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神戸1995⑦

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 父が担架で運ばれていく。担架には申し訳程度の毛布が掛けられていた。空気は乾燥し、冷たい空気が私の肌を刺した。頭上には分厚く黒い雲が広がり、足下には瓦礫が散乱している。
 私はジャージの袖を伸ばして手の甲を覆った。吐く息は白く、身体は小刻みに震える。震えは寒さからだけではない。この状況、この惨状が私に恐怖感を与えたのだ。あたりを見渡すと隣近所の家屋もひどい有様だった。両隣の家も崩れ落ち、瓦が歩道にまで散らばっていた。
 大人たちは私の家の瓦礫を少しずつ退かしてくれた。瓦礫が一枚、また一枚と退かされる。柱や壁、家具。そんな生活の残骸が少しずつ取り除かれる。その様子は見ていてあまり気持ちいいものではなかった。つい何時間前まで私たちの生活の一部だったものが、今はもう死に絶えてしまった。そんな風に感じた。
「おぉーい! 男の子がおったで!」
 瓦礫を退けながら男の人が叫んだ。そこに散らばる残骸から察するにその場所は弟の部屋のようだ。やがて弟の学習机が顔を覗かせる。
「大丈夫か!?」
 男の人が学習机の下に声を掛けた。どうやら机の下に誰かがいるらしい。数人がかりで学習机を退かすとそこには弟の姿があった。
「コウタ!」
「あかん! 危ないから動くな! 今連れてくからな」
 私が浩太郎に駆け寄ろうとすると男の人に遮られた。
「よっしゃ……。したら持ち上げるで! せーの!」
 彼らは瓦礫の上で学習机に手を掛ける。足場が不安定でなかなか持ち上がらない。足下から瓦礫が崩れ、学習机が傾く。私は彼らの姿を指をくわえて眺めることしかできない。そんな自分があまりにも無力に思えた。
 彼らは何度も体勢を変えながらどうにか学習机を退かした。遠目に見ていても容易ではないのが伝わってくる。
「大丈夫か坊主? よう我慢したな」
 男の人は瓦礫の中に手を突っ込んで弟を引き上げてくれた。弟の顔には青あざと擦り傷ができていた。着ていたパジャマは埃まみれで、あまりにもみすぼらしい。
「コウタ! よかった……。無事やったか?」
「うん……」
 私は弟に声を掛けた。彼は放心状態であまりにも反応が薄い。
「ほら! しっかりしーや! 助かったんやで!」
 私は弟の頬を手のひらで叩いた。弟の頬は冷たく、死人のようだ。
「お嬢ちゃん、あとはお母ちゃんやったな!」
「そうです! お願いします! たしか台所におったはずやから……」
 男の人に言われて我に返る。そうだ……。まだ、母が見つかっていない。
「わかったで。今助けたるからな!」
 私は「お願いします!」と頭を下げることしかできなかった……。
 日が高くなってきたようだ。雲間から差し込む日差しが眩しい。ほんの少しだけ気温が上がったのか、刺すようだった空気もだいぶ柔らかく感じる。私は弟に毛布を掛けると「しっかりな」と声を掛けた。
 母の捜索はかなり難航していた。茶の間は玄関から近いから早めに見つかったけど、台所は二階の荷物に押し潰れている。台所だったと思われる場所には衣装ケースと中身が溢れてしまったタンスが散乱していた。男の人たちはそんな荷物を一つずつ退かしてくれた。
 やっと二階の天井が退かされるとようやく台所が姿を現した。流しだったもの、横倒しになった冷蔵庫、真っ二つに割れた給湯ポッド……。日常の残骸はあまりにも無残で、そこにあったはずの生活の匂いは消え失せている。
 そして。嫌な鉄臭さがまた鼻を突いた。数時間前に嗅いだのと同じ匂い。
 私は身を乗り出すと台所を覗き込んだ。しかし……。
「見るな!」
 男の人の声が聞こえた。でもその声は間に合わなかった。だから私はそれを直接、見つけてしまった。
 ダイニングテーブルと床の間から赤黒いシミがあった。シミは床の上にユーラシア大陸のように幅広く横に広がっていた。赤黒く広がるそれはあまりにも非現実的で、まるで映画のセットのように思えた。
 しかし……。そこにあったのは紛れもなく現実だったのだ。
 既に事切れた母の亡骸の前で私は膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
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