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神戸1995⑰

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 佐藤亨一は私の理解者であり、師でもあった。私がヴォーカル以外にギターとベースができるのは彼のお陰と言ってもいいだろう。まだ”レイズ”が四人だった頃は亨一が実質的なリーダーだった。彼は月並みな言い方だけど優秀なベーシストだったと思う。単にベース演奏するだけではなく、ヴォーカル・ギター・ドラム、その全ての統括をしていた。
 今でも彼には感謝をしている。だからこそ素直に彼と向き合えなかった。かなり自分勝手な理由だとは思う。自分勝手過ぎて嫌になるほどに。
 亨一を振り切ると体育館内を見渡した。ストーブの火から立ち上る熱気で陽炎ができている。それでも一月の空気は冷たく、私の肌に突き刺さった。中途半端に暖かい分、昨日より寒く感じる。
「逢子! ヒロおったで!」
 振り返るとそこには繁樹とヒロが立っていた。ヒロは被災者とは思えないくらい小綺麗な格好をしている。
「ヒロ! 無事でよかったわ……」
「うん……。逢子もな。なんや逢子めっちゃ服汚れとるな」
 ヒロに言われるまで気にもしなかったけど、私の服は酷く汚れていた。いや、この場合、ヒロの身綺麗さのほうがおかしい気もする。
「しゃーないやろ……。着替えないんやから。ヒロは着替え持ってきたんやな」
「ああ、うちはそれほど被害なかったからな……。逢子メガネないけど大丈夫か?」
「メガネは割れてもうたよ。今頃、家の瓦礫の中にあると思うけど……」
 メガネだけではない。私の家財一式があの瓦礫の中にあるはずだ。
「そら……。大変やな……。したら服貸すで? メガネもこの前逢子が忘れてったのうちにあるし」
 繁樹とヒロの話を聞いて、私の状況が他の被災者よりも酷いものだと初めて理解した。繁樹はキャンプセットを持ち出せるぐらい余裕があったし、ヒロの家も倒壊していないらしい。
「せやな……。したらお願いするわ。悪いな……」
「ええって! したらうちに来たらええよ。どっちにしても一回帰るつもりやったから」
 ヒロはいつもと変わらない。彼女にとっては一昨日の喧嘩にしても昨日の地震にしても些細なことなのかもしれない。
 それから私は繁樹に浩太郎のことを頼むとヒロの家へ向かった。ヒロの家は中学校から近いのですぐに帰って来られると思う。
「そういえば今日は誕生日やったね。おめでとう」
「あ、ああ。ありがとう。せやね。そうやった……」
 どうやらヒロは私に言われるまで自分の誕生日を忘れていたらしい。
「ま、こんだけの地震やから忘れてもしゃーないな……。ヒロの家族は? 無事か?」
「無事みたいやね……。お父さんもお母さんも大阪行っとるから大丈夫だったみたいやで」
「へ? したらヒロ一人ぼっちか?」
 ヒロは「せやで」とさらっと答えた。
 この子はいったいどんな目に遭えば動揺するのだろう? 私はそう思った。思い返せば、ヒロの動揺を見たのは亨一と別れたときぐらいしかない気がする。今更ながら、この子の性格は分からない。
 ヒロの自宅は驚くほど綺麗な状態だった。庭にわずかに亀裂がある以外はこの前に来たときのままだ。
「散らかっとるけど入って」
 ヒロはいつもと変わらない調子で私を自宅に上げた。
「お邪魔します……。めっちゃ片付いとるやん」
「ああ、本棚から本落ちただけやったからね。シャワー浴びるか? 逢子めっちゃ汚れとるから綺麗にした方がええで」
 シャワーが出る。その言葉に私は驚いた。どうやらヒロの家は既に停電から復旧し、水道も出るようだ。
「ああ、ありがとう……。なんかヒロんちめっちゃ普通やな」
「せやね。運がよかったんやと思う……。なんかウチの近くは被害少なかったんよ」
 ヒロの家と私の家は多少は離れているけど、ここまで被害状況が違うものだろうか? そんな疑問を持ちつつ、私はシャワーを浴びさせてもらった。
 一日ぶりのシャワーは最高に気持ちよかった。目や鼻から汚れが流れ落ち、身体のべたつきがすっきりした。シャンプーで洗った髪から茶色い液体が流れ落ちる。気にしていなかったけど、どうやら相当汚れていたようだ。
「逢子ー! 着替え置いとくで。下着も新品やから気にせんで使ってな」
「ありがとー」
 ヒロの厚意がありがたい反面、少しの気味の悪さを感じた。別にヒロが悪いわけではない。悪いのは状況で、ヒロはいつも通り平常運転なだけだと思う。だからこれは相対的な気味悪さだ。非日常を日常的に過ごすことへの気持ち悪さ……。そんな感じ。
 バスルームから出るとヒロが用意してくれた下着を身につけた。予想はしていたけど、ブラのサイズが合わない。非常事態なので文句は言えないけど……。
「ほんまありがとな。お陰でさっぱりしたで」
「ええよ。こんなときやし、助け合わんとな……。あ、これ。メガネな」
 私はヒロからメガネを受け取って掛けた。昨日までピントがずれていた視界がクリアなる。
「ヒロんちに忘れててよかったで。なくても困らんけど、やっぱり文字読むんは大変やったから」
 三坂逢子の復活。そんな気分だ。胸が苦しいのはきっとブラのせいだと思う。
 それからヒロは紅茶とお菓子を用意してくれた。日常的で嗜好的なクッキーと紅茶。
「ヒロはほんまに動じんな……。あんだけの地震あったのに」
「ああ、まぁ……。そうかもしれんね。ほら、私が焦っても地震どっか行くわけでもないしな……。逢子の家族は? コウタくんはおったけど、お父ちゃんとお母ちゃんはどないしてん」
「お父ちゃんは怪我して病院や……。お母ちゃんは……」
 そこまで言いかけて私は急激な吐き気に襲われた。青い手。それが幻影のように目の前に広がる。
「大丈夫か!?」
「ああ……。大丈夫やで……。お母ちゃんは……。分からへん。気ぃ失うてから見てないんや」
 私は嘘でも本当でもない答えしか返せなかった。そもそも母が死んだかどうかなんて定かではない。でも……。本当は分かっているのだ。分かっているし、どこかで納得しかけている。
 ヒロは私の様子から何かを察したようで優しく抱きしめてくれた。
 温かい。私はヒロの胸に顔を押しつけて静かに涙を流した。その平らな胸は私の涙を覆い隠してくれた。
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