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第四章 京都1992
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鴨川に日の光が反射して眩しい。川床からは観光客の笑い声が聞こえる。
日傘を差した中年女性が川淵で柴犬の散歩をしていた。犬は舌を出して本当に暑そうに見える。
「来週、東京に引っ越すよ」
栞はそれだけ口にすると、私たちの顔を見渡した。
「ああ、いよいよやな……。寂しくなるで」
「うん。二人とも今までありがとうね」
二人ともありがとう? 私はこの言葉に違和感を覚えた。
健次に対して言うには不自然な言葉だ。
「あっち行っても元気でな……。手紙書くで」
私は当たり障りのないことだけ言った。毒にも薬にもなりそうにない。
「うん。それでね……。月子ちゃん。悪いんだけど、ちょっとだけ岸田くんと二人で話させて貰ってもいいかな?」
「ん? ああ、もちろん」
私は一つ返事で彼らから離れた。
二人が話している間、私は日陰で鴨川を眺めた。キラキラと光る鴨川は飽きることなく流れ続ける。
蝉の声。鴨川のせせらぎ。川床からの笑い声。
そんな音が集まって京都の夏を作り上げている。
思えば、私は鴨川の流れを見て育ってきた気がする。それこそ、まだ物心がつく前からずっと。
それは健次も同じだと思う。彼も幼少期からこの街と共に育ってきたのだ。
私たち三人の中で栞だけが違うのだ。残念ながら。
栞にとっての川は鴨川ではないのかもしれない……。
そう思うと私はとても悲しい気持ちになった。栞も京都で生まれて欲しかった。そうすればこんな別れを経験せずに済んだのに……。
「お待たせ」
気が付くと、目の前に栞の姿があった。健次の姿はない。
「ああ、あれ? ケンちゃんは?」
「岸田くんは先に帰ったよ」
栞は私の隣に腰を下ろす。彼女の目は赤く、ウサギのように腫れていた。
「そうか……。ケンちゃんとなに話したん?」
もう逃げてはいられない。と私は思った。
だから単刀直入に聞いた。これ以上ないくらい単刀直入に。
「月子ちゃん……。私には三つ宝物があるって話したの覚えてる?」
栞は私の質問を無視して、質問に質問で返す。
「ん? ああ……。覚えとるよ。一つは産んでくれた両親。二つめは物語を書くための手。たしか三つめは……。これウチから言うんは恥ずかしいな……」
栞の三つめの宝物。それは『私』だった。
彼女曰く、私は栞にとって最初で唯一の親友らしい。
「うん。三つ目は言わなくても大丈夫だよ。私はね……。月子ちゃんのことがすごく大切なんだ。比べるものじゃないけど、他の人なんかじゃ比べられないくらい。大げさに聞こえるかもしれないけど私、月子ちゃんのためなら死んでもいいって本気で思ってるんだ。月子ちゃんがどう思ってるかは分からないけどね……」
「栞……」
「だからさ。私ここ三ヶ月ずっと辛かったんだ……。月子ちゃんの大切な人奪っちゃってさ……。同じクラスの友達に恋愛相談して、気が付いたら告白してて……。それでね。気が付いたら岸田くんと付き合ってた……。正直、岸田くんと付き合えてすごく嬉しかったし楽しかった……。でも同じくらい苦しかった」
そこまで話すと栞は言葉に詰まってしまった。
私は彼女の肩を優しく抱くことしか出来なかった。
そのとき、私はとんでもない間違いをしたことに初めて気が付いた。
取り返しのつかない間違いを。
謝って済むとか、時間が解決するとかではない間違いをしていたことに――。
日傘を差した中年女性が川淵で柴犬の散歩をしていた。犬は舌を出して本当に暑そうに見える。
「来週、東京に引っ越すよ」
栞はそれだけ口にすると、私たちの顔を見渡した。
「ああ、いよいよやな……。寂しくなるで」
「うん。二人とも今までありがとうね」
二人ともありがとう? 私はこの言葉に違和感を覚えた。
健次に対して言うには不自然な言葉だ。
「あっち行っても元気でな……。手紙書くで」
私は当たり障りのないことだけ言った。毒にも薬にもなりそうにない。
「うん。それでね……。月子ちゃん。悪いんだけど、ちょっとだけ岸田くんと二人で話させて貰ってもいいかな?」
「ん? ああ、もちろん」
私は一つ返事で彼らから離れた。
二人が話している間、私は日陰で鴨川を眺めた。キラキラと光る鴨川は飽きることなく流れ続ける。
蝉の声。鴨川のせせらぎ。川床からの笑い声。
そんな音が集まって京都の夏を作り上げている。
思えば、私は鴨川の流れを見て育ってきた気がする。それこそ、まだ物心がつく前からずっと。
それは健次も同じだと思う。彼も幼少期からこの街と共に育ってきたのだ。
私たち三人の中で栞だけが違うのだ。残念ながら。
栞にとっての川は鴨川ではないのかもしれない……。
そう思うと私はとても悲しい気持ちになった。栞も京都で生まれて欲しかった。そうすればこんな別れを経験せずに済んだのに……。
「お待たせ」
気が付くと、目の前に栞の姿があった。健次の姿はない。
「ああ、あれ? ケンちゃんは?」
「岸田くんは先に帰ったよ」
栞は私の隣に腰を下ろす。彼女の目は赤く、ウサギのように腫れていた。
「そうか……。ケンちゃんとなに話したん?」
もう逃げてはいられない。と私は思った。
だから単刀直入に聞いた。これ以上ないくらい単刀直入に。
「月子ちゃん……。私には三つ宝物があるって話したの覚えてる?」
栞は私の質問を無視して、質問に質問で返す。
「ん? ああ……。覚えとるよ。一つは産んでくれた両親。二つめは物語を書くための手。たしか三つめは……。これウチから言うんは恥ずかしいな……」
栞の三つめの宝物。それは『私』だった。
彼女曰く、私は栞にとって最初で唯一の親友らしい。
「うん。三つ目は言わなくても大丈夫だよ。私はね……。月子ちゃんのことがすごく大切なんだ。比べるものじゃないけど、他の人なんかじゃ比べられないくらい。大げさに聞こえるかもしれないけど私、月子ちゃんのためなら死んでもいいって本気で思ってるんだ。月子ちゃんがどう思ってるかは分からないけどね……」
「栞……」
「だからさ。私ここ三ヶ月ずっと辛かったんだ……。月子ちゃんの大切な人奪っちゃってさ……。同じクラスの友達に恋愛相談して、気が付いたら告白してて……。それでね。気が付いたら岸田くんと付き合ってた……。正直、岸田くんと付き合えてすごく嬉しかったし楽しかった……。でも同じくらい苦しかった」
そこまで話すと栞は言葉に詰まってしまった。
私は彼女の肩を優しく抱くことしか出来なかった。
そのとき、私はとんでもない間違いをしたことに初めて気が付いた。
取り返しのつかない間違いを。
謝って済むとか、時間が解決するとかではない間違いをしていたことに――。
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