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第二章 菱沼浩之の場合
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いをりさんに着いていくと貯水池にたどり着いた。周りは金網で囲われ、横には小さな小屋が建っている。水面には月が反射し小さく波立っていた。
「ここだよ」
いをりさんはそう言うと、次の瞬間「ラッコさーん」と貯水池に向かって叫んだ。
「あの、いをりさん……?」
僕がそう問いかけると同時に貯水池からチャポンという水のはねる音が聞こえた。大きな魚がはねたような音だ。そして音の方向から何か大きなモノがこちらに向かって流れてくる。
「おぉ、いをりぃ。よく来たなぁ」
「うん。急にごめんねー」
いをりさんは何事もなかったかのようにその流れてきたモノと話し始めた。大きさは小学生ぐらい、全身が毛に覆われ、顔と思われる場所には固そうな髭が生えている。
「いをりさん? この方は?」
正直に言おう。僕はそのときは状況が全く飲み込めなかった。少なくとも目の前に居るそれが何なのかさえ理解できなかった。人間ではない何か。分かったのはそれだけだ。
「ん? ああ、紹介するよ。こちらラッコさん」
いをりさんはまるで幼なじみでも紹介するようにフランクにその生き物を紹介した。ラッコさんというのだからおそらくラッコなのだと思う。
「初めまして。『潮田楽尾』です」
ラッコさんはそう自己紹介すると脇の下から名刺を取り出して僕に差し出した。僕はそれを反射的に受け取る。受け取った名刺は湿っていて、少し磯の香りがした。貝類の匂い……。だと思う。
「ライト文芸作家さん……? ですか?」
「そうそう。ライト文芸作家だよ。えーとね。簡単に言うと大衆文芸作品を読みやすい文体にした奴ね……。って大衆文学がよく分からないか」
ラッコさんはそう言うと「ふはっ」と不思議な笑い方をした。笑う彼の口からは立派な二本の牙が見える。
「そうなんですね……」
僕はそれしか返せなかった。井の頭公園近くの貯水池、日本語を話すラッコ、ライト文芸作家。もう何が何だか分からない。
「菱沼くん。君が何を考えてるかは分かるよ。私も初めてラッコさんに会ったときは驚いたからさ」
いをりさんは僕の肩をポンと叩いた。
「でもこの人……。いや人じゃないけど、ラッコさんは悪い奴じゃないから安心していいよ。ってかかなり良い奴だからさ」
友達を絶賛する。それ自体は良くある話だ。でもその友達が人外なのは僕にとって初めての体験だった。しかもラッコ。僕らとの共通点があまりにも少なすぎる水生哺乳類。
「えーと。菱沼さん」
ラッコさんは改まって言うと「オホン」とわざとらしく咳払いをした。
「見ての通り僕はラッコだよ。そりゃあいきなり信じろって方が無理があると思う。もし僕が人間だとして、話すラッコを見たら鳴を上げると思う。実際、悲鳴を上げられたことも何回かあるしね……」
そこまで話すとラッコさんはまた「ふはっ」と笑った。どうやら彼は自分の話の途中に笑う癖があるらしい。
「だから無理に僕の存在を肯定しろだとか、そんなことは言わないよ。でもね、もし僕の話を聞く気があるなら聞いて欲しいことがあるんだ。どうかな? 僕の話を聞いていくかい?」
と言うとラッコさんは首を傾げて見せた。月明かりの下のラッコ。黒いビー玉のような目だけが闇夜に光る。
いをりさんは僕たちの様子を隣から黙って見ていた。おそらく彼女もラッコさんの話を聞いたことがあるのだと思う。
「ここだよ」
いをりさんはそう言うと、次の瞬間「ラッコさーん」と貯水池に向かって叫んだ。
「あの、いをりさん……?」
僕がそう問いかけると同時に貯水池からチャポンという水のはねる音が聞こえた。大きな魚がはねたような音だ。そして音の方向から何か大きなモノがこちらに向かって流れてくる。
「おぉ、いをりぃ。よく来たなぁ」
「うん。急にごめんねー」
いをりさんは何事もなかったかのようにその流れてきたモノと話し始めた。大きさは小学生ぐらい、全身が毛に覆われ、顔と思われる場所には固そうな髭が生えている。
「いをりさん? この方は?」
正直に言おう。僕はそのときは状況が全く飲み込めなかった。少なくとも目の前に居るそれが何なのかさえ理解できなかった。人間ではない何か。分かったのはそれだけだ。
「ん? ああ、紹介するよ。こちらラッコさん」
いをりさんはまるで幼なじみでも紹介するようにフランクにその生き物を紹介した。ラッコさんというのだからおそらくラッコなのだと思う。
「初めまして。『潮田楽尾』です」
ラッコさんはそう自己紹介すると脇の下から名刺を取り出して僕に差し出した。僕はそれを反射的に受け取る。受け取った名刺は湿っていて、少し磯の香りがした。貝類の匂い……。だと思う。
「ライト文芸作家さん……? ですか?」
「そうそう。ライト文芸作家だよ。えーとね。簡単に言うと大衆文芸作品を読みやすい文体にした奴ね……。って大衆文学がよく分からないか」
ラッコさんはそう言うと「ふはっ」と不思議な笑い方をした。笑う彼の口からは立派な二本の牙が見える。
「そうなんですね……」
僕はそれしか返せなかった。井の頭公園近くの貯水池、日本語を話すラッコ、ライト文芸作家。もう何が何だか分からない。
「菱沼くん。君が何を考えてるかは分かるよ。私も初めてラッコさんに会ったときは驚いたからさ」
いをりさんは僕の肩をポンと叩いた。
「でもこの人……。いや人じゃないけど、ラッコさんは悪い奴じゃないから安心していいよ。ってかかなり良い奴だからさ」
友達を絶賛する。それ自体は良くある話だ。でもその友達が人外なのは僕にとって初めての体験だった。しかもラッコ。僕らとの共通点があまりにも少なすぎる水生哺乳類。
「えーと。菱沼さん」
ラッコさんは改まって言うと「オホン」とわざとらしく咳払いをした。
「見ての通り僕はラッコだよ。そりゃあいきなり信じろって方が無理があると思う。もし僕が人間だとして、話すラッコを見たら鳴を上げると思う。実際、悲鳴を上げられたことも何回かあるしね……」
そこまで話すとラッコさんはまた「ふはっ」と笑った。どうやら彼は自分の話の途中に笑う癖があるらしい。
「だから無理に僕の存在を肯定しろだとか、そんなことは言わないよ。でもね、もし僕の話を聞く気があるなら聞いて欲しいことがあるんだ。どうかな? 僕の話を聞いていくかい?」
と言うとラッコさんは首を傾げて見せた。月明かりの下のラッコ。黒いビー玉のような目だけが闇夜に光る。
いをりさんは僕たちの様子を隣から黙って見ていた。おそらく彼女もラッコさんの話を聞いたことがあるのだと思う。
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