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DISK1

第十七話 血祭り ~Bloody Festival~

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 ウラが退院した日の夜、俺は彼女の賃貸マンションを訪れていた。

 その日は酷い雨で、俺は濡れたコートを畳みながらウラの家のインターホンを押した。

 彼女は左手にギブスをして俺を部屋に迎え入れてくれた。

「まぁゆっくりしていってよ! なんか飲む?」

「ああ、気にしないでいいよ。それより、お前大丈夫か? 腕の怪我もそうだけど、急に倒れたんだし無理すんなよ?」

「大丈夫だって! みんなのお陰で元気100倍ヘカテーちゃんっすよ!」

 ウラはそう言いながら溜まっている洗濯物を片手で部屋に干し始めた。

「手伝うよ!」

 俺が洗濯物を手に取るとウラは苦笑いを浮かべながら「ありがと!」と言った。

 ウラの使う柔軟剤の香りに包まれながら一緒に洗濯物を干していると、とても穏やかな気持ちになった。

 ウラお気に入りのソフランの香りが部屋中いっぱいに広がる。

 俺たちは話ながら洗濯物を干していった。

「はい! ありがと! 助かったよー。やっぱ片手だと洗濯干すのも一苦労だねー」

 洗濯物を干し終わると彼女はガスコンロに行って換気扇を回した。

「洗濯物干し終わったら一服するのがウチでの決まりだから!」

 ウラはキッチンシンク前に置いてあるマルボロに手を伸ばす一本取り出して口にくわえた。俺と同じ煙草だ。

「洗濯干したばっかりなのにいいのか? 匂い移るぞ?」

「だから換気扇回してんじゃんよ! 大志も一服付き合ってよ!」

 俺たちはキッチンシンク前に並んで立つと、一緒にタバコを吸った。

 煙草を吸うウラの横顔は妙に寂しげだった。

「大志さぁ、月子さんと話したんだって?」

 ウラの言葉に俺は一瞬心臓が止まるかと思った。

「聞いてたのか……。勝手なことしてほんとに悪かったよ……。ごめんな……」

俺がそう言うと、ウラは穏やかな顔のまま首を横に振った。

 彼女は自然な口調で話を続ける。

「いいよ! 別に怒ってないからさ。むしろ感謝してるくらいだし。大志もジュンも私のこと本当に大事にしてくれてて嬉しいよ。健次さんから連絡来て、ちゃんと事情話してくれたんだー。まぁ……。月子さんはアレだけどさ……」

 彼女は煙草の煙を思い切り吸い込むと換気扇に向かって吐き出した。

「それで? お前はどうするつもりなんだ……。俺たちが勝手にしたことだしさ……。お前を面倒ごとに巻き込んで本当に悪い……」

「なぁに大志? 私に気を使ってる? 大丈夫だって! 私だってこの前のライブでみんなに迷惑かけちゃったしさ……。そんな謝らないでよ! でもね……。月子さんのところから離れるかどうかはまだ決めらんないかなー……」

「別に辞める必要はねーと思うぞ? ただなぁ……。俺とジュンとで話し合った結果としてお前にあまり無理はしてほしくねーんだよな……」

「ハハハ……。ありがとう。そんな風にいつも私のこと気遣ってくれる2人に感謝だねー」

 ウラは残り少なくなった煙草をもみ消して灰皿に入れた。

 灰皿の横にはマルボロとウィンストンの8ミリが置いてあった。

「お前煙草変えたのか? 昔っからマルボロだったよな?」

「ああ……。これね……。これは先輩の煙草だよ。いっつも置いて帰るんだ……」

 ウラは面倒臭そうに言ってウィンストンを手に取った。

「ちょっと聞いてくれるかな? この前から弱音とかばっか吐いてるみたいで悪いんだけどさ……」

「何だよ? 何でも言ってみ? そんな気を遣う間柄じゃねーだろ俺ら!」

 俺がそう言うと、ウラの瞳から大粒の涙が一粒零れた。

「ありがと……。私さ……。もうどうしていいか分からないよ……」

 ウラは涙を堪えながら話し始めた。

 醜くくて、自分勝手で、野望に満ちている。そんな話を……。


 あれは上京して2年目だったと思う。

 私は忙しいながらも自分の成長を実感できる毎日を過ごせていた。

 東京の生活にもすっかり慣れて、本当に音楽で生計を立てられてるんだなーって実感が持てるようになり始めていた。

 月子さんは相変わらず我儘だったし、健次さんは私にとても優しかった。

 亨一さんには時々怒られたけど、素直に彼の忠告はありがたいと思った。

 ドラムの充さん(本名、吉野充。奈良県出身の『アフロディーテ』のドラマー)とは馬鹿話をしてよく一緒に盛り上がっていた。

 だから色んな意味で私は『アフロディーテ』に支えてもらっていたと思う。

 そしてそんな時だ……。

『アフロディーテ』の正式なメンバーではないけれど、ライブの時にサポートギターを担当するギタリストと私は知り合った――。

 瀬田龍大。フリーランスで、メインとして『アフロディーテ』のライブでの演奏をしているギタリストだ。

 今からする話は彼と私の歪んだ関係の話……。

 彼と初めて出会ったのは私が月子さんの付き人になって2年目くらいだった。

「あれー? 鴨川さん、若い子連れてるねー」

「そやね! ちょっと前からウチの付き人してくれてるウラちゃんや! 以後よろしゅう」

「はい! 初めまして! 京極裏月です。よろしくお願いします!」

「お、元気がいーねー! 君さぁ彼氏とかいるの?」

「ちょっと瀬田ボーイ! 何聞いとんねん? ごめんなウラちゃんこいつこーゆーやつやねん」

 月子さんは瀬田さんを小突きながらそう言って笑った。

 瀬田さんは気にしていないのがヘラヘラしている。

「それで? 彼氏は?」

「えっと……。一応今はいません……」

 私がそう言うと、彼はニッと笑って「そうか、そうか」と言って妙に納得していた。

 正直私は「なんなのこの男?」と思ったけれど、とりあえず愛想笑いだけしておいた。

 それから私は瀬田さんと一緒に『アフロディーテ』の裏方をサポートするようになった。

 彼はサポートギターでありながら本格的に『アフロディーテ』の運営に携わっているようだ。

 私は彼の指示で、ライブの段取り(主に月子さんのコンディション調整)を行う。

 彼は健次さんや亨一さんと一緒に舞台でのセッティングをメインに行った。

「京極さんすごいなー。鴨川さん気分屋だから大変でしょー? 俺にはあの人の面倒見るの無理だからすごい助かるよー」

「私だってそんな得意じゃないですよ……。でも! やるっきゃないですからね!」

 私がそう言うと彼は私の頭をポンポンと叩いて髪の毛を撫でてくれた。

 その当時、『アフロディーテ』は全国ツアーの真っただ中で、私も彼らに同伴して全国を飛び回っていた。

 行く先々で月子さんは面倒ごとを当然のように起こしてくれた。

 その頃にはもう私も諦めがついたのか、愚痴さえ零さなくなっていたけれど……。

 瀬田さんはいつも私を甘やかしてくれた。

 ツアー先では食事をご馳走してくれたし、月子さんに面倒ごとを頼まれた時もこっそり助け舟を出してくれた。

 健次さんとは違う意味で私を支えてくれる彼に、私は少しずつ惹かれていった。(あと、彼が『アフロディーテ』のメンバーより若いってのもあったのかもしれないけれど……)

 全国ツアーも終盤に差し掛かり、残りは福岡と東京だけになったときだ。

 私はいつものように瀬田さんに誘われて夕食に出かけた。

 その時は他のメンバーも用事があったようで、私たちは2人きりだった。

「福岡お疲れ! 京極さん疲れたでしょー。今日は俺のおごりだから好きなだけ注文したらいいよ!」

「瀬田さんありがとうございまーす。本当に疲れっちゃった……。久しぶりに月子さんもいないし今日はゆっくりできそう……」

「京極さんは頑張り屋だからねー。健次さんだってあんな風にしてて君を頼りにしてるもんねー」

「ありがたい話ですよ。健次さんは本当に尊敬できるギタリストですし、月子さんだってあんなだけど優しいからどうにかやっていけてます……」

「ハハハ、実は京極さんて真面目だよねー。最初見た時は本当に大丈夫かなーって思ったけど、そんなことなかったしさぁ」

「酷い……。瀬田さん私のことそんな風に見てたんですね!」

「おっと、口が滑った。でも今がいいんだからいーじゃん! ねぇ京極さん? 今日はメンバー戻らないみたいだし、この後暇だよね?」

「ああ、そうっすね。暇は暇ですよ? 明日飛行機で東京戻るだけですからそれまでは時間空いてます」

 案の定か。私はそう思った。

 瀬田さんには時々、こんな風に誘われていた。どうやら私を女として見ているらしい。

「じゃあさ、今夜ホテル行っちゃおうか?」

「……。随分と単刀直入じゃね? もう少し気の利いた言い方してくるかと思ったよ」

「行きたくないの?」

「それは……」

 悪い癖だと思う。でも私は性行為が嫌いじゃなかった。

 男の1人や2人とヤッたからってどうってことない。

 だから……。私たちは食事が終わると福岡の歓楽街のラブホテルに直行した。

「福岡の熱い夜だね!」

「はぁ? 何言ってんのマジ? クソウケる」

 ラブホテルの部屋の中で彼はそう言いながら私のことを抱いた。

 彼は腹を空かせた肉食獣のように私の身体を貪る。

 普段の物腰柔らかそうな彼からは想像できないくらいアクロバティックだ。

 疲れた身体にはさすがに堪える。

「はぁー。いいね京極さん! 最高だったよ。どうだった?」

 行為が終わると彼はそう聞いてきた。

「んー? そうだね。フツーかなー?」

「えー!? フツー!? だって俺クラスの変態、中々いないと思うよ?」

 私はその発言を聞いて鼻で笑ってしまった。

 心の中で「その程度で?」と突っ込みを入れるほどに……。

 それから私たちは裸のままベット上で色々な話をした。

 性行為はともかく、私は彼と一緒にいるとすごく落ち着く。

 ここが私の居場所だと思えた気がしたんだ。

 その時は……。


 ウラはそこまで話すとキッチンシンクから洗濯物の横にある除湿器まで行って、設定を弱から強に変更した。

「今日雨だからさぁ。湿気こもってるんだよね。除湿しないと乾かない」

「今日は湿度高いもんなー。つーかお前、この前のボウリングの時もそうだったけど、いくら何でも男と寝すぎじゃねーか? 正直引くわ……」

「だろうねー。私も本当はこんな話、大志にしたくねーもん。でも聞いてほしいんだ……」

 除湿器のゴォーという音が部屋にこだましている。

 ウラはそんなことお構いなしに続きを話し始めた。

 窓の外を見ると雨は一層強まっている――。


 全国ツアーは東京での最終公演で無事終了した。

 『アフロディーテ』のメンバーたちはやり切ったのがよほど嬉しいのか、もしくは全国行脚にうんざりなのか、かなり晴れやかな顔をしていた。

 私も長いこと自宅に戻れていなかったけれど、やっと一息吐くことができる。

「瀬田さん! 全国ツアー中は本当にありがとうございました。おかげさまで無事帰還出来てよかったです」

「お疲れさま! 京極さん頑張ったね! 福岡楽しかったねー」

 瀬田さんはあの日の夜のことを思い出して言っているようだ。

 正直、あの夜にした行為について私は特に灌漑のようなものは持っていなかった。

 私と彼との相性というものもあるのだろうけど。(もちろん肉体的な意味で)

 でも……。それ以上に男なんて誰も信用できないと思ったからだ。

 ろくでもない生き物。特にバンドマンの男なんて……。サイテイダ。

 それでも私は……。

 落ちると分かっている落とし穴に落ちることしか出来ない。

 大丈夫。いつものことだ。そう自分に言い聞かせていた。

 これだからメンヘラクソビッチは……。自虐。

「そうっすね。福岡でもお世話になりました。楽しい時間ありがとうございます」

「ハハハ、また楽しいことしたいねー。俺は今晩でもいいよ?」

「今日はちょっと……。私も月子さんに頼まれ事してるんで! 時間出来たらまた連絡しますね!」

「うん! 待ってるよー」

 その日は月子さんと亨一さんと私の3人でのミーティングが入っていた。

「お疲れウラちゃん! ツアーほんまご苦労様でした。じゃあミーティング始めるでー」

 疲れた身体には応えるけれど、このミーティングは必須だった。

 ミーティングは、まず月子さんが今回のライブでの反省点をまず話す。

 それから次回どうするかの方針を事細かに話していった。

 月子さんが問題提起をし、亨一さんはそれに対する改善案を提示する。

 その後、メンバー・スタッフでその内容を共有する。そんなミーティングだ。

 『アフロディーテ』の屋台骨を支えているこのミーティングに私も勉強も兼ねて参加させてもらっていたのだ。(ちなみに健次さん、充さんは月子さんと口論になるため参加しない)

 一通り話し終わると、月子さんがため息を吐いて立ち上がった。

「ほな、次回はこの段取りでよろしゅう! 亨一! ウラちゃんによーく教えたってや。ウラちゃんもしっかり覚えなあかんで!」

 先に月子さんが退出すると亨一さんは、今後の段取りを私にもわかるように噛み砕いて説明し直してくれた。

「よしよし! 京極さんもちゃんとわかるようになってきたみたいだね!」

「いえいえ、亨一さんの教え方がうまいからですよ! 本当にありがとうございまいた!」

「まぁ、わからないことがあったらその都度聞いてね! 京極さんにはみんな期待してるから多少厳しいことも言うだろうけど、一緒に頑張ろう! それはそうと……」

 そこまで話して亨一さんは何か言葉を探しているようだった。

「なんすか?」

「いやね……。京極さん最近、瀬田君と仲いいじゃない? どうなの彼?」

「へ? 瀬田さんすか? まぁよくしてくれますよ! 現場でも面倒見てくれるし、ご飯もいつもご馳走になっちゃてます!」

 私がそう言うと亨一さんは難しい顔をしてため息を吐いた。

「まぁいいんだけどさ……。あんまり彼に深入りしない方がいいよ……。実力はあるんだけど、女性関係だらしないしさ」

 確かに! と私は思った。

 あの男は自身を変態とか言っちゃうイタい男だ。

「それにね? 彼はもう小学生になる息子さんがいるっていうのに、まだ女癖治らないんだよねー。スキャンダルだけは勘弁してもらわないとねー。『アフロディーテ』にとっても死活問題だからさ!」

 亨一さんがサラっと話したその言葉を聞いて、私は胸を槍で一突きされたような気持ちになった。

 既婚者とは知らなかった。マジ勘弁だ――。

 でも……。私と瀬田さんは止まることが出来なくなっていた。

 それから毎週のように瀬田さんは私の家を訪れるようになった。

 その度、私は彼と合体する羽目になった。恐ろしい話だけれど……。

 亨一さんの言葉が耳に残っていた。

 でも私は止めなかった。

 いや……。止められなかった。

 後悔すると分かっていながら止められない。

 後悔するのに行為に及ぶ私は酷く滑稽で醜くて……。

 どうしようもなく愚かだった。


 ウラはそこまで話して再び煙草に火を着けると苦そうに煙を吐き出した。

「それで? その瀬田っていうギタリストとはその後どうなったんだ? 俺もサポートギターまではよく知らねーからさ」

「ああ、まだ関係は続いてる……。残念ながらね……」

 窓の外では酷い雨が降り続いている。

 ウラは泥のように重たい表情を浮かべ、生気のない笑いを浮かべていた。

 俺はただ、彼女の話の続きを待った……。
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