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ウサギとカメのデットヒート

月姫 ウサギとカメのデットヒート①

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「京極さんですね?」
 二人組の男性の方が私に尋ねてきた。
 彼は眉間に皺を寄せて怖い顔をしている。
 連れの女性は少し緊張しているようだ。
「はい、そうです。あの……。何か?」
「申し遅れました。私、千葉県警銚子警察署の伊瀬と申します」
「同じく泉です」
 彼らはポケットから警察手帳を取り出して私に提示した。
 マジマジと手帳の顔写真と本人を見比べる。
 どうやら本物の警察官のようだ。
 男性の方は伊瀬龍大。女性の方は泉聖子と名前が記されている。
「急に押しかけてごめんなさい。先にアポ取れればよかったんだけど連絡先が分からなかったもので……」
 泉さんは私を気遣うように言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「え……。あ、はい。そうなんですね……」
 私は彼ら来た理由に全く心当たりがなかった。
 千葉県の警察が私にいったい何の用だろう?
「あの確認なんですが、キョウゴク……。ウラツキ……。さん? ですよね?」
 泉さんは何やら慌ただしく書類を漁りながら私に聞いてきた。
「あ! 違います、違います! 『ウラツキ』は私の姉で、私は妹のルナです!」
 私の返答に泉さんは「へ?」と空気が抜けたような声を出す。
「えーと、えーと……」
 私の返答が予想外だったのだろう。彼女は書類を再び漁り始めた。
 伊瀬さんは特に動じる事もなく彼女の隣に黙って立っている。
 その様子は間の抜けた地方公務員そのものだった。
 私も町役場勤めなので、そういう同僚は何人も見てきたし、縁故で入った職員はだいたいそんな感じだったのだ。
 京極裏月。
 もとい『キョウゴクヘカテー』は私の双子の姉だ。
 どうやら泉さんの持っている書類は戸籍抄本の複写らしい。
 書類上で見ただけなので私を姉と勘違いしたのだろう。
 しかも読み方まで間違っている。
 まぁ、あの読み方じゃ無理もないけれど……。
「えーと、じゃあこの『ツキヒメ』さん……。あ! これで『ルナ』って読むのか!」
「おい泉さん。ちゃんと確認しなきゃだめじゃねーか! 失礼だよ?」
 そう言うと伊瀬さんは泉さんの肩を小突いた。
「でも伊瀬さん!? どう考えたってこの名前読めないよ!?」
「コラ! ご本人の前で失礼な事言うな!」
 彼らの掛け合いはまるでコントのようだった。
 緊張していたのに拍子抜けしてしまう。
「大丈夫ですよ! 名前読み間違えられるのは慣れてますから!」
「だよね? いやー今の若い子は変わった名前してるからさー!」
「あの……。立ち話もなんですから良ければ家の中にどうぞ」
 私は彼らをリビングルームに案内し、お茶の準備をした。
 来客用のティーカップを使うのは本当に久しぶりだ。
 即席のティーパックで紅茶を煎れる。
 珍しい来客に私は少し緊張していた。
 相手が警官だと思うと余計肩に力が入る。
「なんかすいません。いきなり押しかけた上にお茶までご馳走になってしまって……」
「いえいえ……。それで?……。お話って……?」
「あの、実はですね……」
 伊瀬さんは襟を正すと事情を話し始めた……。
「京極さん……。落ち着いて聞いてください。昨日、千葉県の銚子市内の海岸で京極さんのお父様と思われる男性の溺死体が発見されました。所持品に免許証がありましたのでおそらくご本人で間違いないと思われます」
 彼は淡々と昨日起きた事件について話してくれた。
 不思議な事に父の死を聞いても私はさほど驚かなかった。
  父は蒸発してから二年以上経過していたし、生死が怪しいと何となく察していたのだ。
 むしろ話している側の泉さんの方が動揺しているくらいだ。
「京極さん? 大丈夫ですか?」
「はい……。大丈夫です。もう父が居なくなって随分経ちましたから……。そんな気もしてましたし……」
「本当にお気の毒です……。それで申し訳ないのですが、身元確認のため署まで来て頂けないでしょうか? 遠いので私たちがお送りしますので……」
 伊瀬さんは私を慰めながら父の身元確認を求めてきた。
 彼は神妙な顔こそしていたけれど話す内容自体は事務的だ。
 電気信号を音声に変換しているだけのようにも聞こえる。
 対照的に泉さんは本当に悲しそうな顔をしている。
「そうですね……。では、お言葉に甘えて……」
 話が終わると明後日に迎えに来ると言って彼らは帰っていった……。
 彼らが帰ると来客用のティーカップを片づけた。
 食器類を洗うとクロスで水を拭き取ってそのまま食器棚に戻す。
 不思議と悲しいという感情はあまり湧いてこなかった。
 むしろ肩の荷が下りたような気さえする。
 三年間、私に纏わり付いてきた憑き物が落ちた……。そんな感覚……。
 私はここ三年間ずっと父の事を探していた。
 親戚や父と仲の良かった友人たちにも連絡を取ってあちこち探し回った。
 休日には父が行きそうな場所を梯子して回ったりもした。
 足が棒になるほど歩き回ったし、電話もかなりの回数掛けたと思う。
 それだけしても、父を見つける事はできなかった訳だけど……。
 最初の一年くらいは本気で探し回っていた。
 それでも仕事が忙しくなると父を探すどころではなくなってしまった気がする。
 仕方ない……。生活するために仕事をしているのだから……。
 そんな言い訳めいた言葉が私の中に浮かんでは消えていった……。
 私はきっと薄情な人間なんだと思う。
 男手一つで私を育ててくれた父なのにどこかで諦めてしまっていたのだ――。
 私はその日のうちに姉に連絡をした。
 やはりというか……。話を聞いても姉はさほど驚かなかった。
『ルナさぁ、あんまり落ち込まないでね! 父さんの遺体が戻ったら私もそっち帰るからさ! そしたらお葬式して、ちゃんとお別れしようね!』
「うん……。そうだね。お姉ありがとう! 正直言うとね。少しホッとしたんだ。ずぅーと父さん行方不明でこのまま延々と探し続けるのかなぁーって思ってたからさ。私って酷い女だよね……」
 私がそう言うと姉は数秒電話越しに黙った。
『そんな事ないって! ルナはずっと頑張ってたと思うよ? 私なんか最初の頃にちょこっと探すの手伝ったっきりでそのままだったしさ……。ねえルナ?お姉ちゃんはね。ルナには好きなように生きてほしいんだ! 私は好き勝手生きてるけどすごく楽しいよ! だからルナももっと、もっと楽しく生きてほしい!』
 姉にそう言われて私は目が潤んだ。
 涙が零れない程度、目頭が熱くなり喉から何かが込み上げてきた。
 姉の言葉にはそんな不思議な力が籠もっていたのだ。
 以前、私たち姉妹はとても仲が悪かった。
 当時の姉は尊大で自己中心的な性格だった。
 私は姉の顔さえ見たくなかったし、彼女も私にあまり関わろうとはしなかった。
 もしあの事件がなければ今でも疎遠だったかもしれない……。
 思い返すと色々な事があった。
 でも……。今こうして普通に姉と話せるようになって良かったと思う。
 だって姉は私にとって最後の家族なのだから……。
「ありがと……。父さんの事はっきりしたらまた連絡するよ!」
 姉にお礼を言うと私は電話を切った――。

 翌日、私は職場の町役場に事情を説明して休みを貰う事にした。
 職場の上司は「いいから数日休みなさい!」と快く言ってくれた。
 同僚は皆、優しく慰めてくれたし本当にありがたかった。
 家族に恵まれなかった私にとって職場の同僚や友人は家族以上の存在だと思う。
 私にとって世間は厳しい場所ではなかった。
 むしろ家族で生活する方が難しい気さえする……。

 さらに翌日。
 伊瀬さんと泉さんは約束の時間に迎えに来てくれた。
 私は彼らの車の後部座席に乗せてもらって千葉へと向かう。
 泉さんは移動中に私を飽きさせないように色々と話をしてくれた。
 彼女は一見適当そうだけれど、実は優しくて思いやりがある人のようだ。
 どことなく姉のヘカテーにも似ている気がする……。
 千葉県に向かう国道からは太平洋を臨む事ができた。
 海はどこまでも大きく広がっていて水平線もくっきりと見える。
 私は走る車の中で姉の言葉を思い出していた。
「ルナにはこれから好きなように生きて欲しい……」
 そんな姉の言葉を思い出しながら車は国道を南へ走り抜けて行った――。
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