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第三章 秋川千鶴の場合

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 朝礼を終えると水原さんと二人で会議室へ向かった。
「すいません。お時間取らせて」
 水原さんは神妙そうに言うと頭を下げた。
「いいよ。で? どうしたの?」
 私は内心、水原さんとの話をさっさと切り上げたかった。心の中は相変わらず荒みきっているし、これ以上嫌な気分になりたくはない。
「実は……。あの、退職したいんです」
「へ?」
 水原さんの単刀直入な申し出に思わず変な声が出る。
「ずっと考えてたんです。それで昨日一日考えて決めました。すいません……。急すぎましたよね」
「いや……。まぁ。そうね……。急ね」
 水原さんの言葉には明らかな覚悟が籠もっていた。それは決して「この場所が嫌だから逃げたい」というネガティブな覚悟ではないと思う。水原さんは続ける。
「もう辞めるので正直に言います。私ってこの仕事向いてないんですよね。デザインだってそんなに上手くないし、企画書一枚まともに書けないんです。プレゼンだって苦手ですしね」
「うん。まぁ、そうね」
 私は彼女の言葉を失礼なぐらい肯定した。まさか自覚があるとは思わなかった。そんな感心さえ覚える。
「でも頑張りたかったんです。ドジでマヌケだけどちゃんと仕事覚えたかった……。秋川さん覚えてますか? 私の仕事? 真夏に新宿駅前でプラカード持って一日中立ち続けたこともありました。逆に冬に乾きやすい下着のアピールのために冷水に下着を漬けまくったこともありました。笑っちゃいますよね。今考えるとこれって完全にイジメだと思います。でもね……。私は頑張りたかったんです。秋川さんに認めて欲しかった」
「う、うん」
 私は完全に気圧されていた。ただ鈍感でマヌケな女だと思っていたけれど、彼女も傷ついていたのだ。今こうして話を聞くまでそれを理解していなかった。――いや、見ないふりをしていた。
 でも……。そこまで吐露する水原さんの目には怒りの感情は籠もっていなかった。あくまで淡々と。あった事実を告げているだけ。
「ずっとお世話になってきました。会社からお給料も頂きました。そのお陰で推し活もできました。でも……。もう無理です。私は私のやりたいように生きたい。ただ生きるだけなんてもう嫌なんです」
 そこまで話すと水原さんの目から涙が溢れ出した。感情の絞りかすのような涙だ。
 彼女の涙を見ながら私は思った。ああ、私は何をどう間違ったのだろう? と。
 鈍くさくて役立たずな水原さんが一番私を慕ってくれていた。そんな残酷な真実を突きつけられた気分だ。
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