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第二章 菱沼浩之の場合

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 チェリーの言ったとおり僕たちの乗っている荷台は大きく揺れた。ガタンガタンと何回も横揺れを繰り返し、サメの入った水槽から少し水が零れる。
「おぉおぉぉぉう」
 僕は思わず声を漏らした。
「大丈夫よ。すぐに収まるから」
 チェリーは僕を励ますように言うと前足に力を入れた――。

「もう大丈夫みたいね」
「そうみたいんだね」
 時間にして三〇分ぐらい経ったと思う。ようやく揺れは収まった。
「はぁ……。すごく嫌な気分だよ。僕はああいううるさい音は嫌いなんだ」
「私だって嫌よ。ま、しばらくは静かだと思うわ」
 静寂。とは言えないくらいの静けさが訪れた。荷台の外からは今まで聞いたことのない類いの音が聞こえる。
「ふぅ……。おそらく一日ぐらいであっちに着くと思うわ」
「あっちってどこだい?」
「えーとね。あっちっていうのは大洗って場所よ。ほら、あなたが行く予定の水族館のある場所」
「ごめん。正直どこがどこだか分からないんだ……」
 僕がそう言うとチェリーは「そりゃそうよね」と言って優しく微笑んだ。最高にチャーミングな笑顔だ。カワウソという生き物はこんなに可愛いのだろうか?
「大丈夫よ。……ってか私が珍しいんだと思う。ずっと人間と関わったせいかしら? ある程度は人間の言ってることも分かるし文字も読めるようになったわ。でも普通の生き物はそうはならないはずよ」
 チェリーは首を横に振ると「私、変わってるのよ」と付け加えた。
 それから僕らは色々な話をした。僕は海での暮らしを。彼女は水族館での暮らしについて教えてくれた。
 どうやらチェリーは生まれも育ちもあの水族館だったらしい。チェリーの母親は彼女を産んですぐに死んでしまったとか。
「それは……。辛かったね」
「うーん。正直実感ないのよね。ほら、私生まれてすぐに飼育員とこ連れて行かれたから。たしかに『私のお母さん死んじゃったんだ』とは思ったけれどそれだけよ。悲しいって感じれるほどお母さんと過ごせなかったからね」
 彼女はまるで興味がないみたいに自身の母の死について語った。おそらく本当に興味がないのだ。興味を持てるだけの時間を共有出来なかった。それは最高に悲しいことだと思う。
 ふと、僕も自身の母親のことを思い出した。半年ほど一緒に過ごした母。僕のことを死に物狂いで守ってくれた母。巣立ってから一度も見かけなかったけれど元気でやっているだろうか?
「水族館の生活が私の全てだったからね。人間に良くして貰う為なら何でもやったわ。それこそ死んだフリだって輪くぐりだってしたわ。簡単な話よね。可愛い素振りしてるだけで毎日ご飯が貰えるのよ。生きるためなら安いモノよ」
 そう語るチェリーはとても誇らしげに見えた。生き残る自信はある。そんな風に――。
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