16 / 16
第16話 傷だらけの柱。
しおりを挟む凛が指差していた写真。
それは、保育園の運動会の写真だった。
母さんは高校を卒業して、すぐに父さんと結婚した。俺は、母さんが10代のうちに生んだ子だ。
若かったから、きっと子育てには苦労も多かったと思う。だけど、子供の俺から見た母さんは、優しくて、なんでも受け止めてくれる女神のような存在だった。
保育園で母さんのお迎えをまって、一緒に買い物して。お菓子をひとつ買ってもらって家に帰る。お風呂にも一緒に入って、夜は一緒に寝てくれる。
そんな毎日が永遠に続いて。
当然、ずっと俺を見守ってくれると思ってた。
母さんは俺が風邪をひいたら、ずっとそばにいてくれたし、俺が辛い時には、さっき凛がしてくれたように抱きしめてくれた。
「凛。それは保育園の運動会の写真だよ。俺、競争で転んでビリになっちゃってさ。母さんに絆創膏貼ってもらったんだ」
「へぇ。お母さん優しそうな人だねぇ。お母さんのこと好きだった?」
「あぁ。好きだったよ」
大好きだった母さん。子供の頃の俺はちゃんと気持ちを伝えられてたのかな?
あの時はビリだったけれど。たしか、母さんは俺の頭を撫でてくれて、折り紙で作ったメダルをくれたんだっけ。
不思議だな。
母さんのこと、ずっと全然思い出せなかったのに。凛といると、思い出せる。
凛は続ける。
「じゃあ、柱の傷は?」
「それは、俺の背が伸びると、母さんが印をつけてくれたんだ」
そう。毎年、母さんが印をつけてくれた柱。その印は、俺が小1のときの傷で止まっている。
母さんは俺が小1の時に亡くなった。
病気だった。
子供の俺は、母さんはすぐに退院して帰ってくると思ってた。だけれど、母さんが家に帰ってくることはなかった。
ある暑い日。
セミがみんみんと鳴いていたっけ。
母さんは俺の手を握って、俺を見つめて言った。
「蓮、あなたは優しい子。一緒に居れて、わたしは幸せだよ。だから、君には君……」
その言葉の続きは思い出せない。こんな大切なことを忘れてしまうなんて……。
母さんは俺の頭を撫でてくれた。
「これ誕生日のプレゼント。少し早いけれど、早く蓮くんが喜ぶ顔を見たいから、渡しておくね」
そして、キーホルダーを渡してくれた。
あれが最後の会話だった。
子供ながらに思ったんだ。
俺……、僕がもっと良い子にしていたら、お母さんは病気にならなかったのかなって。お母さんが死んじゃったのは僕のせいなのかなって。
そして、つらい気持ちが、わーっと押し寄せてきて、あんなに優しかったお母さんのこと思い出せなくなった。思い出せない僕は、きっと薄情で悪い子なのかなって。
俺は、気づいたら涙がポロポロと出て、子供の時に戻ったみたいな気持ちになって。凛のスカートを汚してた。
「りん、ごめ……」
すると、凛は両手で俺を包み込むように、ぎゅーって力いっぱいに抱きしめてくれる。
そして、頭を撫でながら、その粒の整った綺麗な声で囁いた。それは凛が知るはずのない言葉だった。
「れん。君は優しい人。わたしは君といると、いつも幸せな気持ちになるんだ。今日、もしわたしが死んでしまっても、その幸せな気持ちは変わらない。君は何も悪くない。だから、君には君自身を好きでいてほしいな」
……凛。
見上げると凛と目が合った。
下から見上げた凛は、さらにまつ毛が長く見える。少し目を細めて、あの日の母さんのような顔で俺を見つめている。
きっと、あの日の母さんも同じことを言ったのだろう。
今日もあの日と同じだ。
すごく暑くて、セミがみんみん鳴いている。
涙が堰を切ったように溢れ出て止まらない。悔しかった気持ちも、悲しかった気持ちも、自分を嫌いだった気持ちも。
全部、その涙に溶け出して、身体の外に流れ出ていくようだった。
凛は、母さんがしてくれたように、俺が落ち着くまでずっと一緒にいてくれた。なんだか自分の中につっかえていたものが、少しだけ取れた気がした。
その日を境に、母さんとの記憶が、少しずつ思い出せるようになった。
凛とまた目が合った。
真っ直ぐに俺の顔を見つめるその瞳は、涙で潤んでいる。
俺は凛の濡れた頬を拭う。
「なんでお前が泣いてるんだよ」
「だって……」
凛は続ける。
「ねぇ。れんくん。わたしにできることとか、なにか欲しいものとかない?」
……もう十分もらってるんだけどな。
でも、やはり健全な男子高校生なら、アレしかないだろう。いまなら無茶なお願いもいけるかも知れない。
俺は情に流されて、このチャンスを逃したりはしない。
「……パンツ」
凛はすっとんきょうな声をあげた。
「は?」
「だから、凛が脱いだパンツ欲しい」
「……」
凛は、「はぁ……」とため息をつく。
俺は殴られるのかと思い、身構えた。
しかし、凛は予想に反して穏やかな声でいった。
「仕方ないなぁ。れんくんが、わたしのもっと大切な人になったら。いつかあげてもいいよ」
「ボク。いま、ほしいの」
どうやら調子に乗りすぎてしまったらしい。
凛は、がるるーと俺を睨む。
「ばかっ。変態!! しね……とまでは言わないけれど、もう知らない!!」
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

手が届かないはずの高嶺の花が幼馴染の俺にだけベタベタしてきて、あと少しで我慢も限界かもしれない
みずがめ
恋愛
宮坂葵は可愛くて気立てが良くて社長令嬢で……あと俺の幼馴染だ。
葵は学内でも屈指の人気を誇る女子。けれど彼女に告白をする男子は数える程度しかいなかった。
なぜか? 彼女が高嶺の花すぎたからである。
その美貌と肩書に誰もが気後れしてしまう。葵に告白する数少ない勇者も、ことごとく散っていった。
そんな誰もが憧れる美少女は、今日も俺と二人きりで無防備な姿をさらしていた。
幼馴染だからって、とっくに体つきは大人へと成長しているのだ。彼女がいつまでも子供気分で困っているのは俺ばかりだった。いつかはわからせなければならないだろう。
……本当にわからせられるのは俺の方だということを、この時点ではまだわかっちゃいなかったのだ。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる