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第四章 京都1992

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 健次が栞の引っ越しを知ったのは七夕から数日後のことだ。
 案の定、彼は酷く取り乱し、私のところへやってきた。
「月子ぉ! 栞が引っ越すらしいんやけど!」
「ああ、知っとるよ。栞のお父さんの仕事の都合やろ?」
「なんや、お前知っとったんか!? なんで教えてくれなかったんや?」
 健次はまるで私が責めるような言い方をした。
「ごめんな……。栞が自分で言いたいらしかったから。ウチからは何も言えんかった……」
「……。そうか……。いや、俺も悪かった。ごめんな。お前にゆーてもしゃーないな……」
 いつもなら売り言葉にで喧嘩になるだろう。
 しかし、そのときはそうはならなかった。
 健次だって辛いのだ。もしかしたら私より辛いかもしれない。
「なぁケンちゃん? こんなときに言うんは心苦しいんやけど……。これから栞とどうするん? ウチとしては遠距離でも付き合ってたほうがええと思うけど……」
 私は一番聞きづらいことを彼に尋ねた。
「もちろん俺もそのつもりや! ただ……。栞はどうしたいんかな? 栞に辛い思いさせることにならんかな?」
 当然、栞は辛い思いをするだろう。
 このまま付き合っていようが、別れようが彼女が辛いのは変わらない。
「二人でよーく話おうたほうがええよ。それで二人が納得した形ならええんちゃう?」
「せやな……」
 そのとき、私は自分が滑稽に思えた。滑稽すぎて道化のような気分だった。
 健次にはそう言ったものの、私の本心はこの二人が別れることを望んでいた。
 そうすれば、健次は私のところに戻ってくる……。
 そんな邪な思考が頭を駆け巡っていた。
 そのことは決して口にはしなかったけれど、きっと栞は薄々感じているはずだ。
 あの子はそういう子だ。
 悲しいくらい優しくて、酷いくらい思いやりがある。そんな子だから――。
 七月は陰鬱な六月より残酷な季節だった。
 私も健次も栞も何かから逃げるようにそれぞれ必死だった。
 私は歌の練習に明け暮れたし、健次はバスケットボールに逃げ込んでいた。
 栞は執筆に打ち込み、私とあまり顔を合わそうとはしなかった。
 三者三様に逃げていたのだ。逃げたってどこにもたどり着けないというのに。
 中途半端に退路があるのは良くないことだ。私はそう思う。
 時間は善意も悪意もなく過ぎ去り、そこに残った物は努力による成果だけだった。
 成果……。望まない努力の結晶。それだけだ。
 気が付くと栞の引っ越しまであと一週間というところまで来ていた。
 七夕の頃は控えめだった蝉の声も今はもう遠慮がない。
 街路樹はウンザリするほど生い茂り、京都盆地の暑い夏を体現しているようだ。
 祇園祭で賑わう京都市内には観光客が押し寄せていた。私の知ったことではないけれど……。
 私たちは大きな代償を支払って大切なことを学んだのだと思う。
 大切な。そして大人になるために必要な不都合な真実について。
 時として逃げると取り返しがつかなくなる。覆水は決して盆には返らないのだ。
 そんな教訓めいた何か。それを思い知らされた。
 それを思い知らされたのは終業式の日だ。
 私と健次は栞から呼び出しを受けた。
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