2 / 70
第一章 水原雪乃の場合
2
しおりを挟む
私がラッコさんと出会ったのは小学六年生のときだった。出会った当時から彼は大人だったらしく(ラッコが何歳で大人なのかは知らないけれど)知識豊富でとても雄弁だった。雄弁で博識なラッコ。毛むくじゃらで哲学的な響き。
今考えるとラッコがなぜ日本語を話しているのか不思議だけれど、小学生の私は「そういうこともあるんだ」と普通に受け入れた。日本語を話して二足歩行するラッコだって世の中にはいる。そんな非現実的なことを疑いなく受け入れたのだ。我ながらどうかと思う。
でもそんな風にアレな小学生だったお陰でこうしてラッコさんとは仲良しになれたわけだ。まぁ、仲良しといっても私が勝手に押しかけて世間話をする程度だけれど。
「雪乃ぉ。会社はどうよ?」
「普通かなぁ。そんなに悪くないよ。先輩たちも色々教えてくれるしね」
「そうかそうか。なら良かった。確か下着作ってる会社だったよな?」
「そうそう! 私は企画部だからデザインとかがメインだね」
「へー! 雪乃はすごいなぁ。僕は人間の下着を考えたり出来ないよ」
そう言いながらラッコさんはお土産のアジにを頭から囓った。いつもながらの良い食いっぷりだ。
「私なんかまだまだだけどねー。ラッコさんは? 小説どう?」
「うん。今新しい話書いてるとこだよ。新刊出たら雪乃の分も貰っとくわ」
「わー! ありがとう! 楽しみだよ」
信じがたい話だけれどラッコさんはプロの小説家だ。ペンネームは潮田楽尾(しおたらくお)。おそらくイタチ科では初めての商業作家だと思う。(そもそも人間以外の作家になんか会ったことはないけれど)
「しっかし早いなぁ。この前まで雪乃も高校生だったのに……」
ラッコさんはアジの残りを飲み込むと感慨深げに首を横に振った。
「ほんとだよー。ラッコさんと会ってもう一〇年目だもんね」
「一〇年かぁ。早いなぁ。僕も歳を取るわけだよ」
果たしてラッコさんは歳を取っただろうか? 正直、初めて会った頃から何も変わっていないように見える。
貯水池の脇でこうして過ごす時間が私は好きだ。いや、それ以外の時間は嫌いと言った方がいいかもしれない。家族だって会社だって私の居場所ではないのだ。
ただただラッコさんの横で生臭い魚を美味しそうに食べる彼を見ていたい。いつもそんな社会不適合的な考えになってしまう。生活のためにはあっち側に戻らないといけないのだけれど。
それから私たちはとめとなく話し続けた。話題なんて何だっていいのだ。ただこの空気感とラッコさんさえ居てくれれば何もいらない。
「おっと、もう暗くなってきたな……。雪乃そろそろ帰りな」
ラッコさんは立ち上がると沈み掛けの夕日を覗くような仕草をした。
「うん。じゃあ帰るね。今日も話聞いてくれてありがとう」
「おうおう。また話そうなぁ」
そう言うとラッコさんは短い前足を小さく振った――。
今考えるとラッコがなぜ日本語を話しているのか不思議だけれど、小学生の私は「そういうこともあるんだ」と普通に受け入れた。日本語を話して二足歩行するラッコだって世の中にはいる。そんな非現実的なことを疑いなく受け入れたのだ。我ながらどうかと思う。
でもそんな風にアレな小学生だったお陰でこうしてラッコさんとは仲良しになれたわけだ。まぁ、仲良しといっても私が勝手に押しかけて世間話をする程度だけれど。
「雪乃ぉ。会社はどうよ?」
「普通かなぁ。そんなに悪くないよ。先輩たちも色々教えてくれるしね」
「そうかそうか。なら良かった。確か下着作ってる会社だったよな?」
「そうそう! 私は企画部だからデザインとかがメインだね」
「へー! 雪乃はすごいなぁ。僕は人間の下着を考えたり出来ないよ」
そう言いながらラッコさんはお土産のアジにを頭から囓った。いつもながらの良い食いっぷりだ。
「私なんかまだまだだけどねー。ラッコさんは? 小説どう?」
「うん。今新しい話書いてるとこだよ。新刊出たら雪乃の分も貰っとくわ」
「わー! ありがとう! 楽しみだよ」
信じがたい話だけれどラッコさんはプロの小説家だ。ペンネームは潮田楽尾(しおたらくお)。おそらくイタチ科では初めての商業作家だと思う。(そもそも人間以外の作家になんか会ったことはないけれど)
「しっかし早いなぁ。この前まで雪乃も高校生だったのに……」
ラッコさんはアジの残りを飲み込むと感慨深げに首を横に振った。
「ほんとだよー。ラッコさんと会ってもう一〇年目だもんね」
「一〇年かぁ。早いなぁ。僕も歳を取るわけだよ」
果たしてラッコさんは歳を取っただろうか? 正直、初めて会った頃から何も変わっていないように見える。
貯水池の脇でこうして過ごす時間が私は好きだ。いや、それ以外の時間は嫌いと言った方がいいかもしれない。家族だって会社だって私の居場所ではないのだ。
ただただラッコさんの横で生臭い魚を美味しそうに食べる彼を見ていたい。いつもそんな社会不適合的な考えになってしまう。生活のためにはあっち側に戻らないといけないのだけれど。
それから私たちはとめとなく話し続けた。話題なんて何だっていいのだ。ただこの空気感とラッコさんさえ居てくれれば何もいらない。
「おっと、もう暗くなってきたな……。雪乃そろそろ帰りな」
ラッコさんは立ち上がると沈み掛けの夕日を覗くような仕草をした。
「うん。じゃあ帰るね。今日も話聞いてくれてありがとう」
「おうおう。また話そうなぁ」
そう言うとラッコさんは短い前足を小さく振った――。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――


1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果
こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。
落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。
しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。
そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。
これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる