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第一章 樹脂製の森に吹く涼しい風

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 父が帰ってきた。ひさしぶりに見た父の顔は以前より痩せたように見える。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
 父は愛想が良いとも悪いともとれるような返事をした。こういうときはだいたい機嫌が良い。機嫌の悪い父はもっと愛想良く返事をする。あまのじゃくなのだと思う。
「あなた、おかえりなさい。お風呂沸いてるよ」
「ああ」
 母はまるでよくできた妻のような口ぶりでそう言った。お世辞にもそんなことはないことは家族全員が知っている。母は母親としても妻としても問題だらけなのだ。それが許されるのは彼女の人柄に寄るものだろう。
 父が入浴している間に夕飯をテーブルに並べた。女三人で夕飯の準備をするのは初めてかもしれない。
「本子と文彦さんがそろってご飯食べるのひさしぶりじゃない?」
「そうだね。こっち戻ってきてからは初めてかも」
 母たちは食器を並べながらそんな他愛のない会話をしていた。テーブルには白い皿が何枚も並べられた。強化ガラスの綺麗な食器が蛍光灯に反射して輝いている。
 サニーレタスの上にローストビーフがに盛り付けられている。その横にはクラッカーとチーズ。そこだけ見ればおしゃれな夕食だ。しかし、生姜焼き。これがあるせいで急に庶民っぽくなる。
「あら? この生姜焼き栞ちゃんが焼いたの?」
「そうだよ」
 祖母は物珍しそうに私の生姜焼きを眺めた。
「やっぱい栞ちゃんは料理上手いわね。本子が中学校のときなんか……」
「ちょっとお母さん! 余計なこと言わないで!」
 祖母と話していると横から母が割り込んできた。どうやらあまり話されてはないらしい。この二人は昔からこんな感じだ。母が放浪癖を発症していたときも祖母ははっきり意見を言っていたとか。
「お、美味そうだな」
 父は風呂から上がると料理を眺めてそう言った。
「でしょー。生姜焼きは栞が作ったのよ。やっぱり私に似たのね。料理上手よ」
 母はまるで自分が作ったように私の生姜焼きを褒めた。父は「ああ」とだけ返す。
「新しい学校はどうだ?」
 座るなり父にそう聞かれた。その言い方には「心配しているんだぞ」という意味も込められているようだ。
「うん。大丈夫だよ。新しい友達もできそうだし、部活も入る予定」
「そうか。なら良かったよ」
 口数こそ少ないけれど父は安心したようだ。無口だけれど父は心配性なのだ。多く言葉を交わさなくてもそれは分かる。
 両親は私がスーパーで買ってきたワインを空けるとグラスを打ち鳴らした。”チーン”というガラスの音が鳴り、ワインが少しだけ揺れる。
 和やかや夕食だ。基本的に私の家族は皆、穏やかな人たちだと思う。母も三〇代後半になってからは放浪癖もなくなったし、これからも穏やかなままだと思う。
 慎ましい暮らし。私にとってこの家族が理想そのものだった。放任主義な母がいて、寡黙な父がいて、優しい祖母がいる……。それだけでほかには何もいらない。
 夕食が終わると私は自室に戻って月子からの手紙を読み返した。手紙は当たり障りがほんの少しだけある内容。実にあの子らしい。
 その手紙には私に対する贖罪が込められているように読み取れた。あのときは本当にごめんなさい。そしてありがとう。東京へ行っても元気でね。そんな内容。
 謝るべきは私なのに彼女は私に対して申し訳ない気持ちでいっぱいなようだ。気持ちは分かる。私の彼女の間で起きたことを考えれば、そう書きたくもなるだろう。責任転嫁するわけではないけれど、彼女とのことは誰が悪いわけでもないと思う。当然、彼女は悪くないし、私だって悪いとは言い切れないだろう。悪いことがあるとすれば、それはタイミングだけ……。
 月子の手紙を封筒に戻すと大きなため息を吐いた。そろそろ返事を書かなければいけない。正直、なんて書いたらいいのか分からないけれど、いつまでも逃げ回るわけにはいかないだろう。本当に彼女と向き合えるのは当分先になる気もするけれど――。
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