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第六章 オフィス・トライメライ 幕張研修所

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 春日弥生の話
 
『あなたは特別な存在なの。だから胸を張りなさい』
 
 叔母さんは項垂れる私に向かってそんな言葉を掛けてくれた。優しい声だ。両親からもこんな言葉が欲しかった。そう思ってしまうほどに――。
 
 五歳になったばかりの私は自分の意思とは関係なく生まれ育った酒々井を離れて幕張の叔母さんの家に預けられた。理由は両親の離婚協議。まぁ……。これに関してはかなり後になってから知ったことなのだけれど。
 私の母は大学時代にミスコンで優勝するくらいには綺麗な人だった。いや、綺麗という表現はあまり正しくない。どちらかと言えばそれは可愛いと言った方が正しいと思う。
 そんな母は大学を卒業してすぐに成田空港の管制官になった。詳しくは知らないけれど管制官というのは難しい仕事らしい。たぶん母は何事においても器用なのだ。娘の私が気味悪く思うほどに。
 そして母は就職してから数年後、建築士をしていた春日太一という男と結婚した。理由は……。私にはよく分からない。特に金持ちってわけでもイケメンってわけでもない。これといって魅力的な部分があるとも思えない。春日太一はそういう男なのだ。……まぁ自分の父親のことをここまで悪く言うのもどうかと思うけれど。
 ともかくその結果として生まれたのが私だった。三月一日に生まれた女の子。だから名前は弥生にしよう。両親はそんな理由で私にそんな単純な名前を付けたのだ――。
 
「弥生ちゃん。この部屋好きに使っていいからね」
 叔母さんはそう言うとベッドと机と空の本棚のある部屋を私にあてがってくれた。そして「困ったことがあったら何でも言ってね」と言って私の頭を撫でてくれた。その手の感触はとても優しくて、そしてとても力強く感じた。大好きな叔母さん。この人が本当のお母さんだったら良かったのに……。幼いながらに私はそんなことを思った――。

 そうやって叔母さんの家に引き取られてからの日々はあっという間に過ぎていった。気がつけばもう二ヶ月は経とうとしている。両親の離婚調停は思いのほか長引いているようで、私が幕張に移ってから彼らは一度も私に会いには来なかった。今思えば完全にネグレクトだったのだと思う。
 考えてみれば無理もなかったような気もする。母はたくさんの男たちと遊び歩きたいくらい若かったし、父は建築の仕事に夢中だった。そんな風に二人とも私抜きで幸せのカタチができあがっていたのだ。三月一日に生まれたから弥生。そんな適当な名前を付けて放置するぐらいには彼らにとって私は……。本当にいらない子供だったのだと思う。
 でも幼い私にはそんな大人の事情など全く理解できなかった。なんでお母さんは私をほったらかしにするのだろう? なんでお父さんはいつも家に帰ってこないのだろう? ただただそう思っただけだ。悲しいとさえ感じない。感じたのは……。私が他の家の子とは違うということだけ――。
 
 だから幕張に行ってからも私の生活は特に変わったような気はしなかった。放置には慣れている。放置される場所が変わっただけで他は何も変わらない。
 ほったらかし。もう慣れっこだ。私はいらない子だし、誰も私を愛してくれない。もう諦めた。もういらない。お母さんもお父さんももういらない。狭い部屋の天井をボーッと見つめながらそんなことを思った。
 でも……。私のそんな思いとは裏腹に叔母さんは私を甲斐甲斐しく世話してくれた。どんなに忙しくても朝食と夕食は必ず一緒に食べたし、お風呂だって一緒に入ってくれた。まるで本当の母のように。いや……。本当の母以上にだ。
 だから私は叔母さんに対して特別な感情を抱くようになった。この人の娘になりたい。この人のためなら死んだって構わない。この人のために命を使いたい。この人のために……。幼いながらそう思ったのだ。
 そして……。そんな私の思いは思わぬカタチで叶えられることになった――。

 私が幕張に移り住んで半年くらい経った日のことだ。夕飯のとき叔母さんに「叔母さん仕事変えることにしたから」と言われた。それを聞いた私は「そうなんだ」としか返せなかった。たぶん幼い私は叔母さんが仕事を変えたとして自分には特に関係ないと思っていたのだと思う。叔母さんは続ける。
「ずっと音楽関係の仕事してきたんだけどね。……これからは役者さんを育てたり、仕事を紹介したりする仕事をすることにしたの。弥生ちゃん。もしあなたさえ良かったら役者やってみない?」
 叔母さんはそう言うと顔の前で手を組んで私の顔を覗き込んだ。
「私が……。女優さんになるってこと?」
「そうね……。女優には違いないと思う。まぁあなたがやるとすれば子役ってことになるとは思うけど。どう? もちろん無理強いはしないけど」
 叔母さんはそう言うといつもみたいな優しい笑みを浮かべた。彼女の瞳には私の戸惑った顔が映っている。でも……。私には拒否権なんてなかった。拒否したくないし、できない。やっと叔母さんに恩返しができる。私の頭の中にはそれしかなかった――。
 
 それから程なくして叔母さんは『オフィス・トライメライ』という会社を立ち上げた。事業内容は俳優・エキストラの派遣事業。要は芸能事務所ってやつだ。おそらくこれは彼女の前職で得たコネクションによって実現したことなのだと思う。
 叔母さんの前職……。それは『ニンヒアレコード』という音楽レーベルの企画担当だった。詳しくは知らないけれど『ニンヒアレコード』は新宿に本社を持つ大きな音楽レーベルらしい。叔母さんから聞いた話だとパンクバンドを多く抱えているとか……。
 そんな音楽関係で培った人脈が叔母さんにとっての武器だったのだろう。彼女はそのコネクションを使ってどんどん仕事を熟していった。きっと彼女には商才があったのだ。芸能事務所の経営者としての類い希な才能が。
 それと平行して私も子役としての仕事をひとつひとつ熟していった。最初はプリンを食べる子供役、次は車の後部座席でチャイルドシートに座るだけの役。それはエキストラに毛が生えた程度の仕事で、幼い私にも難なく熟せた。ただ泣かないで言われたとおりにすれば良いだけ。なんて簡単なことなんだ。私はそんな世間を舐めたことを思った。
 そんなCMに数回出演すると今度はテレビドラマの子役の仕事が舞い込んできた。役柄は幼児虐待の被害者の子供役。言い得て妙だけれど私にとっては最高の役だと思う。
 ……今思えばそれが私の役者としての転機だったのだと思う。自分の生い立ちを映し合わせたような。そんな可愛そうな子供の役が――。

 結論から言えば私のドラマ初出演は大成功だった。トライメライ始まって以来最大の収益だと叔母さんが氷川さんや逢川さんに話していたので間違いないと思う。(話は前後するがその頃叔母さんは同業他社から氷川さんと逢川さんを引き抜いていた)
 ……とは言っても私自身はそこまで成功したという実感は持っていなかった。言われたことを言われたとおりしただけ。それこそプリンを美味しそうに食べて「みんなで食べると美味しいね!」と言うのと大差なかったと思う。
 でも……。幸か不幸か私には役者としての才能があったらしい。少なくともNGはほとんど出さなかったし、何より私自身演技を難しいとはあまり思わなかった。だから……。私は六歳で天才子役としてもてはやされる羽目になったのだと思う。
 正直に言えばそれは私が望んではいないことだった。叔母さんが喜んでくれさえすれば良い。それ以外何もいらない。本気でそう思っていたのだ。チヤホヤなんかされたくない。才能や容姿を褒めないで欲しい。そうやって褒められるのは……。なんか私を産んだ母親みたいで嫌だ。
 きっと私は母に似ているのだ。器用なところ。先天的に愛嬌を振りまいてしまうところ。そんなところがきっちり遺伝してしまったのだと思う。
 おそらく……。私は可愛い顔をしているのだ。そして表情の作り方が必要以上に上手いのだ。子役としてはこれ以上ないくらいに。大人たちがチヤホヤしたくなるぐらいに――。
 
 そして気がつくと私の日常は完全に子役を演じることそのものになっていた。普段の私と演技する私。どちらが本当の春日弥生か分からなくなるほどに。
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