上 下
37 / 63
第四章 京都1992

しおりを挟む
 鴨川に日の光が反射して眩しい。川床からは観光客の笑い声が聞こえる。
 日傘を差した中年女性が川淵で柴犬の散歩をしていた。犬は舌を出して本当に暑そうに見える。
「来週、東京に引っ越すよ」
 栞はそれだけ口にすると、私たちの顔を見渡した。
「ああ、いよいよやな……。寂しくなるで」
「うん。二人とも今までありがとうね」
 二人ともありがとう? 私はこの言葉に違和感を覚えた。
 健次に対して言うには不自然な言葉だ。
「あっち行っても元気でな……。手紙書くで」
 私は当たり障りのないことだけ言った。毒にも薬にもなりそうにない。
「うん。それでね……。月子ちゃん。悪いんだけど、ちょっとだけ岸田くんと二人で話させて貰ってもいいかな?」
「ん? ああ、もちろん」
 私は一つ返事で彼らから離れた。
 二人が話している間、私は日陰で鴨川を眺めた。キラキラと光る鴨川は飽きることなく流れ続ける。
 蝉の声。鴨川のせせらぎ。川床からの笑い声。
 そんな音が集まって京都の夏を作り上げている。
 思えば、私は鴨川の流れを見て育ってきた気がする。それこそ、まだ物心がつく前からずっと。
 それは健次も同じだと思う。彼も幼少期からこの街と共に育ってきたのだ。
 私たち三人の中で栞だけが違うのだ。残念ながら。
 栞にとっての川は鴨川ではないのかもしれない……。
 そう思うと私はとても悲しい気持ちになった。栞も京都で生まれて欲しかった。そうすればこんな別れを経験せずに済んだのに……。
「お待たせ」
 気が付くと、目の前に栞の姿があった。健次の姿はない。
「ああ、あれ? ケンちゃんは?」
「岸田くんは先に帰ったよ」
 栞は私の隣に腰を下ろす。彼女の目は赤く、ウサギのように腫れていた。
「そうか……。ケンちゃんとなに話したん?」
 もう逃げてはいられない。と私は思った。
 だから単刀直入に聞いた。これ以上ないくらい単刀直入に。
「月子ちゃん……。私には三つ宝物があるって話したの覚えてる?」
 栞は私の質問を無視して、質問に質問で返す。
「ん? ああ……。覚えとるよ。一つは産んでくれた両親。二つめは物語を書くための手。たしか三つめは……。これウチから言うんは恥ずかしいな……」
 栞の三つめの宝物。それは『私』だった。
 彼女曰く、私は栞にとって最初で唯一の親友らしい。
「うん。三つ目は言わなくても大丈夫だよ。私はね……。月子ちゃんのことがすごく大切なんだ。比べるものじゃないけど、他の人なんかじゃ比べられないくらい。大げさに聞こえるかもしれないけど私、月子ちゃんのためなら死んでもいいって本気で思ってるんだ。月子ちゃんがどう思ってるかは分からないけどね……」
「栞……」
「だからさ。私ここ三ヶ月ずっと辛かったんだ……。月子ちゃんの大切な人奪っちゃってさ……。同じクラスの友達に恋愛相談して、気が付いたら告白してて……。それでね。気が付いたら岸田くんと付き合ってた……。正直、岸田くんと付き合えてすごく嬉しかったし楽しかった……。でも同じくらい苦しかった」
 そこまで話すと栞は言葉に詰まってしまった。
 私は彼女の肩を優しく抱くことしか出来なかった。
 そのとき、私はとんでもない間違いをしたことに初めて気が付いた。
 取り返しのつかない間違いを。
 謝って済むとか、時間が解決するとかではない間違いをしていたことに――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

あなたに誓いの言葉を

眠りん
BL
仁科一樹は同棲中の池本海斗からDVを受けている。 同時にストーカー被害にも遭っており、精神はボロボロの状態だった。 それでもなんとかやっていけたのは、夢の中では自由になれるからであった。 ある時から毎日明晰夢を見るようになった一樹は、夢の中で海斗と幸せな時を過ごす。 ある日、他人の夢の中を自由に行き来出来るというマサと出会い、一樹は海斗との約束を思い出す。 海斗からの暴力を全て受け入れようと決意してから狂いが生じて──。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

処理中です...