リバースアイデンティティー

海獺屋ぼの

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東京2011⑧

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 繁樹は急ぎ足で私たちのところにやってきた。多少は気を使っているようだ。
「すまん。遅なった」
「やっと、来はった」
 私は京都風な皮肉を言った。意訳すると「遅いわボケ」。
「ほんまにすまんて。二人ともひさしぶりやな。山下さんもどうもです。したら……。だるまストレートで」
 繁樹は私の右隣に座るとカウンターに注文した。いつもの構図だ。ヒロが左、繁樹が右。
「いきなりウィスキーかいな……」
「は? ええやろ? お前みたいにオシャンなもんは飲まんて」
 繁樹も酒豪なのだ。彼は私とは違って国産の洋酒が好きでサントリーオールドやニッカを好む。山下さんは「かしこまりました」と頭を下げると、サントリーオールドの瓶を棚から下ろした。
「羽島くんってお酒強いよね」
「せやな。ってお前の方が強いやろ? 俺らのバンドで一番飲むんはヒロやろし」
 バンドメンバーは全員酒好きだ。中毒とまでは言わないけど、私もヒロも繁樹も常習的にアルコールを摂取している。繁樹の言うとおり、メンバー中ではヒロが一番酒に強いと思う。彼女は車の運転があるので外ではあまり飲まないけど、宅飲みするときはとてつもない量を飲む。しかも、ヒロはいくら飲んでも顔色一つ変えない。ウワバミってやつだと思う。
「繁樹んちは大丈夫やった? ウチは家ん中めちゃくちゃやったで」
「ああ、ウチもそれなりに壊れたで。水槽が無事なのが幸いやったけど、酒が何本かやられた」
「災難やな。ま、お互い怪我がなくてよかったけど……」
 それから私はカクテルをおかわりした。ブルーハワイ。ラムベースで南国らしい水色をしたカクテル。
「落ち着いたら神戸に顔出そうと思っててな。二人ともどうや?」
「なんや実家か?」
「せや。ウチの父ちゃんえらい心配しとったから、顔見せに行きたくてな……。逢夜の顔もしばらく見せとらんし」
 最後に実家に行ったのはいつだろう? 一年前の大阪公演のときも、結局神戸には寄れなかったし、三年近く帰っていない気がする。
「それもええかもな……。俺も実家に顔見せたいしな。ヒロはどうや?」
「ええよ。私も実家しばらく帰ってないから帰りたい」
 全会一致だ。ひさしぶりの帰省が決まると妙に懐かしい気持ちになった。神戸のみんなは元気にしているだろうか?
「そういえば”アフロディーテ”の連中、被災地でチャリティーコンサートするらしいで? あいつらやっぱ行動が早いな……」
 ”アフロディーテ”という名前を聞いて、私もヒロも一瞬固まった。“アフロディーテ”……。私たちの天敵にして最大のライバル。特にベーシストには私もヒロも深い因縁がある。
「やっぱりな。たぶん亨一が言い出したんやろ。あのバンドでそんなん気が付くんは亨一ぐらいやし」
「おそらくな。やっぱあいつは大した男やで。ま、他の連中は計画性ないやつばっかやから、そうなるだけなんやけどな」
 ヒロは黙って追加したオレンジジュースを飲んでいた。亨一の話になると彼女はいつもこうだ。
「ウチらもなんかやりたいな……。あとで事務所に掛けおうてみるわ。二番煎じだとしてもやらんよりはええやろ」
「せやな。ただでさえあいつらとは比較されるんやから……。後れを取るわけにもいかんで」
 繁樹は“アフロディーテ”をかなり意識しているのだ。それは私も同じだけど、彼はメンバーの誰よりも“アフロディーテ”を敵対視している。メンバー中、彼らを敵対視していないのはヒロぐらいだろう。
「ヒロは大丈夫か? 気乗りせんのやったら……」
 私がそう言いかけるとヒロは「ええよ。ただドラム叩くだけやし」と喰い気味に答えた。おそらく本当はやりたくないのだろう。いつものヒロならゆっくり「かまへんよ」と返すはずだ。
 ”アフロディーテ”は京都出身のヴォーカルが結成したフォーピースバンドだ。ヴォーカルの名前は鴨川月子。彼女とは長い付き合いで、私たちがまだ神戸でアマチュアバンドをしていた頃からの付き合いになる。出会った当時は仲良くやっていたけど、今はすっかり険悪になってしまった。
 “アフロディーテ”のギタリストは繁樹の弟子だった。名前は岸田健次。なかなか気さくな人で、“アフロディーテ”内でも一番の常識人かもしれない。彼とは今でも会えば挨拶する程度には友好な関係だ。ドラマーに関してはあまり詳しく知らない。名前は吉野充。なかなか腕のいいドラマーで、他のバンドのバッグバンドも兼任している。もっとも、ウチのヒロと比べればそれも霞んでしまう気がする。手前味噌だけど、ヒロのドラムは名実ともに日本一なのだ。
 そして……。ベーシストの佐藤亨一。彼とは本当に長い付き合いになる。因縁の相手、私がベースをするきっかけを作った人。そして、ヒロの元彼でもある。私が本格的にベースを始めてからずいぶんと経ったけど、未だに亨一の足下にも及んではいないと思う。謙遜ではない。亨一のベースはそれほどのレベルなのだ。
 亨一とはたまにイベントで顔を合わせた。彼は会うたび穏やかだったけど、私は彼に対して冷たく接してしまっていた。別に彼が悪いわけではい。悪いのは私だ。今も、そして昔も……。
 ヒロはヒロで亨一と会うたびに戸惑っていた。亨一も平静を装ってはいたけど、内心は揺れていたと思う。付き合っている当時はお似合いのカップルだと思っていただけに残念だ。残念……。他人事のように言ってしまったけどこれも私のせいだ。
 自虐的だとは思う。でも、そうとしか思えなかったし、実際そうなのだ。繁樹もヒロも私を責めたりはしないけど、全部私が悪い。
 多くを願い、多くを傷つけ、そして多くを失った。失いすぎて生まれ変わるほどに……。
 カウンターの上のブルーハワイが汗をかいている。私は濡れたグラスを持つとその中身を一気に飲み干した。
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