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第1章:池の霊コーディ
第7話:コーディの救済
しおりを挟むサンドイッチを食べた後、フィオナとルイスはまっすぐ寮に帰ってきた。
東門から入って手前にある男子寮でルイスと別れ、フィオナはコーディの背中を追いかけた。
「コーディさん!」
コーディが向かったのは校舎裏の池だった。迷いなく池の中に入っていくコーディをフィオナが呼び止める。
霊である彼が溺れるわけはないし、事件後に水底は埋め立てられ、今では成人の腰あたりの深さしかない。それでもフィオナは、コーディがどこか遠いところに行ってしまうんじゃないかと、不安げな表情を浮かべた。
『……本当にきみはお節介だよ』
池の中で振り返ったコーディは、眉を下げて笑っていた。
『友達にバレたくないなら、霊の事情に干渉するのは程々にしといた方がいい』
「……はい」
もし今の場面を誰かに見られていたら、何もない池に向かって呼びかけるフィオナは奇妙に思われていただろう。きっと過去にも似たような経験をしてきたはずだと、頭の良いコーディにはすぐわかった。
お節介だとは言ったものの、コーディは本心ではフィオナの優しさに感謝していた。自分の声を聞いてくれる人、そして自分のことを偲んでくれる友人の存在が、コーディの心を救ったのだ。
『ありがとう、フィオナ』
「!」
にっこりと笑ったコーディの姿が朧げになり、やがて砂のようにサラサラと散っていった。水面が小さく揺れて、西に向かう太陽の光を反射してチカチカと輝く。
(きれい……)
宝石のように輝く水面は、まるでコーディからの別れのプレゼントのように思えた。きっともう会うことはないだろう。しかしフィオナの表情は清々しく、悲しみの色は見えなかった。
「あっ……!」
「フィオナ!!」
バシャン!
さっきまで穏やかだった池が、大きな水しぶきをあげて波打つ。水面に触れようと一歩近づいたフィオナが、足を滑らせて池に落ちてしまったのだ。
それと同時に、フィオナのことが気になって近くまで来ていたルイスが駆けつけた。
「何やってんだよ!」
「ルイス……!」
コーディと話す姿を見られたんじゃないかと顔を青くするフィオナだが、それ以上にルイスも顔を青くしていた。
「掴まれ!」
「あ、ありがとう」
ルイスに手を差し伸べられ、フィオナは一瞬躊躇した。今は溺れるほどの深さはないし、自力で上がろうと思えば上がれる。それに、他人にはなるべく触らないように心がけてきた。
しかし真剣なルイスの表情を見たら、その厚意を断ることができなかった。フィオナはおずおずとその手を取った。
「わっ」
「!?」
ルイスの手を掴んだ瞬間、フィオナはまたしても水の中で足を取られ、全体重を彼に委ねることになった。何年も手入れされていない池の底には、苔が生い茂って滑りやすくなっていたようだ。
ルイスは不意を突かれてなす術もなく、正面から池に引きずりこまれてしまった。バシャンと、再び激しく水しぶきが舞う。
「ご、ごめん……!」
「……大丈夫」
ルイスは落ち着いた様子で池から上がり、次にフィオナを引き上げた。
「私のせいでごめんね……」
「っ……別にいいよ」
たっぷり水を吸い込んだスカートの裾を絞るフィオナ。ルイスはその姿を視界に入れて、思わず目を逸らした。
肌に張り付いた白いブラウスと腰のラインにぴったりくっついたスカートが、普段隠されている女性らしい体のラインを強調する。さらに裾から見えた白い脚は年頃の男子には刺激が強すぎて、ルイスは心臓の音が煩くなっていくのを抑えられなかった。
「!?」
「あ……前髪邪魔かと思って……」
「だ、大丈夫」
(やっぱり怒ってる……)
俯くルイスの額に張り付いた前髪をフィオナが掻き分けた。せっかく見ないようにしていたのに、これでは逆効果だ。ルイスはますます照れくさくなり、不自然に視線を逸らした。
「濡れてるけど……ないよりマシだと思う」
「あ……ありがとう」
「寮まで送る」
ルイスは着ていた紺色のジャケットを軽く絞ってからフィオナの肩にかけた。
休日とはいえ寮で生活している生徒がほとんどのため、構内を歩けば人の目に触れる可能性がある。こんな姿のフィオナを男子が見つけたら、チャンスだと言わんばかりに寄ってくるだろう。
寮まで送り届ける道すがら、彼は心臓の音がフィオナに聞こえないようにと切に願った。
***
男子寮。シャワーを浴びて自室に戻ってきたルイスは、タオルでガシガシと頭を拭きながらベッドに腰をかけた。
部屋にはベッドと机とクローゼットが二つずつ。1ヶ月が経っても物が増えることもなく、部屋の雰囲気は最初の状態と全く変わっていなかった。
「ネイト」
「はい」
ルイスはルームメイトに声をかけた。
ネイトと呼ばれた金髪の青年は、ルイスの正面に後ろ手を組んで立っていた。ルームメイトにしてはかしこまった態度に見えるのは、二人の間に明確な主従関係があるからである。
ルイスはまだ存在を公にされていないロイフォード王国の王太子、そしてネイトは専属の護衛騎士だった。彼もまた、身分を偽ってアカデミーに入学していた。
「今日、つけてただろ」
「! お気付きでしたか……さすがです」
「必要ないって言ったはずだけど」
「……」
ネイトの職務はアカデミーに通うルイスを護ること。常に影からルイスを見守っているネイトは、今日もルイスを遠くから護衛していた。
「フィオナは警戒しなくていい」
「……俺は怪しいと思います」
「問題ない」
ネイトが主君の言いつけを破ってまで後をつけたのは、フィオナを警戒していたからだった。"ごく普通の女子生徒"と形容するにしては、フィオナの言動は不可解な点が多すぎた。
今日一日見てきて結果的に危険な目に合ったものの、フィオナ自身がルイスを攻撃しようとしているわけではないことはわかった。それでもネイトは疑いを拭いきれずにいた。
「何か隠しているとは思う。でも……秘密くらい誰にでもあるだろ」
「……」
ルイスも、フィオナが何かを隠していることは感じとっていた。しかしそれは自分を脅かすようなものではないと判断したようだ。
「そうだネイト、頼みがある」
「はい」
乾いてきた前髪を弄りながら、ルイスが改めてネイトを呼んだ。ネイトはピシッと背筋を伸ばす。
「髪を切ってくれ」
「……え?」
主君の頼みがあまりにも予想外すぎて、聞き返してしまったネイトだった。
***
「あの留学生、ルイスにも色目使ってるらしいよ」
「あんなモサくてダサい奴に?」
「変わった趣味してるのね」
翌朝の教室はいつもよりもざわついていた。
昨日、びしょ濡れになったフィオナとルイスの姿は多くの生徒達に目撃されていて、脚色された噂となって広がっていたのだ。
フィオナの耳にも入っていたが、特に気にする様子はなく静かに席についていた。
「昨日びしょ濡れになったって聞いたけど大丈夫?」
「うん。池に落ちちゃって」
「え!?」
そんな中、隣に座るレナルドだけは純粋にフィオナの心配をしてくれていた。心配そうに見つめてくるエメラルドグリーンの瞳から、温かさが伝わってきた。
「もしかして……霊のせいで?」
「ううん違うの。足を滑らせただけ」
「そっか……怪我がなくてよかったよ」
多少なりとも霊の存在は関与していたのだが、フィオナは正直に伝えなかった。レナルドに余計な心配をかけたくなかったからだろう。
「え……」
「ちょっと、アレって……」
もうそろそろ教授が来るだろうという頃、教室の入り口に生徒達の視線が集まった。
入ってきたのはルイスだった。ルイスは海のように青い瞳で教室を見渡し、フィオナを見つけると真っ直ぐ歩み寄ってきた。
「……おはよ」
「おはよう。髪切ったんだね」
「うん。いい加減邪魔だったからな」
ルイスが注目を集めたのは髪を切ったからだった。
顔周り、特に重たかった前髪がすっきりしてキリッとした眉と綺麗な瞳がよく見える。そのバランスは整っていて、フィオナに薄く微笑んだ表情は女子達が見惚れるくらいだった。
「隣座っていい?」
「うん」
「僕はレナルド。よろしくね」
「ルイスだ。よろしく」
「あ……席代わろうか?」
「そのままでいい」
レナルドとルイスが友達になるのはフィオナにとって喜ばしいことだった。間に自分がいては邪魔かと思い、フィオナは席を動こうとするがルイスにピシャリと断られた。この場でこれ以上レナルドと言葉を交わす気はないらしい。
(もう少し仲良くなったら……ラウルのこと聞いてもいいかな……)
ルイスの横顔に懐かしい面影を感じながら、フィオナは小さな決意を抱いた。
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