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DISK2

第二十七話 七星談話 ~月の女神と真冬のオリオン~

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 俺が初めて『バービナ』を知ったのは中学3年の冬休みだった。

 彼らは茨城県出身のハードコアバンドとして活動していた。

 当時の俺はハードコアに相当入れ込んでいて、数あるバンドの中で最も勢いがあったのが『バービナ』だった。

 彼らはスリーピースバンドで活動していた。

 メンバーはギターヴォーカルの京極ウラ、ドラムの大志、ベースのジュンの3人。

 彼らの楽曲を聴いたとき、頭を釘バッドで強打されてぐらい衝撃を受けた。

 流血こそしなかったけれど、それくらいは衝撃的だったのだ。

 ドラムはスピード感が半端なかったし、ベースはとにかく正確無比だった。

 リズム隊の演奏だけで飲み込まれてしまうほどだ。

 そして何よりギターの演奏がとんでもなかった。

 ウラのギターはとにかくノリが良かった。

 技術的なことは分からないけれど、彼女の演奏は俺を完全に圧倒したのだ。

 彼女はギターだけではなくその歌声も完璧だった。

 間違いなくウラは『バービナ』の要で、最高のギターヴォーカルだろう……。

 その頃から俺自身もギターを始めたわけだけれど、ほとんど『バービナ』の曲ばかり練習していた。

 そうやって彼らのファンを続けていたある日。

 俺はウラのSNSを見て、あることに気がついた。

 ウラ。本名、京極裏月。出身は茨城県鉾田市。

 高校中退後にハードコアバンド『The birth of Venus』を結成。

 茨城県水戸市を拠点にライブ活動を展開後、上京してパンクバンド『アフロディーテ』のヴォーカル月子の付き人になる……。

 『バービナ』は上京後、『アフロディーテ』の影響からか、楽曲の方向性がハードコアからパンク寄りに移行していく……。

 以前まではウラとジュンのツインヴォーカルだったけれど、その頃からヴォーカルはウラがほとんどを担当するようなった。

 結果的にその方針は合っていたようだ。

 ウラを全面に押し出した『バービナ』はあっという間に都内でも人気のパンクバンドへと成長していった――。

 ……というのがSNSに載っている基本情報だった。

 それだけの情報なら俺もそこまで気にしなかったと思う。

 しかし……。ウラの出身地と彼女の姓が妙に引っかかった。

 京極、きょごく、キョウゴク……。

 昔、親父から聞いたことのある名字だ。

 たしか伯母が結婚した相手の……。

 京極恵理香。旧姓、高嶺恵理香は俺の伯母だった。

 実は俺自身は伯母に1度も会ったことがない。

 祖父母や父から彼女の話は聞いただけだ。

 祖父母の話だと伯母は茨城の男と駆け落ちしたらしい。

 父はともかく、祖父母は大切な娘を拐かした男がどうしても許せないようだった。

 俺はまだ幼い頃から祖父母にそんな愚痴をよく聞かされた。

 俺はなんとなく彼女の生い立ちをSNSの記事を見ながら探ってみることにした。

 ウラはよく地元に戻っているようで、地元の友達や彼女の妹と撮った写真なんかをアップしていた。

 記事を読み進めて行くと彼女には母親が居ないということが分かった。

 父親も蒸発してしまったらしい……。

 そこまで調べると俺は好奇心を抑えられなくなっていた。

 悪いとは分かっていたけれど、罪悪感より好奇心が勝る。

 俺は半分犯罪のようなことをしながら、ウラの実家の場所をストリートヴューで探した。

 田舎道とウラのSNSの画像を照らし合わせながら場所を確認する。

 そして……。グーグル先生のお陰で彼女の実家と思われる場所を見つけることができたのだ。

 ここまで来るとグレーゾーン飛び越えて完全に黒かもしれない……。

 迷ったけれど、俺は彼女の実家に向かうことに決めた。

 ここまで来たら最後まで行ってしまいたい。

 ウラの話(SNSだけど)が本当なら彼女の実家には双子の妹が居るはずだ――。


 11月のとある土曜日。

 俺は電車で茨城方面へと向かった。

 かなりの長距離移動で片道4時間は掛かってしまう。

 中央線で東京まで行き、それから山手線、常磐線と乗り換える。

 さらに水戸駅に着いてからもまだ乗り換えがあった。

 水戸駅8番線ホームから出る電車(本当はディーゼル車両らしいけれど)に乗る頃には俺はクタクタだ。

 ローカル線で20分ほど走る。

 車窓に広がる風景はのどかを絵に描いたような田園地帯だ。

 ウラの実家の最寄り駅で下車する。

 そこには電車から見えた田園風景が広がっていた。

 俺の地元と比較したとしても相当な田舎だと思う。

 俺は調べておいた個人商店へと向かった。

 グーグルマップの情報ではその個人商店の近所にウラの実家はあるらしい。

 駅からの歩いていると、数台の軽トラックとすれ違った。

 それ以外は特に何もなく、人とも全く会わなかった。

 20分ほど歩くと例の個人商店にたどり着いた。

 店の前にはコカコーラの自販機がやる気のない様子で並んでいる。

 店を覗くと中はガランとしていた。人が要るかどうかも怪しい……。

「すいませーん! こんにちはー!」

 俺は個人商店のガラスの引き戸を開けると店の奥に向かって声を掛けた。

「はぁーい。はいはい。今行くよぉー」

 店の奥から老婆の声がしてノソノソという鈍い足音が聞こえた。

「こんにちは! あのすいません。道を教えてほしいんですけどいいですか?」

「あぁ、はいはい。お兄ちゃんここらの子じゃあんめ? どこさ行きたいの?」

 その老婆はかなり訛っていた。

 その上、語尾が特徴的過ぎて怒っているようにさえ聞こえる。

「あの、この近くに京極さんて家ありませんか? 僕そこの従兄弟なんですけど……」

「京極? あー、ルーちゃんとこなー。そしたらこの道まーっつぐ行ぐど小学校あっがら、小学校過ぎて左側の2軒目のウチだぁ。すぐわがっど思うよ」

 やはりかなり訛っている。

 俺はその極端に訛っている(茨城ではこれが普通なのかもしれないが)老婆に礼を言うと、教えてもらった家へと向かった。

 小学校を通り過ぎ、20メートルほど歩くと老婆に案内された家にたどり着いた。

 その家の前には可愛らしい色の軽自動車が停まっている。

 玄関にはローマ字の表札で『Kyougoku』と書かれていた。

 どうやらこの家らしい。

 少し迷ってからインターフォンを押す。

 『ピンポォーン』という間抜けな音が鳴ると中から人の気配を感じた。

「はーい! ちょっと待っててくださーい。今開けますねー」

 玄関越しに穏やかそうな女の人の声が聞こえた。

 それから引き戸の鍵を開けるカチャカチャという音がして戸が開く。

「はーい! えーと、どなたですか……?」

「あの……。こんにちは。京極大輔さんの娘さんですか?」

 おそるおそる彼女に尋ねる。

 彼女は少し驚いた顔で「そうです!」と元気な声で返事をしてくれた。

「あの……。俺は高嶺七星って言います。なんか色々調べたら俺の伯母ちゃんが茨城に居るってわかって……。それで、伯母ちゃんが結婚した相手が京極大輔さんだって親から聞いてたから……。あの……。それで……」

 俺はコミュ障みたいにシドロモドロニになりながら彼女に事情を説明した。

 彼女は最初はすごく驚いた顔をしていたけれど、どうにか話を飲み込んでくれたようだ。

「そうなんだ……。じゃあ、とりあえず上がってよ! 山梨から来たんじゃ大変だったでしょ? ゆっくりしながら話聞かせて!」

 彼女は俺をリビングに案内してくれた。

 室内はかなり整然としていて、チリ一つ落ちていない。

 室内の様子から彼女の性格が窺える気がした。

 おそらく、彼女はかなりの潔癖症で細かい性格なのだろう……。

 それから彼女は簡単に自己紹介をしてくれた。

 名前は京極月姫。年齢は21歳(ウラと双子だから当然だけれど)。

 現在は町役場で事務仕事をしている。

 両親が行方不明で現在は一人暮らし中……。

 そんな感じだった。

「そっかー。七星君はお姉のバンドのファンなんだねー。そっからウチまで来ちゃんなんて行動力あるね」

「うん。急に来てごめんなさい。ウラちゃん……。ヘカテーさんと俺が従兄弟だって思ったらいてもたっても居られなかったんだー。ルナちゃんはずっと一人暮らしなの?」

「そだよー。さっきも話したけどウチは親がいないからさ! まぁ、姉は1人居るけど、あんなだしさ」

 ルナちゃんは口元に手を当ててクスクスと笑った。

「ウラちゃんは実家に戻ってこないの?」

「たまに来るよー。ほら、お姉もこっちに友達いるからね! たまには遊びたいんじゃないかな? あの人はだいたいは東京だけどね。なんかバンドとかバイトで忙しいみたいだよ」

 ルナちゃんの顔は当然だけれどウラによく似ていた。

 しかし彼女の表情や仕草はウラとは対照的だった。

 まるでコインの表と裏のようだ……。と俺は思った。

「父さんはともかく、七星君の伯母さん……。つまりウチのお母さんね! のことはほとんど覚えてないんだー。私がまだ3歳のときに家を飛び出しちゃったらしいんだけど、まったく行き先もわからないままなんだよね……」

 ルナちゃんはそう言って含むような笑みを浮かべた。

 彼女は母親に対してあまり思い入れがないらしく、その言い方は他人事のようだ。

「俺は恵理香伯母ちゃんに会ったことないんだよねー。親父の話だとおっとりした女の子だったらしいけど……。って女の子って言い方も変だよね」

 俺たちはそんな取り留めのない話を一頻りした。

 彼女は不思議なくらい優しく俺と向き合ってくれた。

 もしかしたら、彼女は数少ない身内に会えたことが嬉しかったのかもしれない……。

「そういえば七星君、今日泊まる場所あるの? 水戸まで行けばホテルあるとは思うけど、近所だと宿泊施設ほとんどないんだよね……」

 俺はルナちゃんに言われるまで帰りのことをすっかり忘れていた。

「あー!! いけねー! もう帰らないと!」

「ねえ? もし七星君さえ良ければウチ泊まっていけば? お姉の部屋とかならベッドもあるしさ!」

 思いがけない申し出だった。

「え? いいの? なんか悪いよ!」

「気にしないでいいよ。どうせこの家は私しか住んでないし、七星君の両親に聞いてみてOKなら私は構わないよ?」

「んー……。じゃあ泊まらせて貰おうかな……。ちょっと親父に聞いてみるよ!」

 俺は親に連絡して従兄弟の家に泊まると伝えた。

 意外なことに親父からはあっさりと許可が下りた。

 いつも口うるさく文句ばかり言う親父にしては珍しい。

「じゃあ七星君! 晩ご飯作るけど何がいい? ちょっと買い出し行ってくるからさ!」

 ルナちゃんはそう言うと無邪気な笑顔を浮かべた――。
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