上 下
32 / 50
DISK2

第三十一話 Midnight Rain

しおりを挟む
「違う! そうじゃない!」

 ウラは厳しい声で七星を小突いた。

「えー!? でもここのリフはこうした方がいいよー」

「はぁー!? あんたねー、この曲作ったの私なんだけど!? いいからやり直し!」

 七星は不本意そうだ。

 彼をメンバーに加えてから、『バービナ』は精力的に練習を行っていた。

 精力的……。体育会系な気もする。

 七星の技術は確かに高かった。

 しかし、ウラに比べれば確かに荒削りな部分が多い。

 逆に言えばウラの技術が高すぎたわけだが……。

 ともかく、ウラは七星に対してかなりのスパルタを強いていたのだ。

「もー嫌だ! 帰る!」

「あー!? 帰りたきゃ帰れよ! とっとと山梨でもどこにでも帰っちまえよ!」

 売り言葉に買い言葉だ。

 俺は2人を宥めながら、どうにかこうにか練習を続けた。

 ジュンは相変わらず我関せずといった感じであまり絡んでこない。

 本当にズルい男だ。

 それでも七星は着実にレベルアップしていた。

 ウラも彼の成長をしっかり見ているようで、文句を言いながらも時々彼を褒めていた。

 当然のように本人には言わない。

 すっかりウラは元の彼女に戻ったようだ。

 彼女はよく怒りよく笑った。

 まるでこの世で一番幸せだと言わんばかりの笑いを浮かべる。

 俺はそんなウラの自己中な笑顔が好きだった。

 その笑顔を見ていると会社の疲れさえ吹き飛ぶ――。

 俺たちが『アフロディーテ』に干されて2ヶ月が過ぎた頃。

 百華さんから突然連絡が入った。

 どうやら彼女は仕事で東京まで来ているようだ。

 百華さんは特別な話があるらしく『バービナ』全員に会いたいらしい……。

 約束の日、俺たち4人は彼女と待ち合わせしている喫茶店へと向かった。

「あー、松田さん、ウラちゃんお久しぶり!」

 百華さんが明るく出迎えてくれた。

 やはり北海道なまりがある。

「お久しぶりです! 百華さん! 東京来るなんて珍しいですね」

「うん! 実はうちらの会社とタイアップしたいって企業さんが居てねー。実はその話でウラちゃんたち呼んだんだよー」

「タイアップ……? ですか?」

「そだよー。きっと君たちにとっていい話のはずだからさ! あ! 今から来る人に会って話聞いてねー!」

 そう言うと百華さんは嬉しそうに笑って、鼻歌交じりにストレートティーを一口飲んだ。

 不思議と都内で見る百華さんは前に会った時に比べて垢抜けている。

 元々、端整な顔立ちの彼女なのだが道内に居るよりも美しく見える。

 妹と住む場所を入れ替えた方がいいのかもしれない。と思った。

 七星はこういう場面に来るのがよほど珍しいの緊張してウラに縋り付いる。

 案の定、ウラは面倒くさそうに彼をあしらう。

 こうしてみると本当の姉弟のように見える。似たもの従兄弟。

「いやー、真木さん! お待たせして申し訳ないですー」

 少しすると、スーツを着た男が俺たちの席へ駆け寄ってきた。

 額には汗が浮かんでいて、縁なしの眼鏡は結露して、白く曇っている。

「高橋さんお世話になってます! こちらこそご足労いただいて……」

 真木さんはその男に丁寧な言葉遣いで挨拶した。今度はなまりが無い。

 彼は額の汗をハンカチで拭い、席に座ると水を喉に流し込んだ。

「えっと、まず紹介しますね! こちらが新栄堂の高橋さんです! 今回は皆さんに提案があって紹介させていただくことににしました」

「初めまして! 私、株式会社新栄堂営業部の高橋と申します」

 彼は挨拶すると俺たち全員に名刺を差し出した。

「はい、お世話になっております……。新栄堂様ですね……」

 ウラは改まった様子で彼に挨拶し、穏やかな笑みを浮かべる。

 彼女は借りてきた猫のように大人しかった。

 話し方まで他人行儀だ。

「それで……? 単刀直入で申し訳ないのですが、本日はどういったご用件でしょうか?」

 ウラの口調には違和感しかない。

 おそらく彼女は仕事上ではこんな風に来客応対していたのだろう。

 髪の色を変えたせいで、仕事のできる女にさえ見える。

 メンヘラクソビッチには見えない。

「実はですね……」

 彼はホチキス留めした資料を俺たちの前に広げて概要を話し始めた。 

「簡単に申しますと、皆さんに札幌中央放送で放映中の番組の主題歌を制作していただきたいのです」

 俺たちはそれを聞いたときにポカーンとした。

「えーと……。それはつまり私たちのバンドの楽曲をテレビの主題歌に使用したいと言うことですか?」

 ウラはオウム返しのように高橋さんに聞き直す。

「はい! 実はあなた方の北海道内でのライブを見た道内の視聴者から問い合わせが多数あったそうなんですが、札幌中央放送のディレクター様からどうにか『バービナ』様に楽曲を提供していただけないかと依頼されたのです」

 それから百華さんと高橋さんは俺たちに詳細を教えてくれた。

 新栄堂は国内で中堅クラスの広告代理店だった。

 テレビ番組のプロモーション活動も彼らの業務の一環らしい。

 百華さんの話だと1週間ほど前に『バービナ』に関して問い合わせが彼女のイベント会社にあったらしい。

 なんでも、札幌中央放送の番組スタッフから『バービナ』の曲をどうしても使いたいという連絡が入ったとか。

 そこから百華さんは付き合いのある新栄堂の高橋さんに連絡して今回のような流れになったようだ。

 百華さんは普段イベントの企画を担当していたがプロモーション関係には携わってはいなかった。

 だから今回、広告代理店に話を回したと言うことらしい……。

 しばらく俺たちは彼らの話に相づちを打ちながら聞いていた。

 ウラは何かを吟味するような表情で肯きながら難しい顔をする。

「どうでしょう……? もし『バービナ』さんさえ良ければ今回の話受けていただけないでしょうか? 報酬も相談にのらせていただきますので……」

 高橋さんはウラの顔を見つめながら苦笑いを浮かべた。

 きっとこの人は営業には向いていない。と思った。

「……。私としては是非やらせていただきたいんですが……。ちょっと問題がありまして……」

 ウラは言葉を濁すように言うと首を横に振った。
しおりを挟む

処理中です...