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第五章 東京1994

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 正面には西浦有栖がいる。彼女は退屈そうに私の姿を見た。
「では……。鴨川さんお願いします」
「はい! オリジナル曲で曲名は『デザイア』です。よろしくお願いします!」
 私が曲名を言うと彼女はストップウォッチをスタートした。運命の三○秒のスタート。『デザイア』は私と健次で作った初めての曲だ。健次が曲を書き、充が編曲してくれた。
 健次の書く曲はパンク色が濃かった。濃すぎるかもしれない。だから充の編曲がなければどぎつくなってしまう。編曲のお陰で『デザイア』はちょうど良いパンクロックに仕上がっていた。歌い手としても歌いやすいと思う。
 私はこの曲の歌詞を書くのに、さほど時間を要さなかった。勢いで書き上げたしそれでいいと思えた。もっと言えば、時間を掛けて書いてはいけないと思った。もし、吟味して言葉選びをしたとすれば、この詞は書けなかったと思う。『デザイア』の詞は重たく、それでいてスピード感のあるものだ。緩急がかなりはっきりしていると思う。
 手前味噌だけれど、私はこの曲が好きだった。健次が書き、充が編曲し、私が歌詞を書いたこの曲が……。
 三○秒という短い時間に私の全てを注ぎ込んだ。一生懸命にではない。全身全霊に――。
 歌っている最中は周りが全く見えなかった。逢子も他の参加者も西浦さんさえ目に入らなかった。
「はい! そこまで!」
 私は西浦さんの声で我に返った。短い時間だったけれど全身から汗が噴き出していた。
「はい! ありがとうございました」
 私は深く頭を下げると椅子に腰掛けた。
「皆さんお疲れ様でした。選考終わるまで今しばらくお待ちください」
 そう言うと西浦さん口元を緩めて笑った――。
 
「どうやった!?」
 私が会場から外に出ると健次と充が走り寄ってきた。
「ああ、終わったで。今選考中みたいやね……」
「そうか……。ま、結果がどうあれ無事終わって良かったな」
 健次は気が抜けたようにため息を吐いた。健次の声を聞くとようやく一段落したような気がした。
 『レイズ』のメンバーは逢子と談笑していた。亨一も羽島くんも和気藹々としている。色々あったけれど、オーディションに参加できて良かったと思う。逢子とも直接対決出来たし、全力で歌うのは本当に気持ちが良かった。
 今回の合格者はおそらく逢子だろう。少なくと私ではない。客観的に見て彼女は完璧だったし、私なんて足下にも及ばなかった。逢子の言うとおりだ。勝負しようが何一つ変わらない……。残念だけれど。
 審査が終わったのは私たちのオーディションから二時間後のことだ。参加者たちはざわつきながら審査結果を待っている。
「月子ちゃん!」
「ああ、逢子ちゃんお疲れ」
 発表前。逢子に声を掛けられた。ファミレスで話したときに比べて幾分、表情は穏やかになっている。
「いよいよ発表やね。めっちゃ緊張する」
「せやね」
「あー、受かってたらええな。月子ちゃんもほんまに上手かったし……。案外、月子ちゃんかもしれへんな」
 逢子の肩は小刻みに震えていた。おそらく逢子は今日のために相当な努力をしてきたのだろう。
「ハハハ、そうやったらええな。でも、まぁ……。受かるなら逢子ちゃんやと思うけどな」
 気が付くと私は逢子に自分の本心を話していた。私の中では逢子の合格は絶対的だった。歌はともかく、それ以外では逢子に全く追いついていない。
 そんな気持ちをよそに西浦さんが私たちの前に現れた。
「審査結果の発表です。今回の一次選考……。合格者は三名です」
 西浦さんは白い封筒から結果の書かれた紙を取り出した。
「それでは発表します」
 私は心音が早くなるのを感じた。メトロームのように一定で早いリズムを刻む。
「合格者は……。西野有紀さん、山木隆盛さん……」
 あと一人……。あと一人だけだ。私も逢子も自身が最後の一人であることを願った。そして……。
「鴨川月子さん……。以上三名です」
 カモガワツキコ……。私は耳を疑った。合格……?
「お前! 月子! 合格やで! おい!」
 健次の声でやっと我に返った。信じられないけれど合格らしい。横を見ると逢子が震えながら顔を赤くしていた。
 予期せぬ事態だ。自信はあったけれど本当に受かるとは思わなかった。
 
 こうして私はニンヒアオーディションの一次選考を通過した。そして逢子との勝負に勝ったのだ。
 そんな実感の湧かないスタートが私たちの始まりだった。健次の。充の。そして亨一の……。
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