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第二章 ニコタマ文芸部
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篠田楓子の昔話
私と水貴くんが話すようになったのは小学五年生の頃だ。クラスの係決めでたまたま私たちは図書係になったのだ。
「楓子ちゃんよろしくね」
「うん」
最初はそんな感じだったと思う。特に変わったこともなかった。水貴くんは口数が少なかったけど、彼はもともと静かな男の子だったので私は全く気にしなかった。ただ同じ係というだけ、本当にそれだけ。
図書係の仕事はとても簡単で、昼休みと放課後に図書室のカウンターに座って貸し出しと返却を受け付けるだけだった。あとは返却が遅れた本の催促と本棚の整理。その程度。
主だって私がカウンター。図書の整理と未返却分の催促は水貴くんの仕事だった。水貴くんはともかく私はまったく忙しくなかった。そもそも図書室を利用する生徒自体が少なかったし、図書係が必要かどうかさえ怪しいと思う。だから自然と水貴くんと話す時間が増えたわけだけれど……。
「楓子ちゃん何描いてるの?」
「漫画だよ」
二人しかいない図書室で私は漫画の原稿を進めていた。図書室でできることなんてラフ描きぐらいだけれど、やらないよりはマシだと思う。
「へー。なんかすごいね」
「そう? 普通だよ」
水貴くんは私のラフをのぞき込むと一瞬顔をしかめた。無理もない。今描いている漫画はボーイズラブだ。
自分で言うのも変だけれど、私はクラスでかなり浮いた存在だと思う。他の女子がもっと恋愛トークしたり、おしゃれの話をしたりするのに対して私は漫画以外には興味がなかった。漫画……。読むというより描くほうだ。
漫画とは世界最高のエンタメだ。小説とか映画とか世間には色々な作品があるけれど漫画以上のものはないと思う。これが偏見だという自覚はある。でも子供の頃からその考えは変わらなかった。
「楓子ちゃんはなんで図書係になったの?」
「ああ、図書室なら漫画描くにはいいかなーって思ったんだ」
「そっか」
会話終了。
今思い返すと、私と水貴くんの関係は最初こんな感じだった。水貴くんが当たり障りのない質問をして私が答える。一問一答方式。
それでも私たちは次第に打ち解けていった。仲良くなったというわけではない。お互いに空気になっていたのだ。私がBL漫画を描いていても彼は何も言わなくなったし、私も彼が何をしていても気にしなかった。
空気というと悪く聞こえるかもしれないけれど、そんなに悪くない関係だったと思う。
「水貴くん消しゴム持ってる?」
「あるよ。あと修正液もあるけど使う?」
「準備いいね。じゃあ両方貸して」
こんな感じで私たちは余計な会話をしないでもある程度、理解し合えるようになった。
そんなある日。私は気まぐれに水貴くんに自分から質問した。私から他人に質問するのはかなり珍しいと思う。
「水貴くんはなんで図書係になったの?」
私に質問されたのが意外だったのか、彼は「え?」と困った返事をした。
「うーん……。そうだね。本が好きだからかな」
「へー。知らなかったよ。本って小説ってこと?」
「うん、小説だね。小さい頃からよく読んでたからさ」
だからか。と私は思った。水貴くんが文芸好きというのはなんとなく察していた。たまに立ち読みしている彼の姿を見かけたし、きっと読みふけっていたのだろう。
「そっかー。じゃあちょうどいい係だったんだね」
「そ……。うだね。ちょうどよかったよ。本当は自分で書きたいんだけどさ……。小学校じゃ作文コンクールぐらいしか書くとこないんだよね」
「書く? ああ、小説書くってこと?」
私の質問に彼は「う、うん」と少し恥ずかしそうにうなずいた。
「いいね。私も漫画描いてるから気持ちは分かるよ。自分の作品ができるのって楽しいよね」
「そうだよね。なかなか上手く書けないけど楽しいよ」
たぶん水貴くんとしっかり話したのはその日が初めてだ。それから私たちが普通に話すようになるまでさほど時間を要さなかった――。
私は彼にBL以外の漫画を何枚か読んで貰った。彼は意外と頑固のようで、つまらないときはつまらないとはっきり意見を言ってくれた。しかもただダメだしするわけではない。「こうしたらもっと面白くなる」と的確な意見もくれた。
子供ながらにそんな彼にとても好感が持てた。異性的な好感ではない。それは人としての尊敬に近いと思う。
「良かったら僕の書いたのも読んでくれる?」
「あ、読ませて! 水貴くんの書いた話気になる」
「ありがとう。これなんだけど……」
私は彼から一〇枚程度の作文用紙を受け取ると目を通した。用紙には綺麗で几帳面な字が並んでいる。
水貴くんの書いた物語はとても読みやすかった。下手な文芸作品なんかよりはるかに読んでいて楽だと思う。漢字やひらがなのバランスが絶妙で、リズミカルに読む進めることができた。ただ……。物語に必要な何かが確実に欠けていた。
「どうかな?」
「うん。読みやすいね。ただ……。何も残らないかな」
そう言うと私は水貴くんの顔を見た。顔をしかめているかと思ったけれど、彼は納得した表情を浮かべている。
「やっぱりね……。そんな気はしたんだ」
「うん。悪いけどこれじゃ足りないと思う。なんていうのかな……。まるで水みたい」
「やっぱり楓子ちゃんには敵わないな……。そうなんだよね。どんな話書いてもこんな感じになるんだ」
一体何が足りないのだろう? 水貴くんの書いた文章は完成されているのに何かが明らかに欠落している。創作者として一番必要な何かが……。
それから私たちは非定期的に互いの作品を読み合った。水貴くんは私の作品に的確なケチをつけてくれたし、私も彼の物語を何枚も読んだ。
彼の作品を読むたび思う。透き通り過ぎている。そんな風に。
きっと創作物には汚れが必要なのだ。ある意味では汚れていないと作品として成立しないのだと思う。その汚れ方は人によって違うだろうけれど、それが作品の味になり、匂いになり、色になる。
水貴くんの作品にはそれらが一切なかった。それはまるで純度一〇〇パーセントの水のように――。
私と水貴くんが話すようになったのは小学五年生の頃だ。クラスの係決めでたまたま私たちは図書係になったのだ。
「楓子ちゃんよろしくね」
「うん」
最初はそんな感じだったと思う。特に変わったこともなかった。水貴くんは口数が少なかったけど、彼はもともと静かな男の子だったので私は全く気にしなかった。ただ同じ係というだけ、本当にそれだけ。
図書係の仕事はとても簡単で、昼休みと放課後に図書室のカウンターに座って貸し出しと返却を受け付けるだけだった。あとは返却が遅れた本の催促と本棚の整理。その程度。
主だって私がカウンター。図書の整理と未返却分の催促は水貴くんの仕事だった。水貴くんはともかく私はまったく忙しくなかった。そもそも図書室を利用する生徒自体が少なかったし、図書係が必要かどうかさえ怪しいと思う。だから自然と水貴くんと話す時間が増えたわけだけれど……。
「楓子ちゃん何描いてるの?」
「漫画だよ」
二人しかいない図書室で私は漫画の原稿を進めていた。図書室でできることなんてラフ描きぐらいだけれど、やらないよりはマシだと思う。
「へー。なんかすごいね」
「そう? 普通だよ」
水貴くんは私のラフをのぞき込むと一瞬顔をしかめた。無理もない。今描いている漫画はボーイズラブだ。
自分で言うのも変だけれど、私はクラスでかなり浮いた存在だと思う。他の女子がもっと恋愛トークしたり、おしゃれの話をしたりするのに対して私は漫画以外には興味がなかった。漫画……。読むというより描くほうだ。
漫画とは世界最高のエンタメだ。小説とか映画とか世間には色々な作品があるけれど漫画以上のものはないと思う。これが偏見だという自覚はある。でも子供の頃からその考えは変わらなかった。
「楓子ちゃんはなんで図書係になったの?」
「ああ、図書室なら漫画描くにはいいかなーって思ったんだ」
「そっか」
会話終了。
今思い返すと、私と水貴くんの関係は最初こんな感じだった。水貴くんが当たり障りのない質問をして私が答える。一問一答方式。
それでも私たちは次第に打ち解けていった。仲良くなったというわけではない。お互いに空気になっていたのだ。私がBL漫画を描いていても彼は何も言わなくなったし、私も彼が何をしていても気にしなかった。
空気というと悪く聞こえるかもしれないけれど、そんなに悪くない関係だったと思う。
「水貴くん消しゴム持ってる?」
「あるよ。あと修正液もあるけど使う?」
「準備いいね。じゃあ両方貸して」
こんな感じで私たちは余計な会話をしないでもある程度、理解し合えるようになった。
そんなある日。私は気まぐれに水貴くんに自分から質問した。私から他人に質問するのはかなり珍しいと思う。
「水貴くんはなんで図書係になったの?」
私に質問されたのが意外だったのか、彼は「え?」と困った返事をした。
「うーん……。そうだね。本が好きだからかな」
「へー。知らなかったよ。本って小説ってこと?」
「うん、小説だね。小さい頃からよく読んでたからさ」
だからか。と私は思った。水貴くんが文芸好きというのはなんとなく察していた。たまに立ち読みしている彼の姿を見かけたし、きっと読みふけっていたのだろう。
「そっかー。じゃあちょうどいい係だったんだね」
「そ……。うだね。ちょうどよかったよ。本当は自分で書きたいんだけどさ……。小学校じゃ作文コンクールぐらいしか書くとこないんだよね」
「書く? ああ、小説書くってこと?」
私の質問に彼は「う、うん」と少し恥ずかしそうにうなずいた。
「いいね。私も漫画描いてるから気持ちは分かるよ。自分の作品ができるのって楽しいよね」
「そうだよね。なかなか上手く書けないけど楽しいよ」
たぶん水貴くんとしっかり話したのはその日が初めてだ。それから私たちが普通に話すようになるまでさほど時間を要さなかった――。
私は彼にBL以外の漫画を何枚か読んで貰った。彼は意外と頑固のようで、つまらないときはつまらないとはっきり意見を言ってくれた。しかもただダメだしするわけではない。「こうしたらもっと面白くなる」と的確な意見もくれた。
子供ながらにそんな彼にとても好感が持てた。異性的な好感ではない。それは人としての尊敬に近いと思う。
「良かったら僕の書いたのも読んでくれる?」
「あ、読ませて! 水貴くんの書いた話気になる」
「ありがとう。これなんだけど……」
私は彼から一〇枚程度の作文用紙を受け取ると目を通した。用紙には綺麗で几帳面な字が並んでいる。
水貴くんの書いた物語はとても読みやすかった。下手な文芸作品なんかよりはるかに読んでいて楽だと思う。漢字やひらがなのバランスが絶妙で、リズミカルに読む進めることができた。ただ……。物語に必要な何かが確実に欠けていた。
「どうかな?」
「うん。読みやすいね。ただ……。何も残らないかな」
そう言うと私は水貴くんの顔を見た。顔をしかめているかと思ったけれど、彼は納得した表情を浮かべている。
「やっぱりね……。そんな気はしたんだ」
「うん。悪いけどこれじゃ足りないと思う。なんていうのかな……。まるで水みたい」
「やっぱり楓子ちゃんには敵わないな……。そうなんだよね。どんな話書いてもこんな感じになるんだ」
一体何が足りないのだろう? 水貴くんの書いた文章は完成されているのに何かが明らかに欠落している。創作者として一番必要な何かが……。
それから私たちは非定期的に互いの作品を読み合った。水貴くんは私の作品に的確なケチをつけてくれたし、私も彼の物語を何枚も読んだ。
彼の作品を読むたび思う。透き通り過ぎている。そんな風に。
きっと創作物には汚れが必要なのだ。ある意味では汚れていないと作品として成立しないのだと思う。その汚れ方は人によって違うだろうけれど、それが作品の味になり、匂いになり、色になる。
水貴くんの作品にはそれらが一切なかった。それはまるで純度一〇〇パーセントの水のように――。
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