深夜水溶液

海獺屋ぼの

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第二話 ワタリガラス

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 オーディションでの合格者は三名だった。その中には鴨川月子も含まれていた。この子を育てたい。素直に思う相手に出会えたのはひさしぶりだ。
 しかし……。現実は私のそんな期待を裏切った。それはあまりにもあっけなく。

 オーディションの翌週。私は社長と二人で例の喫茶店を訪れていた。いつもの席。いつものコーヒー。
「西浦部長、先日はお疲れ様でした」
「いえ、今回も無事終わって良かったです」
 目の前に置かれたコーヒーから白い煙が立ち上る。社長はコーヒーから立ち上る香りを吸い込むと一口それを口に含んだ。
「しかし……。君が冷やかしに来た子供を受からせるとはね」
 社長は笑い話でもするように自然に言った。
「……。申し訳ありません」
「いやいや、怒ってるんじゃないんだ。西浦部長にもまだ青いところがあるんだなぁって思ってね」
 なぜだろう? 社長は妙に嬉しそうだ。
「どうします? 追加で審査しますか?」
「うーん……。いや、やらないでいいだろう。君の眼鏡にかなう子は他にはいなかったんだろ?」
「それは……。まぁ」
 残念ながら社長の言うとおりだ。二〇〇人審査して基準に達したのは三名しかいない。
「とりあえず今回は二人ってことにしておこう。なぁに、君にはまだ他にやるいこともあるだろう」
 社長はそう言うと上機嫌に笑った。この人は昔からこうなのだ。いつも機嫌が良い。上機嫌でいることが彼のデフォルトなのかもしれない。
「正直言うとかなり残念なんですよ」
「ん? ああ、例の子のことかい?」
「ええ」
 例の子。鴨川月子……。どうしても彼女のことが頭から離れない。
「まぁ……。致し方ないんじゃないかな? 相手はまだ子供だし……。才能があったってまだまだ未成熟だよ」
「それは理解しています。でも……。このまま彼女のことを見送るのはあまりにも……。ね」
 自然とため息が零れる。こんなに肩すかしを食らったのは初めてかもしれない――。
 鴨川月子から合格辞退の連絡が来たのはオーディションの翌日のことだった。連絡を受けたとき、私は心の底から驚かされた。でも不思議と疑問は浮かばなかった。こういうものなのだ。華と才能とはあまりにも気まぐれで簡単にいなくなってしまう。
 これは私の経験則だけれど彼女のようなタイプは大輪を咲かせるか、一生埋没するかの二択しか用意されていない。才能があるからこそそうなってしまうのだ。凡人はなかなか諦めが付かないことでも彼らは気軽に諦められる。おそらくそれは夢を諦めても人生に支障が出ないからだろう。
 これから彼女はどうなっていくのだろう? 適当な年齢まで趣味でバンドを続けて、適齢期には結婚して子供を何人かもうけ、次第に年老いて顔には皺が寄り、やがて家族に看取られて幸せな一生を終える。そして最後は焼かれて冷たい土の中。そんな風になるのではないだろうか?
 別にその一生が悪いとは思わない。きっと幸せだろう。でも……。どうしても私は彼女にステージに立つ人間になってほしかった。きっとそれは私のエゴで極めて自己中心的な欲望なのだと思う。利己的な欲望のために少女の人生を狂わしていいのかは甚だ疑問だけれど……。
「あの……。社長」
「何かな?」
 気がつくと私は社長にある提案をしていた。あまりにも自分勝手な提案を。
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