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第三章 秋川千鶴の場合

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 自社ビルに入ると生暖かい風が頬に当たった。気圧と湿度の変化がもろに顔に直撃する。気持ち悪い。自分の汗の匂いが鼻に刺さるようだ。
 その足でエレベーターホールに向かう。幸いなことに今日は水原さんの姿はないようだ。正直あの子と朝から顔を合わせたくなんかない。
 考えてみればヒロにあんなことを言われたのはあの子のせいじゃないか。そんなことを思った。そして思うと同時に怒りがこみ上げてきた。
 あの子さえ居なければ私のファボキャスライフは変わらなかったはずだ。お気に入りの。今風に言えば『推し』の配信者にあんなことは言われなかった……。そんな八つ当たりめいた考えが浮かんだ。まぁ、あながち八つ当たりでもないだろう。だってあの子が私の視界にちらつかなければ問題はなかったのだから……。
 エレベーターで自分のフロアに向かう。今日はやたらとエレベーターのワイヤーの擦れる音が響いている。もしかしたら潤滑油が足りないのかも。だったらメンテナンス業者に連絡しなければ。担当は総務だったっけ? そんなPDCA的な考えが浮かんだ。悪い癖だ。何でもかんでも改善したくなる。私の目の前にある全ての事象が私の思い通りにいかないと気持ちが悪く感じるのだ。
 だからだろうか? 水原さんのことも、広報部の一件も、ヒロの発言も全てが気に入らなかった。なんでみんな私の気持ちを理解してくれないのだろう。私は精一杯やっているはずだ。心身ともに全力を出している。少なくともそれは自負している。
 もちろん全てが全て完璧とは言わないけれど他の連中よりは私のほうが数倍努力していると思う。単なる努力じゃない。成果付きの努力。そう、成果なき努力なんて無価値なのだ。自称『頑張ってる』なんてことは大嫌い。数値的に証明可能な努力以外全部ゴミくずだ。そう考えなければやっていけない。本気でそう思う。
 だから私は水原さんみたいな無能が大嫌いだ。無能な働き者なんて死ねばいい。広報部の田辺も。あれは水原さんよりタチが悪い。そもそも改善する気がないのだ。全てをなあなあにして済ませた気になる。私は心の奥底からあの手の男が嫌いだ。そしてヒロ――。私の心を侮辱したあいつは絶対に許さない。許してたまるか。
 ――時間にして三〇秒にも満たないエレベーターの上昇時間でそこまで考えた。
 本当に最悪な気分だ。
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