井の頭第三貯水池のラッコ

海獺屋ぼの

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第二章 菱沼浩之の場合

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 如月いをり。それが僕の知る彼女の名前だ。本名は知らない。おそらく本名は普通だと思う。
 いをりさんは僕の占いの師匠でこの世界に引き釣り混んだ張本人だ。初めて会ったのは横浜中華街で当時の彼女は雑居ビルの一室で細々と占い師をしていた。薄暗くてジメジメした占い部屋。そんな場所だ。そのお陰で家賃が驚くほど安かったらしい。まぁ、これは後から聞いた話だけれど……。
 これも後から知ったことだけれど、彼女は良いところのお嬢様だったらしい。父親は霞ヶ関勤め、母親は大企業役員の娘。そんな家庭環境だったようだ。そのほかには姉と弟がいて、二人とはたまに会っているとか。
 正直に言おう。僕は彼女が高級官僚と大企業令嬢の娘……。にはとても見えなかった。なんというか。彼女は酷く庶民的なのだ。タバコはメビウスを好み、酒は安酒が大好き。休みの日には東京競馬場に出かける。そんな女だ。(ちなみに僕も府中まで連行されたことがある)
 いをりさんを一言で言うなら――。非常にだらしない女。それに尽きると思う。顔は綺麗なのできちんとした格好をすれば美人に見えるとは思う。まぁ、彼女がきちんとするはずがないのだけれど。
 親しくなってから彼女は僕の家によく遊びに来た。そのたび、オラクルカードとペンジュラムを持ってきては僕に占いのイロハをたたき込んでくれた。単にカードの意味や技術的なことばかりではない。精神的なこと。そしてクライアントに舐められないためのコツ。そういった言葉では伝えきれないことまで懇切丁寧に教えてくれた。
 だから今の僕があるのは彼女のお陰なのだ――。

「焼き鳥でいい?」
「いいですけど、そんなもんで良いんですか?」
「えー! いーじゃんよ。焼き鳥最高だぜ?」
 相変わらずの下品な言葉遣い。しばらく会わなかったけれど全く変わっていない。
「じゃあ行きますか……いつものとこでいいですか?」
「うん! もとからそのつもりだった」
 懐かしの焼き鳥屋。僕と彼女のスピュリチュアル談義場。
 その焼き鳥屋は井の頭公園の真ん前に店を構えていた。店舗の外観は昭和っぽく、いつでも混み合っている。そんな店だ。俗っぽい言い方をすれば地域密着型の老舗なのだと思う。
「いやー。ここ来るのマジでひさびさだよ。菱沼少年はたしかハラワタ系ダメだったよね?」
「そうですね。今でもつくねが一番好きです」
「にゃははは、だよねー。ガキっぽい舌してたもんね」
 いをりさんは下品な笑い方をすると僕の肩をポンポン叩いた。
「いをりさんはずっとオッサンみたいな舌ですもんね」
「そうそう! ガキの頃からそうなんだよー。乾き物とかキムチとか好きでさぁ。もともと辛党なんだよね」
 辛党で酒好きのお嬢様だったんですね。とツッコみたくなったけれど言葉を飲み込んだ。彼女はお嬢様扱いが何より嫌いなのだ。オッサン呼ばわりしても怒らないけれど、『箱入り娘』だとか『お嬢様』だとかいう言葉には過剰に反応する。
「そういえば今日はどうして吉祥寺まで来たんですか?」
「ん? ああ、ちょっと友達に会いにね……」
 そう言うと彼女はバッグからメビウスを取り出した。そして空気を吸うようにタバコを口に加えて火を付ける。
「……。ったく最近は喫煙所無くて参っちゃうよねー。見てみ? 店内禁煙だって」
 彼女はうんざりしながら焼き鳥屋の前に立て看板を指さした。
『ペット禁止。タバコ及び加熱式タバコ禁止。迷惑行為禁止』
 そんな配慮の塊のような文字が並ぶ。
「まぁ、そうですよね。最近は喫煙者に厳しい世の中になりました」
「マジでそうなんだよー。ほんと勘弁して貰いたい」
 いをりさんは悪態を吐きながら煙を空に向かって吐き出した。煙は流れ、井の頭公園の木々の間に消えていった――。
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