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DISK1

第十一話 月の葬列 ~ネクロセレモニー~

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 ウラの父親が死んだ――。

 そんな急な知らせが届いたのは年が明け、正月気分が抜け始めた頃だ。

 彼女の父親は3年前に失踪して、ずっと行方不明だった。

 ウラと彼女の妹は父の消息をしばらく探していた。

 結局、見つからなかったわけだが……。

 彼女の父親は千葉県の外房で水死体として発見された。

 事件性があったため、ウラの妹は色々と県警の刑事に質問されたらしい。

 身内の葬儀ということでウラは実家に戻る。予期せぬ帰郷だ。

 俺はウラを見送るために、上野駅のホームまで彼女と一緒に向かった。

「んじゃ大志! 悪いけど1週間ぐらい実家戻るから! ライブ前の忙しい時期なのにごめんねー」

 ウラは実の父親が死んだというのに軽い感じだ。悲しくないのだろうか?

「気をつけて行けよー」

「うん。ありがと」

 俺はそれだけ言うと、上野駅のホームで彼女を見送った……。

 特急列車が行ってしまうと、妙に寂しい気分になった。

 そういえばこの前のジュンの話も上野での出来事だった。

 ウラの言う通り、ジュンは中宮さんを抱かなかったことを後悔しているのかもしれない。

 彼女をしっかり抱きしめてさえいれば、ジュンと彼女は幸せな関係を気付けていたのかも……。

 そんな意味のない憶測だけが頭に浮かんだ。

 覆水盆に返らず。後悔先に立たず。……だ。

 ウラの父親の葬儀が行われるのは明明後日だ。

 ウラに葬儀に参列したほうがいいのか尋ねてみたが、彼女は「別に来なくて大丈夫だよ! 身内だけでひっそりやるから!」と言われてしまった。

 彼女はあまり父親の死を悼む気持ちが薄いように思う。

 まぁ、これは彼女たち父子の確執によるものだろうけど……。

 俺とジュンはウラの身内の葬儀に参列するつもりだった。

 しかし、彼女にそう言われては行くに行けない。

 たかだかバンドメンバーが、そこまで身内の問題に首は突っ込めないだろう――。

 ウラを見送った翌日。意外な奴から連絡があった。

 高嶺七星だ。

「大志さんお久しぶりですー。なんかウラちゃんのお父さん亡くなったとかで、俺すごくびっくりしました!」

「ああ、俺もウラから聞いたよ。七星君、葬式には行くのか?」

「行きますよ! てゆーか、ウチの親父もおふくろもじいちゃんばーちゃんも薄情で、葬式行かないって言ってるんすよ! いくら恵理香おばちゃんとのことがあるからってあんまりだと思うんすけどね!」

 どうやら高嶺家の人間はウラの父親を憎んでいるらしい。

 おそらく可愛い愛娘を、駆け落ち同然で連れ去った相手だからだろう。

 仮にそうだとしても、そこまで憎む必要があるのかと俺は思うが……。

「大志さんは行かないんすか?」

「俺は行くつもりねーよ! つーかウラに来なくていいって言われちったから行けねーんだ」

「……。大志さん、もし良かったら一緒にお葬式行きません?」

 意外な申し出だった。ウラではなくその従兄弟に誘われるとは思わなかった。

「俺は構わねーけどさ、でもウラが……」

「何言ってんすか!? 大志さんにとってウラちゃんは大事なバンドメンバーじゃないっすか! 絶対行くべきですって!」

「……。そうだな! 七星君ありがとう。一緒に行かせてくれ! あともう1人のバンドメンバーも連れていっていいか?」

「当然OKっす! じゃあ、東京で待ち合わせして一緒に行きましょう!」


 七星から連絡があった翌日、俺とジュンは上野駅で待ち合わせをした。

 そして合流した七星と一緒に茨城へと向かう。

 予定外の帰郷に俺もジュンも妙な気持ちだった。

 自ずと実家に戻ることになるだろう。

 七星は俺とジュンに会えたのが嬉しいのか、口数が多い。

 どうやら七星もギターをやるらしく、本当にウラに憧れているようだ。

 水戸に到着すると俺たちはローカル線に乗り換えてウラの地元へと向かった。

 俺とジュンは水戸出身だったが、ウラだけは隣町の出身だ。

 水戸からは少し離れたところに彼女の実家はある。

 ウラの実家の最寄駅の涸沼駅で降りる乗客もほとんどいなかった。

 駅周辺には何もない。延々と田園地帯が広がっているだけだ。

「へー、京極さん確かに田舎だって言ってたけど本当にド田舎だったんだねー」

「だな……。俺も1回だけあいつを送ってったことあったけど、やっぱクソ田舎だよなー」

 俺とジュンはウラの地元をクソミソに言いながらも、田園地帯を歩いてウラの実家へと向かった。

 真冬らしく田畑には霜が降り、死に絶えているように見えた。

 ある意味において、葬儀をするには丁度良い季節なのかもしれない。

 不謹慎だけれど……。

 予定では明日に通夜、明後日に告別式が行われるらしい。

 喪主は名目上、ウラがするらしい。

 おそらく今日は葬儀の段取りに追われていることだろう。

 田園地帯を20分ほど歩くと彼女の実家にたどり着いた。

 彼女の実家はの一戸建てで、庭には裸になった桜の樹が一本植わっている。

 家の前にはウラの妹の物らしい軽自動車が停まっていた。

 俺たちは彼女の家のインターホンを押した。

 古くさいチャイムが鳴り、家の中で人の気配が動く。

 しばらくすると玄関に人がやって来た。

 カチャカチャと金属音が鳴り、ドアの鍵が開く。

「はい! どちらさまで……。あっ!」

 玄関からウラと瓜二つの女の子が顔を覗かせた。

 ウラの妹のルナちゃんだ。

「こんにちは、ルナちゃん久しぶりだね。このたびはご愁傷様です……」

 俺はこういう時の常とう句を彼女に掛けた。

 もう少し気の利いた言葉が欲しいところだが、ボキャブラリーがない。

「こんにちは大志さん! 本当にお久しぶりですねー! わざわざ来てくれたんですね。ありがとうございます。今ちょっとバタバタしてて……。お姉もちょうど出かけちゃってるんです……。とにかく上がってください!」

 ルナちゃんはそう言うと、俺たちをダイニングルームまで案内してくれた。

「本当に何もなくてすいません」

 ルナちゃんはそう言って、お茶を出してくれた。

 彼女の手つきは同世代の女子より手際が良いように感じる。

「来て下さってありがとうございます。七星君もありがとうね! ほんとにひっそりお葬式やるつもりだったからあまり準備もしてなくて……」

「いやいや、こっちこそ悪いね。ウラには来なくていいって言われてたんだけど、大事なヴォーカルのお父さんだしさ! 顔だけでも出させてもらおうと思ったんだ……」

 ルナちゃんは落ち着かない様子だ。

 予定外の来客に少し戸惑ったのだろう。

 それに、行方不明だった父親があんな形で見つかったのだからかなりショックが大きいはずだ。

「いえいえ、すごく嬉しいです! 父もきっと喜んでくれてます!」

 そう言うと彼女は不自然な笑みを浮かべた。

「ルナちゃん! ウチの親とじーちゃんばーちゃんが会いたがってたよ!」

「そっかぁ、七星君の家にもそのうち顔出さなきゃだね! この前はお姉だけに行ってもらちゃったけど、今度は私も一緒に行くね!」

 やはり母方の実家としては孫が可愛いのだろう。

 七星の言う言葉にはそんなニュアンスが含まれている気がする。

 『だったら葬式ぐらい顔出せばいいだろうに……』と俺は心の中で思った。当然、口には出さない。

 俺たちは軽くウラの近況についてルナちゃんと話をした。

 ジュンもルナちゃんに会えたのが嬉しいようで、珍しく口数が多い。

「ただいまー」

 玄関から聞きなれた声が聞こえた。

 たどたどしい足音も聞こえる。これも聞きなれた足音だ。

「よっ! おかえり!」

 俺は帰ってきたウラに声を掛ける。

 彼女は一瞬固まり、ポカーンとした顔で俺たちを見渡した。

「な、な、大志? つーか、ジュンと七星まで!? どーしたのみんな?」

「みんなお葬式だから来てくれたんだよ! お姉もちゃんとお礼言わないと……」

 ルナちゃんはウラを窘めるようにそう言うと、ウラに「ほら!」と言った。

「……。そっか、来てくれたんだね……。ありがとうみんな……」

「やっぱ、来たらまずかったか?」

 俺はウラに尋ねた。

「まずくはないよ……。むしろありがたいけどさー。大志もジュンも大丈夫なの? 今仕事だって忙しいでしょ?」

「仕事のことは気にすんな! 人の生き死にのほうが大事だしさ! 迷惑じゃなければ、葬式行かせてもらうよ!」

 やはりウラは今一つ腑に落ちないようだ。

「あ……。りがとう。明日通夜で、明後日が葬式だよ……」

 ウラは当たり前の日程を俺たちに告げると、言葉に出来ない苦笑いを浮かべた――。

 ウラの父親の葬儀は恙なく執り行われた。

 参列者は地元の知り合いが多く、親戚はあまり来ていないようだ。

 ウラの同級生らしい女の子が何人か手伝いに来ていた。

 たしか名前は……。茉奈美ちゃんと麗奈ちゃんだった気がする。

 彼女たちは京極姉妹と幼なじみらしく、終始2人に寄り添っていた。

 葬儀中、ルナちゃんが涙を零すと、ウラは妹の肩をそっと優しく抱き寄せた。

 その姿はとても印象的で、参列する弔問客たちの涙を誘った。

 黒い服で肩を寄せ合う彼女たちは、死を体現しているようだ――。


「うまい言葉がみつかんねーけど、あんまり気を落とすなよ!」

 葬儀が終わると俺はウラに声を掛けに行った。

「うん、ありがとう大志。それとさ……。悪いんだけど、今夜少しだけ時間貰えないかな?」

「ん? 構わないけど。なんだよ?」

「ちょっと話したくてさー。こっち片付いたら連絡すっからちょっと待ってて!」


 その夜、俺は水戸駅北口でウラと落ち合った。

「お疲れ大志! 今日はわざわざ来てくれてありがとうね! ルナもよろしくいってたからね!」

「おう! まぁ無事に葬式終わって何よりだ。それで? 話ってなんだよ?」

「んー。立ち話もなんだからお酒でも飲みながら……」

「おお、じゃあ行くか!」

 それから俺たちは昔よく行ったワインバーへと向かう。

 夜の北口大通りは飲み会帰りのサラリーマンが多く、あちこちから笑い声が聞こえた。

「こうやって水戸一緒に歩くの何年ぶりだろうね?」

「そうだな……。かれこれ2年ぶりぐらいじゃね?」

「早いねー。あの頃が懐かしいよ」

 ウラは懐かしそうにそう言うと、俺に肩を寄せた。

 ワインバーは駅から20分くらい歩いた場所にあった。

 店内に入るとファンシーな雑貨が置かれて女子受けが良さそうな雰囲気だ。

 俺たちはカウンター席に座る。

「いらしゃ……。あれ? 珍しいですね」

「マスター久しぶりー! とりあえずおすすめの赤、グラスで2つちょーだい!」

「京極さん本当に久しぶりですねー。大志さんも元気そうでよかったです! では今ご用意しますので……」

 ここのマスターとも2年ぶりぐらいだ。

 彼は30後半ぐらいの男性で、生活感があまり感じられない。

「今日はいいワイン入ってます。1杯目はサービスしますね」

 マスターはそう言ってワイングラスを俺たちの前に差し出した。

「ありがとうマスター。せっかくだから貰っちゃうね」

 気前の良いマスターだ。

 この人は昔からこんな感じだ。

 それからウラはグラスを手に取ると「じゃあ乾杯しようか?」とグラスを軽く持ち上げた。

 流石に不謹慎過ぎるだろう。

「お前さー。一応喪中なんだからそれはなくねーか?」

「いーの! これでルナも親父から解放されるし、私も自由に動けるようになるからその祝杯だよ!」

「祝杯って……。俺が言えた義理じゃねーけど、そんなこと言ったら親父さん浮かばれねーぞ!?」

 俺はウラを責めた。否応なく、咎めるような口調になる。

「はぁ……。ま、そう感じるのが普通だよね……」

 ウラは急に優しい顔になった。
 
「……。ねえ大志? 私ね……。今まで誰にも言ってこなかったことがあるんだ。ルナにさえ言ったことがない。でも大志になら言ってもいいかなって思ってさ……」

「うん……。何だよ?」

 それからウラは自身の父親について話し始めた。

 彼女は父親とずっと仲が悪かったようだ。

 小学校の頃から妹と比較され、高校に上がる頃にはすっかり犬猿の仲だったらしい。

 その後、17歳の時に家出もしたらしい。

 ……らしいというか、その家出期間中に俺とウラは出会ったわけだが……。

 そんな父親が蒸発してからは、ウラもルナちゃんも苦労をしたようだ。

 特にルナちゃんは、自分を犠牲にしてまで父親を捜し回ったらしい。

「ルナはね。親父のことが大事だからさ。どうにか探し出して一緒に暮らしたかったみたいなんだ」

「そりゃーそうだろ? だって母ちゃんも居なくて親父さんが蒸発したんなら探すのが普通だと思うぞ?」

「そうだね。その通りだよ! でも結果、見つからず、こんな結果になっちゃたんだよ! 私はともかく、ルナに散々迷惑かけて死にやがった親父を私は許せない!」

 俺はウラに掛ける言葉が見つからなかった。

 彼女には彼女なりの覚悟と妹への愛情があるのだろう。

 そんな愛情を踏みにじった父親が許せない。

 ウラが出した結論はそこに行き着いたようだ。

「それにね。ルナは知らないみたいだけど、親父は母さんに暴力振るってたんだよ……。DVってやつだね。だから母さんは出て行ったわけだけどさ。私はそれが一番許せない!! 私にとって大事な2人をあの男は傷つけたんだ。きっと私は一生父親を許さないと思う!」

「そうか……」

 それから俺たちの間には重い沈黙が流れた。

 いったいどうしてやるのが正解なのだろう?

 俺は掛ける言葉を見つけられなかった。

 沈黙を破ったのはウラの方だった。

 赤ワインを煽るように一気に飲み干すと再び口を開く。

「正直言うとね……。私って親父に似てるんだと思う。我が強くて、自己中で、暴力的で……。そんな自分が大嫌いでさ……。母さんに似てるルナが羨ましい……。なんで私だけこんな人から奪うだけの存在なんだろう……」

「ウラ、確かにお前は自分勝手なところあるし、時には暴力を振るうこともあるけどさ。それでもお前にはお前の良いところがたくさんあると思うぞ? 少なくとも俺はお前のそういうところ好きだしさ。だからあんまり自分を責めんなよ」

 俺の言葉を聞いたウラは気持ち悪い笑いを浮かべた。

 酔いも回っているらしく、呂律も回っていない。

「大志さー。くさいこと言うんらねー。すごく感動的らったよ。ご褒美にエッチでもしてあげようか?」

「なっ!?」

「バーカ! 冗談だよ」

 ウラは下品な冗談を言うといつものように笑った――。

 どうやらウラはかなり根深いものを心の奥に抱えているようだ。

 いつかその根を張った闇がウラを食いつぶしていくような気がして俺は不安になった。

 ファンシーなワインバーなのに俺たちの座っているカウンター席は妙に重苦しく、息が詰まるのを感じた――。
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