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第一章 水原雪乃の場合

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 翌朝。私は目を覚ますとすぐに洗面所に向かった。そこに映る顔は酷く、性別さえあやふやに感じる。
 冷水で顔を洗った。そして念入りに歯を磨く。口の中に広がるミントの香りが私を現実に引っ張り戻してくれた。夢の世界へ誘う缶チューハイ。現実に引き戻す歯磨き粉。それは私にとって朝と夜の象徴のようだ。
 すっかり目が覚めると自室に戻ってテレビの電源をつけた。
『おはようございます! 今日は二〇一九年一一月三日です』
 そんな風に女性アナウンサーが挨拶をした。彼女は挨拶を終えると『最近は肌寒い日が増えましたねぇ』と最高に当たり障りのない話をキャスターの男性に振った。普段通りの朝。平常運転全開だ。
 私は彼らの話を聴きながらシリアルをボールに盛り付けた。シリアルとホットミルク。そしてほんの少しの生野菜。そんな朝食だ。
 食事と朝のニュースチェックを終えるとスーツに着替える。最初に引っ張り出したストッキングは伝線していた。朝から嫌な気分になる。出鼻をくじかれた。本日のおみくじは凶。そんな感じだ。
 嫌な気分のままメイクをすると嫌な感じに仕上がった。ああ、最悪だ。きっと今日は最悪な一日になるだろう。そんなジンクスめいた何かを感じた――。

 朝のルーティンはまだまだ続く。次はメインディッシュの満員電車だ。中央線快速。朝から洗濯機の脱水機能のようにもみくしゃにされる。髪は乱れ、スーツは皺だらけ。そんな毎朝のルーティン。本当に勘弁してほしい。
 この満員電車から逃れるために会社の近くに部屋を借りようと思ったこともある。でも家賃と近隣の治安の悪さからそれは断念した。多少不便でも吉祥寺のほうがいい。そう思ったのだ。まぁ、こうして朝からも人に揉まれることを考えるとどっちもどっちな気もするけれど。
 私の会社は新宿駅から歩いて一〇分くらいの場所にあった。日本の中心部。都庁が徒歩圏内。そんな場所だ。便利な反面、最悪な場所だと思う。あそこには何でもあるのだ。神も仏も悪魔も妖怪もみんないる。東京の掃き溜め。そんな場所だ。
 だから私は会社に長居したくはなかった。できうる限り定時退社したし、会社の飲み会も何かしら理由をつけて断った。(断ったことでの弊害はあるけれど、あんな街で嫌いな先輩と飲むよりは何倍もマシだと思う)
 そんなだからだろう。私は会社では完全に孤立していた。まぁ、『水原さんは付き合い悪いよねぇ』と嫌みを言われる程度なので問題ないと思う。
 新宿駅の改札から吐き出されると、私は大きなため息を一つ吐いた。
 ああ、もう帰りたい。そんなことを思った。
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