上 下
33 / 70
第三章 秋川千鶴の場合

しおりを挟む
「なるほど……。広告の掲示場所ですか」
 田辺さんは怪訝な顔で新聞を眺めた。おそらくは『こんな場所にシェービングジェルの広告なんてありえない』という表情ではない。『この程度のことで何を喚いているんだ?』という表情に見える。
「ええ。細かいようですがウチは女性下着メーカーです。さすがにこの広告の横に配置するのはまずいですね」
「うーん。そうですね……。ではこちらから新聞社に連絡しておきましょう。次回からこんなことないようにお願いしておきます」
 田辺さんはやれやれと言った感じに言うと私に新聞を差し戻した。そこには『こんなつまらないことで呼び出すなんてあんたよっぽど暇なんだな』というニュアンスが含まれているように感じた。それぐらい露骨だったのだ。男尊女卑の権化。そんな雰囲気がヒシヒシと伝わる。
「申し訳ないですが今この場で連絡していただけませんか?」
 私は差し出された新聞を指先で止めると彼の目を睨みながら言った。冗談じゃない。このままなぁなぁにされてたまるか。
「今から……。すか?」
「はい、今からです。ただ広告掲載の場所について抗議するだけなんだからすぐ終わるでしょ?」
「それは……。そうですが……。何も今すぐじゃなくても」
「いいえ。今すぐお願いします。私の見ている前で連絡してください」
 そんな押し問答を繰り返した。彼の表情はすっかり引きつっている。
「わかりましたよ。連絡すりゃいいんでしょ!」
 田辺さんは吐き捨てるように言うと携帯で相手方に連絡した。
「お世話になっておりますー。株式会社ウーマンリブの田辺です。どうもどうも……。はい、あの広告部の八潮さんは……。ええ、あ、はい……。わ、かりました。いえいえ、急ぎじゃないので……。あ、はい。いえいえ。ではまたよろしくお願いします。失礼します」
 通話時間にして四〇秒程度だろうか。彼はそんな感じに話して電話を切った。
「秋川さん。申し訳ないけどあちらの担当さん今外回りらしいです。ま、今度ちゃんと連絡しときますから……」
「じゃあ携帯に掛けてください。知ってるんでしょ? さすがに担当者の携帯ぐらい知ってるでしょ?」
 私は田辺さんの言葉を遮るように言葉を被せた。一瞬、彼の表情が固まったかと思うとすぐに眉間に皺が寄る。
「あのさぁ。こっちだって先方との関係があんの! 分かる? あんたは企画だから分かんねーだろうけどこっちは波風立てると後々やっかいなんだよ! 分かる!? そんな広告の載った場所ぐらいでガタガタ言ってんじゃないよ! つまんねーことで突っかかってきやがってよー」
 そんな怒声が広報部のフロアに響き渡った。
「そうですか……。田辺さんのお気持ちはよーく分かりました。ではこの件は役員の皆さんの判断を仰ごうと思います」
 私はそれだけ言うと新聞を持って広報部を後にした。後ろから「これだから行き遅れババアはよぉ!」と聞こえた。ああ、クソオス野郎なんて死ねばいいのに。
しおりを挟む

処理中です...