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神戸1995⑤
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一月一七日四時三分。私は目を覚ました。どうやら眠っていたらしい。身体中が寒く、顔は刺されるように痛かった。
下の階で何やら音が聞こえる。どうやら父が帰ってきたらしい。私はベッドから身体を起こすとファンヒーターの電源を入れた。ファンヒーターはなかなか点かない。
私は毛布に包まりながらファンヒーターを眺めた。”ジジジ”という音が聞こえるだけのファンヒーターが憎らしくなる。下の階から両親の話し声と食器の擦れる音が聞こえた。
一階の音を聞いているとファンヒーターがようやく点火した。”ボッ”という音と共に青い炎が吹き出し口で光った。これでやっと寒さから解放される。私はファンヒーターの前に座るとしばらく熱風を身体で浴びた。
暖を取っていると意識が少しずつはっきりしてきた。あれほど重かった瞼も気が付けばすっかり開いている。唇と喉が痛かった。さすがに乾燥しすぎかもしれない。でも私にはどうすることもできなかった。
部屋の温度計は一六度を指していた。時計の針もだいぶ進み、気が付けば、まもなく五時になる。
部屋のカーテンを開けると窓硝子が結露していた。水滴が滴り、窓枠を濡らしている。私はジャージの袖で窓を擦った。ほんのりと空が明るくなり始めている。
そろそろシャワーぐらい浴びておきたい……。今日は平日だし、さすがに風呂も入らずに学校に行きたくはなかった。私は意を決して毛布を脱ぐと、タンスから下着と新しいジャージを取り出した。
着替えを持って一階に下りると、父が炬燵で横になってテレビを見ていた。テレビは相も変わらず、オウム真理教の事件を放送している。
「おはようさん」
「ああ、逢子。おはよう。えらい早起きやな」
父は寝ぼけた顔で大欠伸した。
「うん。風呂入らんと寝てもうたよ。今からシャワー浴びるわ」
「そうか。寒いんやから風呂は入ったほうがええで」
私は父に「気ぃつけるわ」とだけ返してそのまま風呂場へ向かった。
風呂場は脱衣所も洗い場も酷い寒さだった。早く熱いお湯を浴びたい。私は裸になるとシャワーの蛇口をひねった。予想通り冷たい水が溢れ出したので、しばらく洗い場に冷水を垂れ流した。冷水は少しずつ熱を帯び、熱湯へと変わる。
冷えた身体で浴びるシャワーは最高に気持ち良かった。身体中の汗が流れ、シャンプーとコンディショナーで洗った髪はしんなりしている。私は身体中隈無く洗った。脇の下も股の下も足の裏さえきっちり洗う。
シャワーを浴び終わるとすっかり気分がさっぱりしていた。さっきまでの気持ち悪さはもうない。私はバスタオルで身体を拭くと下着を身につけ、ジャージに着替えた。どうせあと数時間したら制服に着替えるけど、まだいいだろう。
風呂を上がるとお茶の間でドライヤーを掛けた。父には「うるさい」と言われたけど知ったことじゃない。
時刻は五時四〇分を回った。気が付けば母が台所で朝ご飯の支度をしている。
いつも通りの朝だ。何の変哲もないいつも通りの。炬燵で怠そうに寝転がる父も台所でテキパキ動く母もまだ起きてこない弟も全部同じだ。
遠くから地響きが聞こえた気がした。そしてその音は段々と大きくなっていった――。
五時四六分。それは突然やってきた。
天井からぶら下がるシーリングの蛍光灯が激しく揺れ、あっという間に炬燵の上に降ってきた。降ってきた蛍光灯が粉々に砕け散り、炬燵の上のミカンに突き刺さった。柱が左右に激しく揺れ、茶の間の引き戸は激しく左右に行ったり来たりしていた。
父は起き上がると私に覆い被さった。台所から母の悲鳴が聞こえ、金属音とも木が折れる音ともとれないような異様な音が鳴り響いた。
そして……。その瞬間、私は意識を失った。最後に見たものは上から降ってきたよく分からない木片だった……。
私が意識を取り戻したとき、最初に聞いた音は父の吐息だった。父はまるで喘息のようにヒューヒューと苦しそうな息をしていた。
「お父ちゃん……?」
「はぁ……。はぁ。逢子……。無事か?」
「ああ、何とか無事やで」
私は今自分が置かれている状況が飲み込めなかった。たしかシャワーを浴びて、ドライヤーを掛けて……。それから。
「地震やな……。今は動かんほうがええ。動いたら崩れそうや」
父の呼吸は相変わらず乱れている。
「お父ちゃん怪我したん!?」
「あ? 大丈夫やで」
大丈夫という割に父の呼吸は悪くなる一方だった。自分の腹部が生暖かくなるのを感じる。少しずつぬるい何かが染み渡っていく。
「大丈夫やないやん!? 父ちゃん血ぃ出てるやろ!?」
「大丈夫や……。大したことない」
大したことないわけがない。明らかに出血している。
そして、私はそのときになって初めて気が付いた。母と弟は無事だろうか?
父に抱えられながら私は身動きを取れずにいた。父の血は少しずつ熱を失い始めていた。
下の階で何やら音が聞こえる。どうやら父が帰ってきたらしい。私はベッドから身体を起こすとファンヒーターの電源を入れた。ファンヒーターはなかなか点かない。
私は毛布に包まりながらファンヒーターを眺めた。”ジジジ”という音が聞こえるだけのファンヒーターが憎らしくなる。下の階から両親の話し声と食器の擦れる音が聞こえた。
一階の音を聞いているとファンヒーターがようやく点火した。”ボッ”という音と共に青い炎が吹き出し口で光った。これでやっと寒さから解放される。私はファンヒーターの前に座るとしばらく熱風を身体で浴びた。
暖を取っていると意識が少しずつはっきりしてきた。あれほど重かった瞼も気が付けばすっかり開いている。唇と喉が痛かった。さすがに乾燥しすぎかもしれない。でも私にはどうすることもできなかった。
部屋の温度計は一六度を指していた。時計の針もだいぶ進み、気が付けば、まもなく五時になる。
部屋のカーテンを開けると窓硝子が結露していた。水滴が滴り、窓枠を濡らしている。私はジャージの袖で窓を擦った。ほんのりと空が明るくなり始めている。
そろそろシャワーぐらい浴びておきたい……。今日は平日だし、さすがに風呂も入らずに学校に行きたくはなかった。私は意を決して毛布を脱ぐと、タンスから下着と新しいジャージを取り出した。
着替えを持って一階に下りると、父が炬燵で横になってテレビを見ていた。テレビは相も変わらず、オウム真理教の事件を放送している。
「おはようさん」
「ああ、逢子。おはよう。えらい早起きやな」
父は寝ぼけた顔で大欠伸した。
「うん。風呂入らんと寝てもうたよ。今からシャワー浴びるわ」
「そうか。寒いんやから風呂は入ったほうがええで」
私は父に「気ぃつけるわ」とだけ返してそのまま風呂場へ向かった。
風呂場は脱衣所も洗い場も酷い寒さだった。早く熱いお湯を浴びたい。私は裸になるとシャワーの蛇口をひねった。予想通り冷たい水が溢れ出したので、しばらく洗い場に冷水を垂れ流した。冷水は少しずつ熱を帯び、熱湯へと変わる。
冷えた身体で浴びるシャワーは最高に気持ち良かった。身体中の汗が流れ、シャンプーとコンディショナーで洗った髪はしんなりしている。私は身体中隈無く洗った。脇の下も股の下も足の裏さえきっちり洗う。
シャワーを浴び終わるとすっかり気分がさっぱりしていた。さっきまでの気持ち悪さはもうない。私はバスタオルで身体を拭くと下着を身につけ、ジャージに着替えた。どうせあと数時間したら制服に着替えるけど、まだいいだろう。
風呂を上がるとお茶の間でドライヤーを掛けた。父には「うるさい」と言われたけど知ったことじゃない。
時刻は五時四〇分を回った。気が付けば母が台所で朝ご飯の支度をしている。
いつも通りの朝だ。何の変哲もないいつも通りの。炬燵で怠そうに寝転がる父も台所でテキパキ動く母もまだ起きてこない弟も全部同じだ。
遠くから地響きが聞こえた気がした。そしてその音は段々と大きくなっていった――。
五時四六分。それは突然やってきた。
天井からぶら下がるシーリングの蛍光灯が激しく揺れ、あっという間に炬燵の上に降ってきた。降ってきた蛍光灯が粉々に砕け散り、炬燵の上のミカンに突き刺さった。柱が左右に激しく揺れ、茶の間の引き戸は激しく左右に行ったり来たりしていた。
父は起き上がると私に覆い被さった。台所から母の悲鳴が聞こえ、金属音とも木が折れる音ともとれないような異様な音が鳴り響いた。
そして……。その瞬間、私は意識を失った。最後に見たものは上から降ってきたよく分からない木片だった……。
私が意識を取り戻したとき、最初に聞いた音は父の吐息だった。父はまるで喘息のようにヒューヒューと苦しそうな息をしていた。
「お父ちゃん……?」
「はぁ……。はぁ。逢子……。無事か?」
「ああ、何とか無事やで」
私は今自分が置かれている状況が飲み込めなかった。たしかシャワーを浴びて、ドライヤーを掛けて……。それから。
「地震やな……。今は動かんほうがええ。動いたら崩れそうや」
父の呼吸は相変わらず乱れている。
「お父ちゃん怪我したん!?」
「あ? 大丈夫やで」
大丈夫という割に父の呼吸は悪くなる一方だった。自分の腹部が生暖かくなるのを感じる。少しずつぬるい何かが染み渡っていく。
「大丈夫やないやん!? 父ちゃん血ぃ出てるやろ!?」
「大丈夫や……。大したことない」
大したことないわけがない。明らかに出血している。
そして、私はそのときになって初めて気が付いた。母と弟は無事だろうか?
父に抱えられながら私は身動きを取れずにいた。父の血は少しずつ熱を失い始めていた。
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