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第2章:歩み寄るふたり
第8話:レイモン・セルペット
しおりを挟む(シルヴァン視点)
「仲良くやっているようで安心したよ」
「夫人は……頑張ってくれています」
ドラクロワ侯爵に「話がある」と呼ばれ、開口一番にそんなことを言われた。おそらくこれは本題ではない。夫人の弟も一緒にいるということは、モルディアン伯爵家に関係することなんだろう。
「公爵閣下、いつもご支援ありがとうございます」
「大したことはしていない。あまり気負わないでくれ」
ロイクは俺と目が合うと、おずおずと口を開いた。まだあどけなさは残るが、初めて会った時に比べたら随分立派になったと思う。
伯爵家への支援は結婚の契約事項だから当然のとこだ。それに……若くして爵位を継ぐことがどれほど大変なことかを、俺は知っている。
「あの……!」
「?」
「公爵閣下は、姉さんのことを愛していますか……!?」
思いもよらない質問に意表を突かれた。緊迫した剣幕だが、まさかこれが本題なわけないだろう。ドラクロワ侯爵に目をやると、ニヤニヤと生暖かい視線を返された。
「正直、心配だったんです。姉さん、本当は結婚なんてしたくなかったんじゃないかって……。でも、今日閣下の隣で笑う姉さんを見て考えを改めたんです」
じろじろと見てくる群衆をじゃがいもに例えた時のことだろうか。確かにあの時夫人は笑っていた。そういえば、俺に対して笑みを向けてくれたのは初めてかもしれない。
さて……この質問にどう答えようか。13歳の少年に対して「君の姉のことは愛していない」と真っ向から否定するのは気が引ける。それに、俺自身も抵抗を感じた。
5ヶ月ほど一緒に過ごしてきて、彼女に情を抱いていることは自覚している。女性として綺麗な人だとも思っている。しかし、愛と呼べるほどの熱情を持っているわけではない。
「誰よりも、大切にしたいと思っている」
「……!」
両親を亡くし祖父が遠方に隠居した今、俺にとって彼女は共に暮らす唯一の家族。当主として、誰よりも優先して守るべき人だ。
納得のいく答えだったろうか。ロイクの反応を窺うと、彼は唇をキュッと結び、大きな瞳を潤ませていた。
「コホン。私から説明しよう」
「申し訳ありません……」
今にも涙が溢れ落ちそうなロイクを隠すように、ドラクロワ侯爵が前に出た。
「ルマンジュ子爵が、モルディアン伯爵家の実権を狙っているのは知っているな」
「はい。夫人の父君の弟、フィルマン・セルペット卿ですね」
ロイクの質問の意図はさておき、どうやらここからが本題のようだ。
モルディアン伯爵家を脅かしているのが傍系のルマンジュ子爵家であることは、契約結婚の際に夫人の母君から聞いている。幼いロイクよりも、弟である自分が爵位を継いだ方がいいというのが子爵の主張だ。
「その息子、レイモン・セルペットについては何か知っているか?」
「……いえ、初めて聞く名です」
調査によると子爵夫人は二人目の妊娠中に亡くなり、息子は数年前に戦死したらしい。後妻もとっていないはずだ。レイモンという名前は聞いたことがなかった。
「そいつがナタリーを狙っている」
「狙っている、というのはどういう意味でですか」
「私もナタリーの母から最近聞いたんだが……レイモンは過去にナタリーに対して執着的な恋愛感情を持っていたらしい」
「……」
"狙う"という表現の対象になるものはいくつか考えられる。命を狙われている可能性も考えたが、どうやら別の意味だったようだ。
「いとこ同士、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。ナタリーが兄のように慕って懐いていたのを私も覚えている」
いとこ相手に恋愛感情を抱くことは、世間的に受け入れられていない。何故なら帝国ではいとこ同士の結婚が基本的に禁止とされているからだ。
「しかし10年前、奴が伯爵家で訓練を受けている期間中に事件が発覚した……。奴はナタリーの部屋に忍び込み、私物を盗んでいたのだ」
「……」
百歩譲って好意を寄せること自体は仕方がないと思える。しかし、部屋に忍び込んで私物を盗むのは明らかな犯罪だ。
「彼女自身が被害を受けたことは?」
「……就寝中に忍び込まれたこともあったようだ」
「……」
「本人は何もされていないと言っていたらしいが……親に心配をかけないためかもしれん」
わざわざ就寝中に忍び込んで、好意を寄せる相手に何もしないというのは正直考えにくい。それに、彼女は大切な人のために自分を犠牲にすることを厭わない人だ。その男のせいで彼女が傷ついたと想像すると、無意識に奥歯を噛んでいた。
「激怒した当時のモルディアン伯爵……ラザールは、レイモンを戦地へと左遷した。その2年後、奴は戦死したと聞いていたそうだ」
「……生きていたんですか」
「ああ。お前たちが結婚した1か月後に、子爵家に戻ってきたらしい。それでフィルマンはより勢いづき、露骨に圧力をかけてくるようになった」
「なるほど……」
戦死したと思っていた一人息子が生還したとなれば、子爵の状況も大きく変わってくる。息子を更なる後継者とすれば、家門の存続という点に関しては正当性を主張できるだろう。
「実は……少し前にレイモン・セルペット卿が僕を訪ねてきて、話をしたんです」
時間が経って落ち着いたのか、ロイクが口を開いた。
「姉さんのことでした。"姉さんは望まない結婚で不幸な思いをしている。姉さんとセルペット卿が結婚すれば伯爵家も守れるし、姉さんも幸せに暮らせるから協力してくれ"って……」
「具体的には何をしろと?」
「そこまでは聞いていません。その場では返事をしませんでした」
どうやら10年経っても彼女への執着心は消えていないらしい。どうにかして俺と離婚させたいようだ。
仮にレイモンが彼女と結婚すれば、形だけ見たら丸く収まったように映る。子爵もおそらく加担するだろう。いとこ同士の結婚は基本的に禁止されているが、今回のように家門の存続がかかっているような特別な場合には皇帝の許可を得てすることができる。
「ごめんなさい……少し揺らいでしまったんです。姉さんが幸せになれるんだったら、その方がいいんじゃないかって……」
ロイクの声は徐々に震えていった。拳も強く握りしめているようだ。
「馬車の中でドラクロワ侯爵からセルペット卿の話を聞いて驚きました。そして悔しかったです……そんな奴の話を聞いて、揺らいでしまった自分が許せなくて……!」
ロイクが自分を責める必要はない。彼は夫人とは歳が離れているから、レイモンと直接的な関係はなかったはずだ。過去のことを知らないロイクを利用しようとするあたり、レイモンという男の狡猾な性格が窺える。
「お願いです公爵閣下……姉さんを守ってください……!」
俺を見上げた、春の穏やかな空のような青い瞳が、彼女のそれと重なって見えた。
「もちろんです。彼女は私の妻ですから」
お願いされるまでもなく、守るつもりだ。彼女も、彼女が大切にしている家族も。
「これはこれは、フランジャール公爵にドラクロワ侯爵。豪華な顔ぶれですな」
「!」
「フィルマン……!」
不意にしゃがれた声が割り込んできた。小太りでくすんだ灰色の口髭を蓄えた、この中年の男がルマンジュ子爵だ。
偶然を装った口ぶりだが、わざわざ人気の少ない階段下で話す俺たちに声をかけたのは意図があってのことだろう。
「なぜお前がここに……」
「招待を受けたからですよ」
皇宮に招待されるのは基本的に伯爵以上の高位貴族のみ。それにも関わらず子爵である彼がここにいるということは、皇室に何かしらのコネがあると推察できる。
服装の至るところに高価な宝石があしらわらているのを見る限り、ずいぶん調子が良さそうだ。
「ルマンジュ子爵、伯爵への挨拶がないようですが」
「ロイク坊ちゃん、大きくなりましたな」
「モルディアン伯爵です」
「……」
俺が指摘しても、子爵は頑なにロイクのことを伯爵とは呼ばなかった。「モルディアン伯爵とは認めない」という宣戦布告とも取れる強硬な態度だ。
大胆な発言の割に態度は悠然としていて、笑顔を崩さない。しかし脂肪で膨らんだ皮膚によって面積が小さくなった褐色の瞳は、冬の土のような冷たさを放っていた。
「……」
ドラクロワ侯爵と顔を見合わせて小さく頷く。
子爵がいるということは息子のレイモンもこの場に来ている可能性が高い。夫人が心配だ。
「では、俺は妻のところに戻ります」
「おやおや、数多の女性を泣かせてきた公爵閣下もすっかり愛妻家になられたようで」
嫌味たらしい言い方は侮辱ともとれる。おそらく俺の反応を見て、夫人との関係性を探ろうという魂胆だろう。そんな安い挑発には乗ってやるものか。
「そうですね。この世で一番大切な女性です」
***
「公爵閣下……」
「急いでいるので」
わらわらと群がってくる貴族たちを振り切って早足に歩いていくと、テラス近くのソファ席に薄紅色の髪を見つけた。向かいにティトルス卿と彼女の友人が座っているから間違いないだろう。
隣に座り彼女をじっとりと見つめる男に見覚えはない。しかし奴こそがレイモン・セルペットであるとすぐにわかった。近づくにつれ、彼女が俯き、肩を震わせているのが見えたからだ。
「ナタリー!」
「!」
自分でも意外に思うほど大きな声が出た。多くの視線が集まるのを感じたが、彼女の潤んだ瞳以外はどうでもよかった。
「立てますか?」
「あ……」
怯える彼女を少しでも安心させたくて、彼女のそばに跪きできる限り優しく声をかけた。
彼女の瞳に映る俺の姿はユラユラと歪んで見えた。すっかり曇ってしまった青い瞳に心が痛くなる。同時に、その元凶である男に対して腹立たしさを感じた。
「昨日捻った足が痛むようですね。掴まってください」
「……っ」
今この場で事を荒げるのは得策ではない。彼女の気持ちを落ち着かせることが最優先だ。
申し訳なさそうに俺の手に乗せられた彼女の手は、手袋越しでも冷たく感じた。震える手をぎゅっと握り、立ち上がらせる。恐怖で身体に力が入らないのか、よろけた彼女の腰に手を回してしっかりと支えた。
「お初にお目にかかります、フランジャール公爵」
この状況でよく挨拶ができるものだ。細められた褐色の瞳は子爵とよく似ていた。笑みを貼り付けてはいるが、にじみ出る敵意は隠せていない。いや、隠すつもりがないのかもしれない。
「妻の具合がよくないようだ。挨拶はまた今度にしてくれ」
「……失礼致しました」
今はこの男の相手をしている場合ではない。過去のことも含め、必ず制裁は下す。彼女の細い腰を引き寄せ、心に誓った。
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