月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第三章 月不知のセレネー

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 柏木くんの歓迎会を終えると私は自宅に戻った。リビングに京介の姿はない。確か今日は父親の手伝いだとか言ってたっけ……。と思い至る。
 電気の消えた家に帰るのは寂しいな。そんな当たり前のことを思った。京介と同棲する前は何年も一人暮らししていたのに今は彼が家で待っていてくれるのが当たり前になってしまった気がする。それはまるで本物の夫婦のような感覚だ。むしろ未だに彼氏彼女という口約束だけの関係でいることの方がおかしいとさえ思う。
 ストッキングを脱いで洗濯機に突っ込む。クリーニングに出すブラウスとスーツを折りたたんでかごに入れる。そんな一連の流れの横に京介がいない。それは非常に私を不安な気持ちにさせた。
「子供じゃないんだから」
 私は独り言の呟くと髪留めのピンをテーブルの上に放り投げた。そう、子供じゃないのだ。もうすぐ三十路。いい大人。高校生から見たらもうおばさんに見られるかも……。そんな年齢だと思う。
 そろそろ結婚かな……。もうお互いにいい歳だし、身を固めても良いかもしれない。それに子供だって欲しい……。京介はどうだか分からないけれど、少なくとも私は京介との間の子供が欲しいのだ。きっと可愛いんだろうな。私に似ず京介に似て欲しい……。そんな考えが浮かんだ。完全な妄想だ。中学生の恋愛妄想並の。
 それから私はメイクを落とした。汗とファンデーションとチーク。それが混ざり合ったメイク落としがトワイライト色に染まった。夜になりかけの。あの下高井戸で見た空のような。
 メイクを落としていると浴室前にある給湯器の操作パネルから聞き慣れたメロディが流れ始めた。『ノーリツの給湯器でお湯が沸いたときの曲』だ。正式には『人形と夢の目覚め』だったっけ? そんなことを思った。たしかこの間、京極さんが鍵山さんにリクエストした曲だったと思う。
 曲が終わると私はすぐに浴室に向かった。そして今日一日の汗と汚れの溜まった身体に熱いシャワーを浴びた。最高に気持ちが良い。さっきまでの寂しさも紛れるようだ。
 シャンプーとコンディショナーとボディーソープ。その香りを身体に纏うと少しだけ若さが戻った気がした。当然気のせいだけれど悪い気はしない。精神衛生上プラシーボ効果は必要なのだ。それが何の効果もないゴミみたいなまやかしだとしても――。
 
 風呂から上がるとリビングで髪にドライヤーを当てた。ドライ、クール、セット。その順番に風を髪に当てていく。
 そうやって髪を乾かしているとインターフォンが鳴った。嫌な予感を告げる。そんな音が部屋に響き渡った。
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