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東京2011②
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電話は繋がらなかった。回線がパンクしているのかもしれない。
どうしよう。私は途方に暮れた。逢夜の学校はここから一五分ぐらいだし迎えにいこうか? いや、いかなければ。きっと逢夜は不安がっているはずだ。私は意を決して自宅のドアを開けた。
「あわわ、渋谷さん大丈夫でしたか!?」
マンションの通路に出ると隣の部屋の井筒さんに声を掛けられた。
「どうも……。なんやめっちゃ揺れましたね」
「ええ……。こんなの初めてだわ。もう家の中めちゃくちゃよ」
どうやら彼女の部屋も地震でやられたらしい。井筒さんは酷く怯えている。生まれたての子馬のように小刻みに震え、顔は青くなっていた。
「ウチもですー。ほんまに大きな地震でしたね……」
「う、うん。だ、だ、大丈夫かな? エレベーターも止まっちゃったし」
「え? そうなん? いや……。まいったな」
最悪だ。エレベーターが止まったら階段で下りるしかない。正直、この状態で外の非常階段を下りたくはない。
私の部屋は一五階にあった。最上階の三〇階よりはマシだとは思うけど、ここから階段を地道に下りるのはさすがに骨が折れる。しかも、あれだけ大きな地震の後だ。まだ余震だってあるかもしれない。
「はぁ……。まぁ、しゃーない。ちょっと今から娘迎えいってきます」
「え!? 本当に!?」
「ええ、さすがに心配ですからね。あーあ、階段か……。あんまり降りたくないな……」
「じゃ、じゃあさ。アレ使って降りたら?」
井筒さんは震えながら緊急脱出用の救助袋を指差した。
「ああ、確かにアレやったら一瞬で下までいけますね」
「うん! ちょっと怖いけど避難訓練でやったし、できるんじゃないかな?」
気が付くとマンションの通路は住民であふれていた。ある人は泣きじゃくる赤ん坊を抱え、ある人は繋がらないケイタイで必死に電話を掛けようとしている。
「したら……。準備しますね。どうやって下ろすんやったかな……」
小学生にでも戻ったような気分だ。やはり避難訓練は役に立つ。私は井筒さんと協力して避難袋を広げた。避難袋は思いのほか固くて広げるのに手間取る。
「あとは……。コレを窓から下ろせば」
避難袋を窓から投げ下ろす。バタバタという音が鳴り、袋は地面まで落ちていった。よく見ると他の階の住人も同じように避難している。
「じゃ、じゃあ降りる?」
井筒さんは避難袋の降り口に昇った。さっきまであれほど震えていたのに意外と大胆なようだ。
「うん。いってらっしゃい。気ぃつけてな」
「い、い、いってきますぅぅぅ」
ズサァーという音と共に井筒さんは滑り降りていった。袋が擦れる音と一緒に彼女の叫び声が聞こえる。不謹慎だけど、私はその声を聞いて笑ってしまった。私だけではない。他の住人も笑いを堪えている。
「はぁ。したら私も降りるか」
そう言うとなぜか同じ階の住人から拍手が起きた。すごく変な感じだ。まるでお祭りでもしているような。
変な話だけど、これだけの緊急事態だと感覚が麻痺するのかもしれない。明らかに笑っていられる状況ではないのに不思議とみんな楽しそうにしている。
酷く不謹慎だとは思う。けど……。これでいいのではないだろうか。もし、みんながパニックになったり、泣きわめいたとすれば、もっと深刻な状況になると思う。
私はみんなの声援に見送られ脱出袋に足を入れた。不思議と怖いだとか嫌だとかのマイナスな感情は湧いてこなかった。むしろ、ステージに立っているような高揚感さえある。
そして……。私は一気に避難袋を滑り降りた。
降りてみて分かったけど、井筒さんの反応は別におかしくはなかった。この高さから一気に滑り降りるのだから、声ぐらい上げて当然だ。逆に無言で落ちる方がシュールだと思う。ちなみに私はシュールな方を選んだけど。
〝ズサァー”という音で耳が少し痛かった。摩擦熱のせいで手の甲が熱い。その感覚はまるで小学校の頃に行ったフィールドアスレチックの滑り台のようだ。実に楽しいと思う。楽しい……。そして、かなり滑稽だ。
地面に辿り着くと目眩がした。気圧の急な変化のせいなのか、遠心力のせいなのかは分からないけど、うまく立ち上がれない。
「わわわ、渋谷さん大丈夫?」
「う……。うん。大丈夫やで」
私はどうにか身を起こすと辺りを見渡した。やはり、揺れは相当激しかったようで、マンションの駐車場には落ちてきた布団やら壊れたアンテナやらが散らばっている。
その光景はこの世の終わりのようにも思えた。
……いや、違う。それほどじゃない。過去に体験したアレに比べたら大したことはない。神戸で見たあの地獄に比べれば屁でもないだろう。
私は昔のことを思い出した。世間知らずで恥知らずだった高校時代のことを。でも……。どうやら厄災は思い出にひたる時間を与えたくないようだった。
私と井筒さんが避難袋で降りて間もなく、地震の第二波がやってきた。
どうしよう。私は途方に暮れた。逢夜の学校はここから一五分ぐらいだし迎えにいこうか? いや、いかなければ。きっと逢夜は不安がっているはずだ。私は意を決して自宅のドアを開けた。
「あわわ、渋谷さん大丈夫でしたか!?」
マンションの通路に出ると隣の部屋の井筒さんに声を掛けられた。
「どうも……。なんやめっちゃ揺れましたね」
「ええ……。こんなの初めてだわ。もう家の中めちゃくちゃよ」
どうやら彼女の部屋も地震でやられたらしい。井筒さんは酷く怯えている。生まれたての子馬のように小刻みに震え、顔は青くなっていた。
「ウチもですー。ほんまに大きな地震でしたね……」
「う、うん。だ、だ、大丈夫かな? エレベーターも止まっちゃったし」
「え? そうなん? いや……。まいったな」
最悪だ。エレベーターが止まったら階段で下りるしかない。正直、この状態で外の非常階段を下りたくはない。
私の部屋は一五階にあった。最上階の三〇階よりはマシだとは思うけど、ここから階段を地道に下りるのはさすがに骨が折れる。しかも、あれだけ大きな地震の後だ。まだ余震だってあるかもしれない。
「はぁ……。まぁ、しゃーない。ちょっと今から娘迎えいってきます」
「え!? 本当に!?」
「ええ、さすがに心配ですからね。あーあ、階段か……。あんまり降りたくないな……」
「じゃ、じゃあさ。アレ使って降りたら?」
井筒さんは震えながら緊急脱出用の救助袋を指差した。
「ああ、確かにアレやったら一瞬で下までいけますね」
「うん! ちょっと怖いけど避難訓練でやったし、できるんじゃないかな?」
気が付くとマンションの通路は住民であふれていた。ある人は泣きじゃくる赤ん坊を抱え、ある人は繋がらないケイタイで必死に電話を掛けようとしている。
「したら……。準備しますね。どうやって下ろすんやったかな……」
小学生にでも戻ったような気分だ。やはり避難訓練は役に立つ。私は井筒さんと協力して避難袋を広げた。避難袋は思いのほか固くて広げるのに手間取る。
「あとは……。コレを窓から下ろせば」
避難袋を窓から投げ下ろす。バタバタという音が鳴り、袋は地面まで落ちていった。よく見ると他の階の住人も同じように避難している。
「じゃ、じゃあ降りる?」
井筒さんは避難袋の降り口に昇った。さっきまであれほど震えていたのに意外と大胆なようだ。
「うん。いってらっしゃい。気ぃつけてな」
「い、い、いってきますぅぅぅ」
ズサァーという音と共に井筒さんは滑り降りていった。袋が擦れる音と一緒に彼女の叫び声が聞こえる。不謹慎だけど、私はその声を聞いて笑ってしまった。私だけではない。他の住人も笑いを堪えている。
「はぁ。したら私も降りるか」
そう言うとなぜか同じ階の住人から拍手が起きた。すごく変な感じだ。まるでお祭りでもしているような。
変な話だけど、これだけの緊急事態だと感覚が麻痺するのかもしれない。明らかに笑っていられる状況ではないのに不思議とみんな楽しそうにしている。
酷く不謹慎だとは思う。けど……。これでいいのではないだろうか。もし、みんながパニックになったり、泣きわめいたとすれば、もっと深刻な状況になると思う。
私はみんなの声援に見送られ脱出袋に足を入れた。不思議と怖いだとか嫌だとかのマイナスな感情は湧いてこなかった。むしろ、ステージに立っているような高揚感さえある。
そして……。私は一気に避難袋を滑り降りた。
降りてみて分かったけど、井筒さんの反応は別におかしくはなかった。この高さから一気に滑り降りるのだから、声ぐらい上げて当然だ。逆に無言で落ちる方がシュールだと思う。ちなみに私はシュールな方を選んだけど。
〝ズサァー”という音で耳が少し痛かった。摩擦熱のせいで手の甲が熱い。その感覚はまるで小学校の頃に行ったフィールドアスレチックの滑り台のようだ。実に楽しいと思う。楽しい……。そして、かなり滑稽だ。
地面に辿り着くと目眩がした。気圧の急な変化のせいなのか、遠心力のせいなのかは分からないけど、うまく立ち上がれない。
「わわわ、渋谷さん大丈夫?」
「う……。うん。大丈夫やで」
私はどうにか身を起こすと辺りを見渡した。やはり、揺れは相当激しかったようで、マンションの駐車場には落ちてきた布団やら壊れたアンテナやらが散らばっている。
その光景はこの世の終わりのようにも思えた。
……いや、違う。それほどじゃない。過去に体験したアレに比べたら大したことはない。神戸で見たあの地獄に比べれば屁でもないだろう。
私は昔のことを思い出した。世間知らずで恥知らずだった高校時代のことを。でも……。どうやら厄災は思い出にひたる時間を与えたくないようだった。
私と井筒さんが避難袋で降りて間もなく、地震の第二波がやってきた。
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