潔癖の公爵と契約結婚したけど、なんだか私に触ってほしそうです

itoma

文字の大きさ
上 下
5 / 24
第2章:歩み寄るふたり

第5話:カミーユ皇太子

しおりを挟む


 馬のひづめが石畳の道を蹴る音が、静かな空間に響き渡る。馬車のタイヤが大きな石を踏む度に私の体は左右に揺れたけど、目の前に座る公爵は微動だにしなかった。

「……」

 公爵邸を出発して、どのくらいが経っただろうか。
 今まで乗った馬車で一番豪華で乗り心地が良いはずなのに、公爵といつもより近い距離で向かい合うこの密室はなかなか心が休まらず、時間の経過を遅く感じた。

「いろんな人から挨拶を受けると思いますが、適当に流しておけば大丈夫です」
「は、はい」

 私たちが向かっているのは首都にある皇宮。皇太子の誕生日には帝国内の高位貴族のほとんどが参加するはずだ。
 そんな中でも、3年ぶりに顔を出す公爵に注目が集まるのは必至。そしてきっと公爵夫人となった私にも好奇の視線は向けられるだろう。「適当に流していい」と言われても、そうもいかない場面があるかもしれない……そう思うと胃がキリキリと不快感を訴えたが、笑顔で送り出してくれた公爵邸の人たちを思い出せば乗り越えられる気がした。

「ドラクロワ侯爵には、ちゃんと挨拶をしようと思っていますのでよろしくお願いします」
「ジャン……ドラクロワ侯爵ですか」
「ご存知ですか?」
「はい。両親と仲が良かったらしく、よく家に来ていました」
「なるほど」

 ドラクロワ卿はかつて王室騎士団のトップに立つ騎士だった。お父様の旧友らしく、私が小さい頃はよく家に来て遊び相手になってくれた。彼と最後に会ったのはお父様のお葬式……暗い顔ばかり見せてしまっていた気がする。

「ドラクロワ侯爵は俺の剣の師匠なんです」
「そうなんですね」

 ドラクロワ卿のことを語る公爵はいつになく表情が柔らかく見える。きっと彼のことを尊敬しているんだろう。
 
「……着いたようですね」

 公爵の視線を辿ると、速度を落とし始めた馬車の窓越しに豪華絢爛な皇宮が見えた。
 誕生祭は明日の昼に開催される。近隣に住む貴族以外は前泊することになっているため、馬車は本殿を通り過ぎてその奥にある来賓館の前で止まった。
 外の様子を窺うと、既に多くの貴族が集まっていた。今からその視線に晒されると思うと、急に喉の乾きを感じてゴクリと唾を飲む。

「行きましょう」
「は、はい……!!」

 躊躇なく馬車を降りた公爵に慌てて続き、直面したその光景に思わず硬直してしまった。

「ほら見て、フランジャール公爵が手を差し出してるわ」
「彼が女性をエスコートするなんて……」

 そんな声が聞こえてきたけど、一番困惑しているのはこの私だ。初めて見る公爵の掌はとても大きく感じた。常に清潔に保たれているこの手に、果たして私の手を重ねていいものか。
 おずおずと公爵の顔色を窺うと、真っ直ぐと視線を返された。嫌がってる感じはしない。
 契約結婚とはいえ一応夫婦だし、周りの目があるところでは体裁を気にするのかもしれない。私は手袋をしているから素肌で触れるわけじゃないし……

(よし……!)

 私は意を決して、公爵の掌に自分の手を軽く乗せた。そしてなるべく体重をかけないように、足と腹筋の筋肉を駆使して地面に着地した。

「……夫人」
「は、はい」
「ちゃんと食事はとっていますか」
「え? はい。料理長の作るご飯はとても美味しいです」
「……」

 公爵の何か言いたげな視線が突き刺さる。何で今食事のことを聞かれたんだろう。その真意はよくわからないけど、公爵の癇に障るわけにはいかない。
 公爵の腕に手をかけて歩く時も、なるべく体重をかけないように全神経を集中した。


***


「はあ……」

 部屋に案内されてすぐに荷物の整頓を終わらせ、私は「散策をしてきます」と一人で外に出てきた。自然と溢れたため息は白くて、私の心のモヤモヤが具現化して出てきたかのように思えた。
 
(まさか公爵と同じ部屋だなんて……)

 夫婦に同室が用意されるのは当たり前のことなのに。何でもっと早く気づかなかったんだろう。心の準備がまったくできていない。
 私と公爵は普段別室だし、もちろん初夜も経験してない。男性と同じ部屋で寝るだけで緊張してしまうのに、公爵相手となると潔癖に対する気配りもしなくちゃいけない。いくら皇宮のふかふかのベッドに寝転んだとしても、緊張で眠れる気がしない。
 ドギマギする私に対して、公爵は平然と「俺がソファで寝ます」と持参した自分の枕をソファに置いていた。

「あっ……いけません……」
「大丈夫です……今この世界には貴女と私しかいませんよ」
「あら……うふふ」
(いえ、おります……)

 人の多いメインの庭園ではなく隅にあるハーブ園を選んだのに、こっちはこっちで居心地が悪かった。
 逢瀬を楽しんでいる男女を避けてあてもなくフラフラと歩いていたら、いつの間にか本宮への渡り廊下まで追いやられていた。

「何だと!?」

 仕方なく部屋に戻ろうと踵を返した時、ただならぬ怒号が聞こえて足を止めた。声の方に目を向けると渡り廊下に明るい金髪の男性が二人。カミーユ皇太子と、その弟バティスト皇子だった。二人とも眉間に皺を寄せて険悪な表情をしている。
 二人は血の繋がった年子の兄弟で仲が良いと言われている。王位継承権に関しても、弟のバティスト皇子は学問の才能があるようで、特に諍いはなくカミーユ皇太子に決まったはず。

「この……クズが!!」
「ぐッ……!」
(ひええ……)

 柱の影から見守っていると、ついに手が出てしまった瞬間を目撃した。いや、正確には頭だ。バティスト皇子の頭突きがカミーユ皇太子の顔面に直撃して、カミーユ皇太子は鼻を押さえてよろけた。

「国宝級の顔に何をする!!」
「お前が俺のチョコレート食ったのが悪い」
「チョコレートを置いてどこか行ってる方が悪い!」

 兄弟喧嘩の原因は食べ物だった。子どもじみた理由に一気に拍子抜けしてしまった。ちょっと度は過ぎてると思うけど、男兄弟の喧嘩だとこんなものなんだろうか。
 ちなみに言い分を聞く限りカミーユ皇太子が悪いと思う。
 
「二度と俺のチョコレートに手を出すな」
「そういう言葉は女性に対して……おい待て!」

 バティスト皇子は冷たく言い放って本宮の方へ去っていった。何はともあれ、大事件にならなくてよかった。

「ん?」
「ひっ」

 私の足が草を踏む音が聞こえたのか、取り残されたカミーユ皇太子が私の方を向いた。
 驚いて小さく悲鳴をあげてしまったうえに、しっかり目が合ってしまった。私は観念して柱から身を出した。

「カミーユ皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
「ああ……見てたのか」
「申し訳ございません。あの……もしよろしければこちらをお使いください」
「……すまない」

 手の甲に血がついているのが見えて、持っていたハンカチを渡した。頭突きのせいで少し鼻血が出てしまったみたいだ。
 カミーユ皇太子は今年で18歳。さすが"帝国一の美男子"と名高いだけあって、整った顔をしている。明るい金髪は太陽光を反射してサラサラと輝き、王族の象徴である紫色の瞳は神秘的な魅力を感じた。

「モルディアン伯爵令嬢か」
「ナタリーと申します。今はフランジャール公爵家に嫁いでおります」
「ああ、知っているとも。結婚おめでとう」
「ありがとうございます」

 ハンカチに施してあった家紋の刺繍で、私がモルディアン伯爵家の者だとわかったみたいだ。

「公爵とは仲良くやっているのか?」
「よくしていただいております」
「つまらん男だろう?」
「そんなことは……私には勿体ないお方です」

 紫色の瞳にジロジロと見つめられる。なんだか値踏みされてるような気分になって居心地が悪い。

「夫人」
「!」

 無意識に後ずさった先に公爵がいたようで、声をかけられると同時に優しく肩に手を置かれた。

「皇太子殿下、お久しぶりです」
「ああ。招待してもなかなか来てくれないから避けられてるかと思ったぞ」
「ははは」

 公爵は私の前に出てカミーユ皇太子に挨拶した。
 おそらく公爵はカミーユ皇太子のことをあまりよく思っていない。さっきの皇太子の「つまらん男」という発言も棘があったし、二人はあまり友好的ではないのかもしれない。お互いに口角を上げてはいても、目は全然笑っていなかった。
 ハラハラして見守っていると、カミーユ皇太子と目が合ってにっこりと笑顔を向けられた。

「ナタリー夫人、そなたの心遣いに感動した!」
「え? いえ、そんな……」

 そして次の瞬間、グッと距離を詰められて手を握られた。

「今度新しいハンカチを贈ろう」
「そこまでしていただかなくても……」
「いや、受け取ってくれ。私の気がおさまらないんだ」
「はあ……」

 お気持ちはありがたいけど、なんだか芝居がかっているのが気になる。そしてそれ以上に、隣に立つ公爵の殺気だった雰囲気が気がかりだ。

「楽しみにしていてくれ!」

 上機嫌で去っていくカミーユ皇太子。その後ろ姿を睨む公爵の眉間には皺が深く刻まれていた。いったいこの二人の間に何があったんだろう。気になったけどとても聞ける雰囲気ではなかった。

「……」
「あの……」

 公爵に詰め寄られて胸がドキドキする。カミーユ皇太子よりも背が高いのに、不思議と威圧感は感じなかった。
 公爵は眉間に皺を寄せたまま、私の手を見つめている。

「その手袋は捨てた方がいいと思います」
「え!? でもこれは買ったばかりの……」
「食事の前に手も洗っておきましょう」
「は、はい」

 カミーユ皇太子に握られただけで特に汚れはついていないのに。触られただけで公爵の"潔癖"という逆鱗に触れてしまったということだろうか。
 そうだとしたら私をエスコートした時、いったい公爵はどんな心境だったんだろう……想像しただけで寒気がした。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

あなたを忘れる魔法があれば

美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。 ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。 私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――? これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような?? R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

姉の婚約者であるはずの第一王子に「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」と言われました。

ふまさ
恋愛
「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」  ある日の休日。家族に疎まれ、蔑まれながら育ったマイラに、第一王子であり、姉の婚約者であるはずのヘイデンがそう告げた。その隣で、姉のパメラが偉そうにふんぞりかえる。 「ぞんぶんに感謝してよ、マイラ。あたしがヘイデン殿下に口添えしたんだから!」  一方的に条件を押し付けられ、望まぬまま、第一王子の婚約者となったマイラは、それでもつかの間の安らぎを手に入れ、歓喜する。  だって。  ──これ以上の幸せがあるなんて、知らなかったから。

(完結)「君を愛することはない」と言われて……

青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら? この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。 主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。 以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。 ※カクヨム。なろうにも時差投稿します。 ※作者独自の世界です。

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

泣き虫令嬢は自称商人(本当は公爵)に愛される

琴葉悠
恋愛
 エステル・アッシュベリーは泣き虫令嬢と一部から呼ばれていた。  そんな彼女に婚約者がいた。  彼女は婚約者が熱を出して寝込んでいると聞き、彼の屋敷に見舞いにいった時、彼と幼なじみの令嬢との不貞行為を目撃してしまう。  エステルは見舞い品を投げつけて、馬車にも乗らずに泣きながら夜道を走った。  冷静になった途端、ごろつきに囲まれるが謎の商人に助けられ──

処理中です...