少女。そんな見た目だ。
 そうこうしていると天沢さんに声を掛けられた。彼女は昨日と変わらず気さくで、それでいてどこか女優としての風格のようなものを漂わせていた。そんな彼女に見て思わずドキッとする。
「昨日は一緒にお茶してくれてあんがとね」
 天沢さんはそう言うとニッコリ笑った。彼女の衣装とメイクのせいで本物の魔法少女にお礼を言われたような感覚に襲われる。
「こちらこそありがとうございました」
「どういたしまして! 昨日はよく眠れた? 時差ぼけ大丈夫?」
「はい、すっきり寝れました。今日はよろしくお願いします!」
「そっかそっか。寝られたんなら良かったよ。こっちこそよろしくね! 撮影楽しもうね!」
 天沢さんはそう言うと私の頭を優しく撫でてくれた。そして彼女の細い指が髪に触れると少し顔が熱くなった。憧れの先輩に優しくして貰えた。それだけですごく幸せな気持ちになれた――。
 
 それから天沢さんたちの撮影が始まった。天沢さんが主人公で他に三人の魔法少女役の女優さんたちがいた。全員見たことのある顔だ。たぶんタレントやモデル出身の人たちなのだと思う。
 
 愛の力で世界を浄化する最強の魔法少女『アポカリプティックセラフ』役は天沢天音。
 
 情熱の力で悪しき者を焼き払う炎の魔法少女『アポカリプティックハイドラ』役は赤羽可憐。
 
 慈愛の力で全ての人たちを癒やす風の魔法少女『アポカリプティックシルフ』役は椎名美野里。
 
 創造の力で新たな命を生み出す知恵の魔法少女役『アポカリプティックアテナ』役は諏訪麗子。
 
 そして私はそんな彼女たちを見習う魔法少女『アポカリプティックエルフ』役……。だ。

 我ながら割と重要な役を任された気がする。マスコットポジションとはいえガッツリストーリーにも絡むらしいし、あまり下手な仕事はできないと思う。
 だから私は撮影前に鏡に向かって『失敗はできないんだよ弥生』と自分自身に言い聞かせた。失敗なんてできないのだ。ここで躓いてしまったらもうあとはないかも知れない。もう仕事は貰えないかも知れないし、もう叔母さんに期待して貰えないかも知れない。
 この仕事はそれぐらい重要なのだ。それは幼い私にも十二分に理解できた。
 そうこうしていると廃教会内に天沢さんの声が響き渡った――。

 礼拝堂を覗くとそこにはたくさんの大人がいて仰々しい撮影機材があった。以前私が経験したドラマとはわけが違う。そこにあるのは紛れもなくアクション映画の撮影風景だ。
 そんな大げさなスタッフたちの奥に彼女たちはいた。中央に天沢さん。彼女の横には赤髪の魔法少女。彼女たちは互いの背中を預け合うみたいに礼拝堂の中央に立っている。
「ハイドラ……。まだいける?」
「うんにゃ。厳しいかも……。でも! 行くっきゃないっしょ!」
 二人はそんな台詞を言うと赤髪の魔法少女が礼拝堂奥にある張りぼてのドラゴンに槍を突き立てた。そして槍を突き立てた瞬間に天沢さんが呪文を唱え始める。
「熾天使の名においてヒュドラに力を与えよ……。アルティメットエンハンス!」
 天沢さんがそう唱え終わるとその張りぼてドラゴンの周りから大きな火柱が上がった。……まぁ、実際は火柱っぽい低温花火だけれど。
 それから赤髪の魔法少女はその張りぼてドラゴンから槍を引き抜いた。そして「ざっとこんなもんよ!」と言って鼻の下を人差し指で擦る。その仕草はまるで少年漫画の主人公のようだ。ベタベタで昭和な……。そんな仕草だと思う。
 そんな彼女を天沢さんは微笑みながら見つめていた。そして天沢さんはゆっくりと天を仰ぐみたいに天井を見上げた――。
 
「カット! OKでーす! 二人とも良かったよ!」
 カットが掛かるとスタッフの男性がそう言って天沢さんたちの所に駆け寄っていった。そして彼女たちから武器を受け取ると「三〇分くらい休憩ね。セット変えるから」と言って天沢さんの背中を軽く叩いた。天沢さんは「了解です!」とだけ答えて額の汗を拭う。
「生で見るのは初めてだけどやっぱりあの子はすごいわ」
 撮影の様子を一緒に見ていた叔母さんが不意にそんなことを言った。そして蔵田さんに「素人目に見てどう?」と話を振った。蔵田さんは「間違いなく逸材ですね。あの歳でああなんだから末恐ろしい」と答える。
「ああ、本当にね。数年後は日本を代表する女優になってるかもね……」
 叔母さんはそう言うと遠い目で天沢さんに見た。眩しくて直視できない。その目にはそんな色が浮かんでいた。

 天沢さんたちが休憩に入ると私は単独の撮影に入った。と言ってもやることは単純。さっきのシーンの後に礼拝堂に入って張りぼてドラゴンに近づくだけ。台詞もない。そんな演技だ。
 叔母さんからは「いつも通り指示通りにね」と言われた。私の最も得意なこと。言われたことを言われたまま演じる。過不足が一切ない演技だ。
 最初に恐る恐る扉を押し開ける。そして震えながら礼拝堂を覗く。覗いた後はハッとした顔をする。そして一歩、また一歩と礼拝堂を進んでいく。それだけのことだ。気にするのは足取りと表情だけ。本当に言われたことしかしない。
 そして数歩歩いた後、立ち止まって張りぼてドラゴンの前で呆然と立ち尽くすと「カット!」という声が聞こえた。そして「OKでーす!」という甲高い声が礼拝堂に響く。
 正直に言えばこの程度の演技とも言えないような演技で良いのかと不安になった。赤羽さんみたいに立ち回ったわけでもないし、天沢さんみたいに台詞と表情でカッコよくキメたわけでもない。やったのはほんの数十秒の動作だけだ。
 そんな私の思いとは裏腹に大人たちは私のことを褒めてくれた。「さすが弥生ちゃん」だとか「良い演技だった」とか実にならない言葉ばかりたくさん貰った。リテイクなしで本当に良いの? と不安になるほどに。
 そうこうしていると天沢さんたちが休憩から戻ってきた。
「天沢さぁ。あんた本番前によく食うよね?」
 赤羽さんはそう言うと天沢さんを軽く小突いた。見ると天沢さんの手には大きなハンバーガーらしきものが握られている。
「だってお腹空くじゃんよー。バネっちはよく我慢できるね?」
「……はぁ。あんたは良いよ。食っても太んない体質なんだから。ウチは食ったらすぐデブデブだよ?」
「マジで? バネっち私より細くない?」
 彼女たちはそんな風にまるで女子高のガールズトークみたいな会話をしていた。その間も天沢さんはハンバーガーをムシャムシャ食べ続ける。
 そうこうしていると他の二人の魔法少女が礼拝堂に入ってきた。モデル出身の椎名さんと今回オーディション採用されたという諏訪さん。二人ともすごく大人びて見える。
「天音ちゃん食いしん坊だよねぇ」
 椎名さんはそう言うとハンカチで天沢さんの口に付いたケチャップを拭いた。そして「メイクさーん。天沢さんの口が汚れちゃいましたー」と言ってスタッフを呼んだ。天沢さんは「ごめんなさーい」とそれに続く。
「あーあ、だから食事は撮影のあとにしてって言ったのに……」
 メイクさんはそう言うと天沢さんを連行していった。そして「五分間天沢さん待ちでーす」と言って監督に視線を送った。監督は「天沢ちゃんさぁ。いい加減にしてよ」と笑う。
 私はそんな彼らの様子を見てどこか羨ましく感じていた。きっと彼らには演者とスタッフ以上の絆があるんだろうな。そう思ったのだ。
 私もいつかあんな風になりたい。そのときの私はそう思っていたのだ。憧れの天沢天音みたいに――。
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