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第三章 秋川千鶴の場合
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配信終盤、私は予期せぬ事態に見舞われた。
『えーと、じゃあ大トリは……おチヅさんね。相談内容を書いてください』
とヒロに私のアカウント名を呼ばれたのだ。
私はすぐにアカウント名とコメントの順番を確認した。どうやら間違いないようだ。
私は気分を落ち着かせるために一度深呼吸した。そして探り探りキーボードに相談内容を打ち込んだ。きっと彼は良いアドバイスをくれるだろう。そう信じて。
「会社の後輩が全く使えません。彼女はもうすぐ入社三年目なのにまったく成長がないのです。私は彼女が成長できるのように精一杯教えてきたつもりです。でも正直もう限界です。これから私はどうしてたらいいですか?」
そんなコメントを一気に打ち込んだ。とても簡潔に。これ以上ないくらいシンプルな悩みだ。
それからヒロは私のコメントを咀嚼するようにゆっくりと読み上げた。そしてタバコの煙を吐き出してから『うんうん。なるほどね……。相談内容はだいたい分かったよ。で? おチヅさんはどうしたいとかあるの?』と言った。質問に質問返し。正直あまりいい気はしない。
どうしたいか? 難しい質問だ。私としては彼女は別に道に進んだ方が良いと思っている。でも……。果たしてそれは良いことなのだろうか? 正義としてはもっと彼女と向き合って仕事を教えた方が良いのではないだろうか? そんな葛藤のような思考が回る。答えは出ない。
だから「正直言うと彼女には辞めて貰ったほうがいいと思います。たぶん彼女にとって私の会社は合ってないと思うので……」とだけ返した。これが正直な気持ちだ。ある種の保留ではあるけれど仕方ない。
『うんとね。じゃあ辞めるように勧めればいいんじゃない? 彼女だって今の職場合ってないなら合ってる場所に移った方が幸せだしさ』
ヒロは私の心を見透かしたようにそう言った。本心が完全にバレている。
「でも私は彼女が頑張りたいなら辞めろとは言えません。だって彼女の人生を決めるのは彼女自身だし……」と追加でコメントした。正直このコメントは本心ではない。単なる言い訳。
そんな気持ちさえ見透かしたのだろう。彼は『そうね。それはそうだ。じゃあおチヅさん的には彼女が自主的に辞めない限りどうしようもない。ああ、私は可哀想な奴だ。あーあ、ヤダヤダって思ってるってことでいいかな?』と私の気持ちにトドメを刺しに来た。正解の言葉。そして残酷な言葉だ。胸の奥に冷たい刃物がゆっくりと下ろされたような気分になる。
もう私には何も言えなかった。これ以上話すだけ無駄だ。いや、逃げなければ心が殺される。
だから私は「なんでそんなこと言うんですか? もういいです」と打って配信画面を閉じた。
閉じかけに『もういい? あ、そう。じゃあこれでおしまいね』というヒロの声が聞こえた――。
パソコンの画面には初期設定の壁紙が映し出されている。会社の商品案のファイルを入れたアイコンが大量に並び、そのどれもが事務的な空気を纏っていた。ファイルたちに「私たちは無菌室で育った清潔な資料です」と主張されている気分だ。
そんな無機質な画面を眺めながら私はしばらく呆然としていた。ヒロに言われたことが酷く非現実的で平衡感覚が保てなかった。まるで船の上に載せられて海原に置き去りにされた気分だ。不安と目眩がじわじわ押し寄せてくる。
なぜ? 私はそんなに悪いことを聞いただろうか? 私はただ会社での悩みを相談したかっただけなのに――。そんな自問自答が浮かんだ。でも一切答えは出なかった。
まるで昨日まで信じていた神様が今日から人間だと宣告された気分だ。信仰心自体が偽物に変わり、その信仰対象は単なる偶像に成り果ててしまった……。
憎い。彼が憎い。そして彼を信じると決めた自分が憎かった。
また私は神様を一人失ってしまった。あのときと同じだ。
『えーと、じゃあ大トリは……おチヅさんね。相談内容を書いてください』
とヒロに私のアカウント名を呼ばれたのだ。
私はすぐにアカウント名とコメントの順番を確認した。どうやら間違いないようだ。
私は気分を落ち着かせるために一度深呼吸した。そして探り探りキーボードに相談内容を打ち込んだ。きっと彼は良いアドバイスをくれるだろう。そう信じて。
「会社の後輩が全く使えません。彼女はもうすぐ入社三年目なのにまったく成長がないのです。私は彼女が成長できるのように精一杯教えてきたつもりです。でも正直もう限界です。これから私はどうしてたらいいですか?」
そんなコメントを一気に打ち込んだ。とても簡潔に。これ以上ないくらいシンプルな悩みだ。
それからヒロは私のコメントを咀嚼するようにゆっくりと読み上げた。そしてタバコの煙を吐き出してから『うんうん。なるほどね……。相談内容はだいたい分かったよ。で? おチヅさんはどうしたいとかあるの?』と言った。質問に質問返し。正直あまりいい気はしない。
どうしたいか? 難しい質問だ。私としては彼女は別に道に進んだ方が良いと思っている。でも……。果たしてそれは良いことなのだろうか? 正義としてはもっと彼女と向き合って仕事を教えた方が良いのではないだろうか? そんな葛藤のような思考が回る。答えは出ない。
だから「正直言うと彼女には辞めて貰ったほうがいいと思います。たぶん彼女にとって私の会社は合ってないと思うので……」とだけ返した。これが正直な気持ちだ。ある種の保留ではあるけれど仕方ない。
『うんとね。じゃあ辞めるように勧めればいいんじゃない? 彼女だって今の職場合ってないなら合ってる場所に移った方が幸せだしさ』
ヒロは私の心を見透かしたようにそう言った。本心が完全にバレている。
「でも私は彼女が頑張りたいなら辞めろとは言えません。だって彼女の人生を決めるのは彼女自身だし……」と追加でコメントした。正直このコメントは本心ではない。単なる言い訳。
そんな気持ちさえ見透かしたのだろう。彼は『そうね。それはそうだ。じゃあおチヅさん的には彼女が自主的に辞めない限りどうしようもない。ああ、私は可哀想な奴だ。あーあ、ヤダヤダって思ってるってことでいいかな?』と私の気持ちにトドメを刺しに来た。正解の言葉。そして残酷な言葉だ。胸の奥に冷たい刃物がゆっくりと下ろされたような気分になる。
もう私には何も言えなかった。これ以上話すだけ無駄だ。いや、逃げなければ心が殺される。
だから私は「なんでそんなこと言うんですか? もういいです」と打って配信画面を閉じた。
閉じかけに『もういい? あ、そう。じゃあこれでおしまいね』というヒロの声が聞こえた――。
パソコンの画面には初期設定の壁紙が映し出されている。会社の商品案のファイルを入れたアイコンが大量に並び、そのどれもが事務的な空気を纏っていた。ファイルたちに「私たちは無菌室で育った清潔な資料です」と主張されている気分だ。
そんな無機質な画面を眺めながら私はしばらく呆然としていた。ヒロに言われたことが酷く非現実的で平衡感覚が保てなかった。まるで船の上に載せられて海原に置き去りにされた気分だ。不安と目眩がじわじわ押し寄せてくる。
なぜ? 私はそんなに悪いことを聞いただろうか? 私はただ会社での悩みを相談したかっただけなのに――。そんな自問自答が浮かんだ。でも一切答えは出なかった。
まるで昨日まで信じていた神様が今日から人間だと宣告された気分だ。信仰心自体が偽物に変わり、その信仰対象は単なる偶像に成り果ててしまった……。
憎い。彼が憎い。そして彼を信じると決めた自分が憎かった。
また私は神様を一人失ってしまった。あのときと同じだ。
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