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第1章:池の霊コーディ
第5話:池の霊コーディ
しおりを挟むアカデミーに入学して初めての休日、フィオナは王立図書館にやって来た。
アカデミー内にある図書室の5倍は広く、1階から3階までびっしりと本で埋め尽くされた光景は圧巻だった。
館内は静寂に包まれ、時折ページをめくる音が響く。鼻をくすぐる古書のにおいも、フィオナの気分を良くさせた。
(イータ族についての本がこんなにあるなんて)
フィオナは2階の西側にある民族学のコーナーで、イータ族に関する書籍を手に取った。
イータ族とは、昔「魔女」として迫害を受けた一族で、死者の魂と会話できるとされていた。イータ族について調べれば、霊について何かわかるかもしれないとフィオナは思ったのだ。
「あらフィオナさん、ごきげんよう」
「……こんにちは」
タイトルに「イータ族」が付く本を2冊抱えたところで、女子に声をかけられた。名前はわからなかったが、丁寧に巻かれたブロンドの髪には見覚えがあった。ゴミ出しの嫌がらせをしてきた女子生徒の主犯格と、その取り巻き一人だった。
「それは……イータ族についての本ですね。魔女と呼ばれる一族を調べるなんて……フィオナさんは魔女になりたいのかしら?」
「だから呪われたルイスなんかに近づいたのね」
「ルイスは呪われていません」
自分のことを何と言われようが聞き流していたフィオナだったが、ルイスを悪く言われた途端に反論した。
「撤回してください」
「でも実際彼に近づくとカラスに襲われるらしいじゃない」
「それはルイスに悪意を持っていたからです。むしろ人の道理に外れることをして呪われたと言えるのは彼らの方じゃないでしょうか」
「何を……」
「実際に私が彼の傍にいても何も起こっていません。根も葉もない噂を簡単に信じるのは、イメンスアカデミーの生徒として恥ずべきことだと思います」
「なっ……!」
ゴミ出しの時もおとなしく従っていたフィオナが面と向かって言い返してくるとは思わなかったんだろう。女子二人は気おされてカァッと顔を赤くした。
「何よ、急に饒舌になっちゃって!」
「あっ……」
言葉で言い返せなくなったのを誤魔化すためか、ブロンド髪の女子がフィオナの肩を押した。
本を両手で抱えていたフィオナは咄嗟のことに受け身を取れず、背後の本棚に背中を強く打って尻餅をついた。その衝撃で数冊の本がバラバラと床に落ちる。
「何をしているんだ!!」
その音を聞いたのか、司書と思われる男性が駆けつけた。
「ちょっとぶつかってしまっただけですわ」
「そちらの方、お身体が弱いようなので手を貸してあげてくださいな。紳士の手じゃないと取りたくないみたいなんです」
女子達は悪びれる様子もなく、くすくすと含み笑いを浮かべて去っていった。明確な証拠もない状況で、司書が彼女達に処罰を与えられるわけがないと確信したのだろう。
ただ、散らばった数冊の本と座り込むフィオナ、そして先程の女子達の態度を見ればどちらが被害者かは明らかだった。
「……大丈夫かい?」
「大丈夫です」
司書は手を差し伸べたが、フィオナはその手は借りずに自力で立ち上がった。
フィオナはなるべく他人と触れ合わないように心掛けている。それは幼い頃から、使用人達に「触ったら呪われる」と恐れられてきたのが理由だった。伯爵邸を離れてもその気遣いは身体に染み付いてしまっていたのだ。
行き場をなくした司書の手は、床に散らばった本を拾い上げることにした。
「イータ族について調べているのかい?」
「あ……はい」
「それならボルジャー教授の論文をオススメするよ。案内しようか?」
「お願いします」
本のタイトルを見れば、フィオナが何を調べているのかはすぐにわかった。
利用者に適切な本を案内するのは司書である彼の仕事だ。特に民族学は彼の得意とする分野だった。
「僕は司書のクリス・エイマーズ。君はアカデミーの生徒だよね」
「はい。ルゼオンから来ました、フィオナ・ロートレックです」
クリスと名乗った司書は、グレーの長髪を低い位置で一括りにしていて、鼻の少し上にそばかすがあり、素朴で優しげな印象を受けた。
「これとこれと……あとこれも参考になるかな」
「ありがとうございます」
「これが僕の仕事だからね。探してる本があれば遠慮なく頼ってほしい。それから……」
クリスはいくつかの論文をフィオナに手渡しつつ、その華奢な腕と白い肌、そして整った顔を一瞥した。
おそらく多くの男性が彼女に魅了されるだろうと容易に想像できた。見た目の端麗さはもちろんのこと、フィオナが纏う儚げな雰囲気は男性の庇護欲を刺激するのだ。
「さっきみたいな嫌がらせが常習してるなら、周りの大人に助けを求めるんだよ」
そして、容姿や能力の秀でた者が時には虐げられることがあるという事実を、クリスはよく知っていた。
「ファーノン教授ならきっと力になってくれるはずだ。僕も4年前までアカデミーに通っていて……お世話になったんだ」
「……もしかして、コーディさんを知っていますか?」
「! ……ファーノン教授に聞いたのかい?」
「はい」
「コーディとは友達だった……いや、僕にそんな資格はないんだけどね」
クリスはイメンスアカデミーの卒業生であり、コーディの友人だった。初対面のフィオナを気にかけるのも、コーディが溺死した日の真相を知る者の一人だからだ。
「コーディはとても頭が良くて、アカデミーを首席で卒業する予定だったんだ」
クリスは伏目がちに当時のことを話し始めた。
「でも、それをよく思わない同級生がいてね。ある日彼を人気のない池に呼び出して、卒業式での首席挨拶を辞退しろと圧力をかけてきたんだ」
「……喧嘩ではなかったんですか?」
「喧嘩なんてものじゃないよ……あれは一方的な恐喝だった」
「じゃあ、コーディさんが池で溺れたのは……」
「……」
クリスは無言で頷いた。
コーディがいじめっ子への制裁に固執するのは、彼がいじめによって命を落としたからだったのかと、フィオナはようやく理解した。
「僕も同罪なんだ」
「え……?」
「あの日、僕も一緒に呼び出されて……友達の僕から説得するように脅されたんだ」
「!」
「僕は当時とても気が弱くてね……言ってしまったんだ。『首席挨拶を辞退してくれないか』って……」
主犯格の生徒はコーディの友人であるクリスまでもを脅して利用していた。子爵家の出身であるクリスは侯爵家の嫡子である彼に反抗することができず、言いなりになってしまったのだと打ち明けた。
「彼が首席をとるまで、どれだけ努力してきたかを知っていたくせに……」
「きっとコーディさんもわかっていたんじゃないでしょうか」
「ああ……コーディはすぐに僕が脅されてるってわかったみたいだった。『友達を巻き込むな』って怒ってくれて、主犯格の生徒に殴りかかったんだ」
「……」
「そして取り巻き二人に押さえられて、そのまま池に……」
話しながら無意識のうちにクリスは握り拳に力を入れていた。
「今でもよく考えるんだ。あの時僕が奴らの言いなりになってなかったら、コーディは大好きな本に囲まれて楽しく仕事をしていただろうなって」
クリスは、あの日からずっと後悔と懺悔に苛まれていた。彼の心の奥底には、権力に屈して友人に酷いことを言ってしまい、コーディの死の発端になってしまったという重い罪の意識があった。
「司書になったのはコーディさんのためですか?」
「……いや、結局は自分の罪滅ぼしのためだよ」
当時内定していた役所の仕事を辞退し、コーディがなるはずだった王立図書館の司書を目指したのは自責の念からだった。
(エイマーズ卿とコーディさんを会わせられないかな……)
コーディはクリスが彼の意志を汲んで司書になったことを知っているだろうか。彼がどれほど深く愛され、想われていたかを、コーディに知ってほしいとフィオナは思った。
***
(ルイスを連れていけば一緒に来てくれるかも)
コーディとクリスを会わせるため、コーディが憑いているルイスを図書館へ連れていこうとフィオナは考えた。
ルイスを捜してアカデミーの敷地内を歩いていると、池の近くで女子二人と対峙するルイスを見つけた。昨日フィオナに絡んできた二人である。
ルイスがフィオナ以外の女子といるのは珍しい。話している内容までは聞こえないが、見る限り女子は怒りに顔を赤くして声を荒げている。少なくとも穏やかな雰囲気ではなさそうだった。
「ルイス!」
フィオナがルイスに駆け寄ると、コーディを含めた全員の視線がフィオナに集まった。
「フィオナさん、ちょうど良かったわ」
「?」
怒り心頭に発していたはずの女子はコホンと小さく咳払いをし、フィオナに声をかけた。何度もフィオナに対して嫌がらせをしてきた割には優しい声色だった。
「ルイスと友達を辞めれば、私達の仲間に入れて差し上げますわ」
「……え?」
「男女の友情なんてありえませんもの」
「あなたのことをいやらしい目で見てるわよ」
彼女達は今までとは打って変わってフィオナを仲間に引き込もうとしてきた。
もちろん本当にフィオナと友達になりたいと思っているわけではない。ルイスとフィオナの仲を引き裂き、更に孤立させてやろうという魂胆だった。
つい先程ルイスにも似たような提案をしてキッパリ断られたため、ターゲットをフィオナに変更したようだ。
(仲間に入れてほしくないって、どう伝えれば……)
「ふふふ、迷ってるみたいね」
フィオナは口ごもる。迷っているわけじゃない。彼女達の仲間に入れてほしいなんて微塵も思わないのだが、その伝え方に困っていたのだ。
「優しいフィオナさんのために答えやすい質問にしてあげましょう……私達とルイス、今後友達でいたいのはどちらですか?」
わかりやすく選択肢を与えられて、フィオナは明るい表情でハッキリと答えた。
「ルイスです」
「「!?」」
「フッ」
フィオナの即答に唖然とする女子達。まさか断られるとは思っていなかったのだ。一方でルイスの口からは堪えきれない笑いが溢れた。
「ほ、本気で言ってるの? 今ならまだ……」
「お名前も知りませんし……あなた達も本気で私と友達になりたいわけじゃないですよね?」
「なっ……!!」
散々意地悪をしてきたのに、フィオナに名前も知られてなかったことに女子達は愕然とした。
主犯格の彼女の名前はクレア。ブラニング伯爵の一人娘として家族からも使用人からも可愛がられ、愛されて育ってきた。
ブロンドの髪とぱっちりした瞳、長い睫毛を持つ彼女は同級生の間でも美人だと評判で、1学年の中心人物として注目を集めていた。
しかしその注目の視線が、ある日突然フィオナに奪われた。それがフィオナに嫌がらせをする理由だった。
「こんなモサくてダサい奴に色目を使っても何の得もありませんよ!?」
「ルイスはダサくないですし、色目は使ってませんし、得はなくても構いません」
「ッ!!」
フィオナはクレアの心無い発言の全てを否定した。その凜とした表情から、ルイスへのブレない友愛が感じ取れる。何を言ってもフィオナの気持ちが揺らぐことはないだろう。
「この……ッ」
「あ。あんなところにカラスが……」
「ひっ!?」
「じ、時間を無駄にしましたね! 行きましょう!」
フィオナの毅然とした態度に少し驚いたルイスだが、これ以上は危険と判断して女子達を追い払った。
実際のところコーディが制裁を加える一歩手前だったが、彼もまたフィオナの対応に感心して動かずにいたのだった。
「そうだルイス、次の休日ヒマ? 一緒に行ってほしいところがあるんだけど……」
「え……は!?」
二人きりになって、フィオナは早速ルイスに用件を伝えた。するとルイスは過剰に反応した。友達といえども女性と二人で出掛けるなんて、この年頃の男子からしたら意識せずにはいられなかった。
「別に……ヒマだけど」
「本当? じゃあ一緒に出掛けよう」
「あ、ああ」
精一杯平静を装うルイスと、男女の意識など全くしていないフィオナ。二人の様子を傍観していたコーディはルイスに少し同情した。
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