深夜水溶液

海獺屋ぼの

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第五話 今、挟まれる栞

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 新橋駅に着くとSL広場に向かった。時刻は一七時四五分。おそらく栞は先に来ていると思う。広場に出ると多くのサラリーマンが行き交っていた。彼らはもう仕事あがりなのかサッパリした顔をしていた。まぁ、他人から見たら僕もその中に溶け込んでしまっているとは思うけれど。
「ただいまぁ」
 僕がSLに近づくと横から栞が顔を覗かせた。数日ぶりに見る彼女の顔はいくらか細くなったように感じる。
「おかえり。ごめんね、遅くなって」
「んーん。大丈夫だよー」
 栞の「大丈夫だよー」を聞くと懐かしさがこみ上げてきた。
 彼女は文芸部の部長をしていたときもよくそんな返事をしてくれた。
 大丈夫。心配ないよ。水貴くんは心配性だなー。
 そんな言葉一つ一つがとても愛おしい。
 栞の話す言葉はいつもありきたりで特別なものなんて一つもなかった。でも彼女は僕が欲しいときに欲しい言葉をいつもくれた気がする。
 言葉は内容より言い方とタイミングが肝心。栞を見ていると心底そう思う。
「じゃあ行こうか」
 僕はそう言うと栞の手を握った。
「うん!」
 栞は僕の手を握り返してくれた――。

 新橋の街は終わりかけのクリスマスを惜しむようなイルミネーションで彩られていた。名残の光。そんな感じの電飾だ。
 おそらく明日にはこの電飾は撤去されてしまうだろう。そう考えると少し寂しい気持ちになった。一一月末から街を照らしてきた光がたった一日でなくなるのだ。蝉の次ぐらいに短い命だと思う。
 そんな死にかけの蝉のような光の下を僕らは手を繋いで歩いた。
 直木賞受賞の時の人。うだつの上がらない編集者。そんなで凸凹な二人。
「年末年始はゆっくりできそうだよ」
 ふいに栞が呟いた。
「そっか。僕も四日まで休みかな」
「やっと一息吐けたねー。あーあ、忙しかったよー」
「本当にお疲れ様。あんまり無理しないでね」
 僕はそんなありふれた言葉を栞に掛けた。そして掛けたあと少し後悔した。もっと気の利いた言葉があったんじゃないか? そんな風に。
 でも栞は「うん。ありがとう!」と嬉しそうに返してくれた。
 昔から変わらない。そんな笑顔で。
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