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第二章 花見川服飾高等専修学園

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 夜景を眺めながらふと弥生ちゃんとの出会いを思い出した。あれは私たちが小学二年生。それぐらいの時期だったと思う。
 当時の私はスタイリスト見習いとしてよく叔父について回っていた。叔父のクライアントの多くは芸能人やら作家やらスポーツ選手やらの著名人。なぜか彼らはわざわざ何のコネクションもない叔父を指名してきた。おそらく叔父はクライアントからは『優秀だけれど業界のしがらみから外れた異端児』と認識されていたのだ。それ故の著名人からの依頼だったのだと思う。
 ともかく私はそんな服飾業界のアンダーグラウンドで動き回る叔父に師事してきたわけだ。そしてそんな仕事の中のひとつで私は弥生ちゃんと出会った。だから弥生ちゃんは私にとってはビジネスパートナーでありお客さんであり友達なのだ。今更ながら変わった関係の二人だと思う。
 でも……。そんな普通なら繋がらないような関係でも私たちはすぐに仲良くなった。まぁ……。お互いに似た境遇の二人ではあったのだけれど――。
 
 そうこうしているとスマホに千歳ちゃんからのメッセージが入った。
『かすみんお疲れさまー』
『今配信終わったんだ』
『今日は話聞いてくれてあんがとね』
『今からちょっと話せない?』
 そんな風に立て続けにメッセージが送られてきた。私はそれに『お疲れ様。少しならいいよ』と返した。まだ眠くないし多少はなら夜更かしても問題ないだろう。
 そんなやりとりの後。すぐに千歳ちゃんから電話が掛かってきた。そして私が電話に出ると彼女は開口一番『お疲れ様ー。いやぁ、今日はマジサンクスだよ』と言った。いつもの千歳ちゃんだ。良くも悪くもおかしなテンションをしている。
「配信お疲れ様ー。珍しいねこんな時間に」
 私はそう返すと机の上の時計に目を向けた。時刻は〇時一二分。深夜の入り口みたいな時間だ。
『うん。配信終わったらなんかかすみんの声聞きたくなってさ』
 千歳ちゃんはまるで遠距離恋愛の彼氏みたいな言い方をすると『改めてお礼も言いたかったしね』と続けた。おそらく千歳ちゃんも不安なのだ。大切な友達がいじめの被害に遭っている。それを知ったのだから当然だと思う。
「今日はフジやんくん配信来てた?」
『いんや。来てないね。ってかしばらく行けないって言われたんだ。まぁそりゃそうだよね。あの子今ゲームどころじゃないだろうし』
 千歳ちゃんはそう言うと深いため息を吐いた。そして続ける。
『だからぁ。ウチ決めたんだ! フジやんのことは絶対に助けるって。だってあんまりじゃん! フジやん真面目に頑張ってるのにお嬢のせいで学校楽しくないなんてさ』
 千歳ちゃんはそこまで言うと『あ、かすみんは巻き込まないから安心して』と言った。私はそれに「いや、もう巻き込まれてるから気にしないで」と返した。既に私は今回のいじめ問題には十二分に巻き込まれたのだ。おそらくどう足掻いても見て見ぬふりはできないと思う。
『いやいやいや、かすみんはこれ以上関わんない方がいいよ! ウチは最悪退学になってもどうにかなるけど……。かすみんはダメだって』
「……そうはいかないよ。千歳ちゃんだって知ってるでしょ? 私の性格?」
『そりゃ……。かすみんがこの手の話訊いたら黙ってらんない子だってのは分かるけどさぁ。でも! 今回は流石にまずいよ。だって……。花高でお嬢に睨まれたらもう学校にはいらんなくなるんだよ?』
 千歳ちゃんはそんな風に私に手を引くように必死に訴えた。彼女の言わんとすることは分かる。でも……。それでも今回ばかりは私も引けないのだ。太田まりあ。彼女はいずれ向き合わなければいけない相手だから。
「あのね千歳ちゃん。フジやんくんのことばっかじゃないんだ。私自身太田さんのことはどうにかしたいんだよ。だって……。あの子から逃げたら叔父さんの弟子名乗るの恥ずかしいもん」
 そう。私にだってプライドはあるのだ。もしここで太田さんから逃げるという選択をすれば……。一生後悔すると思う。
 それから千歳ちゃんはしばらく『うーん』と唸っていた。そして最後には『分かったよ。ありがと手伝ってくれて』と言った――。

 その夜。私は再び幼い頃の夢を見た。今度見たのは昨日より少し前の出来事。私が弥生ちゃんと出会って間もない頃の夢だ。
 夢の中で私は花に囲まれていた。ウェールズにある色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園。そんな場所にいた。朝靄のせいか薔薇の棘から滴る水滴が朝焼け色に光っている。
 私はそんな薔薇の香りの立ちこめる庭園を一人で歩いていた。そして庭園中央の小川に掛かるレンガ橋を渡った。小川を覗くと水草の間を小さな魚の群れが泳いでいる。それを見て私は国語の授業で習ったスイミーという話を思い出した。確かスイミーも小さな魚たちが登場する物語だったと思う。
 私がそうやって魚に見とれていると「おはよう香澄ちゃん」と声を掛けられた。そして声のした方を見るとそこには弥生ちゃんがいた。他に大人たちの姿はない。
「おはよう弥生ちゃん。出雲さんたちは?」
「今打ち合わせしてるよ。他の俳優さんたちも一緒」
 弥生ちゃんはそう答えた。どうやら弥生ちゃんも私と同じで撮影の打ち合わせには参加しないらしい。
「そっか。じゃあみんな来るまでお留守番だね」
「そうだね。あ、香澄ちゃん朝ご飯食べた? まだだったら一緒にサンドイッチ食べない? 叔母さんが持たせてくれたんだ」
 彼女はそう言うとリュックからランチボックスを取り出した。ピンクのウサギさんの描かれたランチボックス。見るからに弥生ちゃんが好きそうな絵柄だ。
「ありがとう。お腹空いてたんだ」
「ならよかった! じゃ食べちゃお」
 それから私たちはレンガ橋近くにある石畳の広場のベンチで一緒に朝ご飯を食べた。からしバターたっぷりの野菜サンドと水筒に入ったミネストローネ。そんな魅力的なブレックファースト。
「出雲さんって料理上手なんだね」
「うん! 叔母さんのご飯ってほんと美味しいんだよ。あっちにいるときは毎晩ご飯作ってくれるんだ」
 弥生ちゃんは嬉しそうに言うとプラスチックのカップにミネストローネを注いでくれた。私はそれを「ありがとう」と受け取る。
「うわぁ。温かいね」
「今朝ねぇ。叔母さんが作ってくれたんだ!」
 彼女はそう言うと自身もミネストローネを一口飲んだ。そして「うん! 美味しい」と笑顔になる。
「出雲さんも忙しいのにすごいね……。私の叔父さんなんかこっち来てから何もしてないよ」
 私はそう答えると少し恥ずかしい気持ちになった。思えば叔父はこちらに来てから本当にスタイリスト以外何もしていない気がする。本人も『俺は観光気分で子守するだけだよ』と言っていたし、本当に仕事以外は遊んでいるだけなのだと思う。
「そんなことないよー。香澄ちゃんは家族だから分からないかもだけど……。蔵田さんはすごいんだよ。だって俳優全員の衣装考えてるんだもん!」
「それは……。そうかもだけど。でももうちょっとちゃんとして欲しいよ」
 そう。叔父は本当に服飾とスタイリスト以外はダメダメなのだ。ずぼらだし、自己中だし、髭は剃らないし……。出雲さんと比べるとそのダメさが余計際立って見える。
「うーん。やっぱり家族だとそう思っちゃうのかもね。でもさぁ。ウチの叔母さんだってそんなもんだよ。香澄ちゃんから見たらすごく見えるかもだけど……。結構抜けてるとこもあるしね」
 出雲さんが抜けてる……。その言葉を聞いて私は『出雲さんが抜けてるなら叔父さんはそもそも抜けるものが最初から入ってないよ』と思った。当然口には出さない。これ以上身内を落としてもお互い何のメリットもないだろう。
「薔薇綺麗だね」
 私は叔父への不平不満を胸の奥にしまうとそんな風に話題を変えた。これ以上叔父の話を続けても気まずい。そう思ったのだ。
「だねぇ。でも危ないよね。触ったら刺さっちゃう」
 弥生ちゃんはそう言うとベンチから立ち上がった。そして石畳を囲うようにある荊棘の生け垣を覗き込む。
「今は咲いてないけど私イバラの花って好きなんだよね。ちっちゃくて白くてさ。あと棘があるとこもカッコいいよね。小さいけどちゃんと自分を守る力があるのって……。憧れちゃう」
 彼女はそう言うと続けて「香澄ちゃんみたいな花だと思うよ」と言った。たぶん彼女なりの褒め言葉なのだと思う。よく言えば控えめで力強い。悪く言えばちんちくりんで棘がある。確かに荊棘は私によく似た花だと思う。
「ありがとう。そんな風に言って貰えて嬉しいよ」
「うん。香澄ちゃんって大人しそうだけど本当は強い子だからさ。私すごく尊敬してるんだ。カッコいいなぁって!」
 弥生ちゃんはそう言うと嬉しそうに笑った。その笑顔は眩しくてまるで太陽みたいだ。
 そんな話をしていると遠くで鐘の音が聞こえた。そしてその音は次第に庭園を包み込んでいった。日本ではほとんど聞かない音だ。それこそ結婚式……。チャペルウエディングでもしなければ耳にすることはないと思う。
「ねぇ香澄ちゃん」
 私が鐘の音に気を取られていると不意に弥生ちゃんに呼ばれた。
「なぁに?」
「私ね。日本に戻っても香澄ちゃんとは仲良しでいたいんだ。だからその……。友達になって欲しいんだよね」
 弥生ちゃんはそう言うと上目遣いで「ダメ……。かな?」と続けた。その表情は反則級に可愛い。天才子役春日弥生。そんな言葉が一瞬頭に浮かぶ。
「……いいよ。ってよりもう友達だよ!」
 私は彼女の上目遣いの顔に見とれながらもそう答えた。もう友達。少なくとも私は出会った日の午後にはそう思っていた。まぁ……。逆にそこまで早く友達認定する私も節操がないとは思うけれど。
 私のその言葉に弥生ちゃんはパーっと明るい顔になった。そして「ありがとう」と言って私の手を握った――。

 ――そこで夢は終わった。そして次第に意識が現実に戻ってきた。ここは日本の千葉県千葉市美浜区幕張新都心。決してイギリスのウェールズ地方にある薔薇園じゃない。私はまだ目覚めきっていない頭で自分にそう言い聞かせた。これは私の癖のようなものだ。寝起きに夢は夢として片付ける。思えば幼い頃からこんなことをしていた気がする。
 それから私は布団から起き出した。そしてカーテンを開けるとしばらく朝焼けに染まる街を眺めた。奥に海が見える。キラキラとオレンジ色に光る海。それはまるで夢で見た薔薇園の朝露のように見えた。
 思い返せば……。弥生ちゃんと本当の意味で友達になったのはあのときだったのかも……。改めてそう思った。
 あの場所にあった千紫万紅の薔薇たちと季節外れの荊棘。それが私と弥生ちゃんの関係を表しているように思えた。華やかな薔薇と添え物のような荊棘。きっと私たちもそんな関係なのだと思う。
 でも……。私はそんな関係に誇りを持っていた。最高の引き立て役になる。それが私の望みだった。結局のところファッションデザイナーにしてもスタイリストにしても衣装を着てくれる人間がいるから成り立つ商売なのだ。だから……。私は弥生ちゃんの影でいい。彼女を輝かせるための添え物でいい。本気でそう思う。
 そんなことを考えていると海浜幕張駅に始発電車が入ってきた。今日も長い一日になる。そのことを告げるように。
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