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第六章 オフィス・トライメライ 幕張研修所

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 弥生さんはそこまで話すと「ふぅー」とため息を吐いた。そして「ね? 長話になっちゃうでしょ」と言って笑った。話の感じから察するにまだまだこの話は続きそうだ。
 そうこうしていると香澄さんと女将さんが料理を運んできてくれた。天ぷら定食と刺身御膳。あと親子丼。どうやら香澄さんの言っていたまかないは親子丼らしい。
「お待たせしましたー。温かいうちにどうぞ」
 香澄さんはそう言うと私の前に天ぷら定食を置いた。天ぷらと味噌汁とご飯。あと小鉢が二つと三日月型のグレープフルーツ。そんな感じのご飯が目の前に並んだ。一目見ただけで美味しいと分かる。そんなメニューだ。
「女将さんありがとうございます。いただきます」
 弥生さんはそう言って女将さんに頭を下げるとご飯に手を合わせた。そして私も同じようにして「いただきます」と言った――。
 
 それから私たちは遅めの夕食を食べた。天ぷら定食の味は想像以上で、思わず「これ美味しい」という言葉がこぼれる。
「ありがとうございます。叔母さん料理上手いんですよぉ」
「いえいえ。こっちそこありがとうございます! こんな美味しい天ぷら食べたの生まれて初めてかも」
 私は誇張でも何でもなく素直な感想を言った。香澄さんは「聖那ちゃんってお上手なんですね」とまるでおばちゃんみたいなことを言うと「フフフ」と笑った。その笑った顔はどことなく女将さんに似ている気がする。
「聖那ちゃんが喜んでくれたなら良かったよ。香澄ちゃんありがとね」
「こっちこそだよー。叔母さんも弥生ちゃん来てくれて喜んでたし」
 香澄さんはそう言ってニッコリ笑った。UGでしていた営業スマイルではない。そんな素朴な笑顔で――。

 食事を終えると私と弥生さんは研修所に戻った。香澄さんとは『鹿の蔵』でお別れだ。彼女は少し店を手伝ってから自宅に戻るらしい。
「ただいま……。と」
 弥生さんは研修所の鍵を開けると中にそう声を掛けた。そして手探りで玄関照明の電源を入れる。
 それから私たちは二階にある寝室に向かった。そしてそこで私は弥生さんからスウェットのルームウェアを受け取る。
「今日はこれ着て寝てね。あと……」
 弥生さんはそう言うと新品のブラとショーツをバッグから取り出して私に差し出した。そして「これは香澄ちゃんから」と言った。なぜ香澄さんが? と一瞬頭にはてなマークが浮かぶ。
「ほら、今日は社長命令でこっち泊まりになっちゃったでしょ? だから社長が香澄ちゃんに下着の準備頼んでくれたみたいなんだよね。……嫌でしょ? 下着変えないで初バイト」
「ありがとう……。香澄さんにお礼言いそびれちゃった。出雲社長にも……」
「ん? ああ、次会ったときに言ったらいいよ。……そうしたら聖那ちゃん先にお風呂入っちゃって! 私は今からメイリンに連絡してみるからさ」
 弥生さんはそう言いながら付けていたコンタクトレンズを外した。どうやら弥生さんは普段、メガネとコンタクトレンズの両方を付けているらしい。しかもメガネは伊達。コンタクトレンズはカラーコンタクトのようだ。
 コンタクトレンズを外した弥生さんの瞳は……。ブルーハワイのように青かった。出雲社長と同じ。そんな色をしている。
 だから私は「綺麗な目だね」と思ったことを素直に彼女に伝えた。弥生さんは「ありがとう」とだけ言ってクスリとも笑わなかった――。
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