聖霊の祝福をあなたに

itoma

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第2話:フィオナの過去

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 フィオナは物心がつく前から霊の存在が視えていた。それが他の人には視えない異質なものだと初めて知ったのは、彼女が2歳になる頃だった。

「ママ!」
「ふふ、なあに?」

 簡単な単語を話せるようになったフィオナは、いつも近くにいる女性に「ママ」と呼びかけると、彼女がとても喜んでくれることに気づいた。
 2歳のフィオナが顔を覚えて認識していた人物は3人。母親である「ママ」、乳母の「アンナ」、そして……いつも母親の傍にいる黒髪の男性。
 読み聞かせられる絵本には決まって「ママ」と「パパ」が登場する。母親のことをいつも優しく見つめるその男性が「パパ」なんだと、フィオナは幼い頭で考えた。

「パパ!」

 ある日フィオナは黒髪の男性に満面の笑みで呼びかけた。そうやって呼ぶことで、母親のように喜んでもらえると期待したのだ。
 しかし、彼の表情から伝わってきた感情は喜びではなく、驚きと困惑だった。

「この子ったら何で急にパパだなんて……」
「フィオナ様のお父様は今お仕事で遠いところに行ってるんですよ」

 この男性は父親ではなかった。それどころか、彼の姿は母親にも乳母にも見えていないようだった。



 それからいくら話しかけても彼から返事が返ってくることはなく、ただただ苦笑されるだけだった。
 母親や乳母だけでなく、家にいる誰もが彼のことを知らなかった。いや、見えなかったのだ。
 やがて"存在しないもの"のことを頻繁に口にするフィオナは、使用人達から気味悪がられるようになっていった。

「きっとアンリ様ばかり可愛がられるから、構ってほしいのよ」
 
 弟が産まれてフィオナが4歳になる頃には、大人の関心を引くために嘘をつくんだと言わるようになってしまった。
 人ならざるものの存在を認めるよりも、フィオナを"異常者"にする方がずっと簡単だったのだ。


 
 そしてフィオナが10歳の時。唯一の味方であり最愛の母親が病に臥せてしまった。
 フィオナは食事や風呂の時間以外はずっと母の傍にいたが、何もできない自分に胸が締め付けられる思いだった。
 それは母をずっと見守ってきた彼も同じなんだろう。いつも穏やかに微笑んでいた表情がこの時ばかりは苦痛に歪んでいた。

「フィオナ……あなたの隣には誰がいるの……?」

 光を失い始めた母の目には、フィオナの隣にぼんやりと人影が映っていた。
 
「黒髪の男の人だよ」
「瞳は……海のように青いかしら……」
「海は見たことないけど、青くて綺麗だよ」
「そう……」

 黒髪に青い瞳という特徴を聞いて、母は穏やかに目を細めた。まるでフィオナの隣に立つ霊が何者か、知っているかのような素振りだった。

「ラウル……ずっと傍にいてくれたのね……ありがとう」

 青白い顔でにっこりと笑った母親の目尻から、涙がこぼれ落ちた。
 霊は涙を流せない。それでもラウルと呼ばれた彼が泣いてるように見えたのは、フィオナの視界が潤んでいたからなのかもしれない。

「私はもういいから……フィオナを……護って……」
「お母様……!」

 一筋の涙の跡を残したまま、フィオナの母親はこの世を去った。その表情はとても穏やかだった。
 しかし泣きじゃくっていたフィオナにはその表情を見つめる余裕も、最期の言葉に込めた想いを汲み取る力もなかった。
 
「ねえ……あなたお母様のことが好きなんでしょ……」

 フィオナは隣に立つ霊に話しかけた。彼に声をかけたのは5年ぶりだったが、相変わらず返事はなかった。

「お母様のこと護ってくれてたんでしょ……!?」

 彼はずっと母の傍にいた。母を見つめる瞳はとても優しく、そこから「愛」が滲み出ていることに、フィオナは幼いながらに気付いていた。

「お母様を生き返らせてよ……!」

 人間ではない彼なら特別な力を持っていて何とかしてくれるかもしれない。そう思って縋ったが、残念ながら彼にそんな力はなく、静かに首を横に振った。
 
『フィオナ』
「!」

 霊はフィオナを抱きしめ、名前を呼んだ。感触はない。でも何故か温かかった。
 彼を含め今までに声を聞いた霊はいなかったため、霊とは喋れないものだと思っていたがどうやらそうではないらしい。

『きみの人生が幸せであるように……"祝福"を与えよう』
「!?」

 瞬間、眩い光がフィオナを包み込んだ。それはとても温かく、身体の中に染み込んでいくように感じられた。
 光が収まった時、フィオナは気を失い、ラウルと呼ばれた霊はサラサラと砂のように消えていった。



 それ以来、フィオナは霊の姿が視えるだけでなく、その声まで聞けるようになった。
 おそらく原因はラウルと呼ばれた霊の力だろう。彼は「祝福を与える」と言っていたが、フィオナにとってこの新たな能力は"呪い"のように感じられた。
 その影響で人間と霊の区別がますますつきにくくなり、母という唯一の味方を亡くしたフィオナは、屋敷内で孤立を深めていったのだ。
 そして母の死以降、ラウルの姿を視ることはなかった。

「伯母様はラウルって人知ってる?」
「あら……エディットから聞いてたの?」
「名前だけ……」
 
 12歳になったフィオナは、母の姉を訪れた際に「ラウル」という人物について聞いてみた。

「ラウルはエディットの恋人だったのよ」
 
 伯母は懐かしさと共に後悔の色を浮かべながら教えてくれた。
 
 ラウル・シャミナードは、ロイフォード王国からルゼオン帝国の騎士学校に留学していた騎士だった。留学中にフィオナの母、エディットと出会い、二人は恋に落ちて真剣に交際を始める。
 しかしその1年後、ロイフォード王国で内戦が勃発し、ラウルは予定よりも早く帰国して出兵することになってしまった。
 「必ず迎えに行く」と約束したものの、2年の月日が経っても彼が戻ってくることはなく、エディットはロートレック伯爵と政略結婚をすることになったのだった。

 この話を伯母から聞いた後、フィオナはロイフォード王国のイメンスアカデミーへの留学を決めた。
 主な理由は将来一人でも生きていける職に就くためだが、ラウルについて知りたいという思いも大きかったからだ。


 
 その後、4年間の猛勉強を経て、難関と言われるイメンスアカデミーの入試に合格したフィオナは、ラウルの故郷であるロイフォード王国に足を踏み入れたのだった。


***


「直すのに1時間くらいかかるそうです」

 ハドリーは申し訳なさそうに状況を説明した。
 国境を超え首都に入ってすぐ、馬車の車輪が故障してしまったのだ。幸いにも近くに工場があり、修繕は可能だが少し時間がかかるらしい。

「ハドリーさん、観光してきていいですか?」
「いいですよ。5番街からは出ないでくださいね」
「やった! フィオナ行こう」
「うん」

 この時間を有効活用しようとレナルドが提案した。旅行好きのレナルドにとっては絶好のチャンスに思えたようだ。ハドリーが許可すると、彼は浮き足立ってフィオナを先導した。

「ロイフォードは花を使ったスイーツが有名らしいよ」
「そうなんだ」
「見て、バラのアイスクリームだって! 食べようよ!」
「私は……」
「フィオナはそこに座って待ってて」

 自分の分はいらないとフィオナが伝える前に、レナルドは店に走って行ってしまった。
 フィオナは仕方なく言われた通りにベンチに座る。少し冷たくなってきた風に乗って、確かにバラの香りが漂ってきた。
 
 ロイフォード王国の首都、ネオローザ。3階以上の大きな建物が立ち並び、1階にはカフェや宝石店など様々な商店が並んでいる。真ん中の道路は馬車4台がすれ違える程広く、石畳で舗装されていた。
 派手な景観ではないが、素朴な造りの中にも精錬された技術を感じさせる、落ち着いた街並みだった。

(赤い髪……あっちの人は青……)
 
 行き交う人々をぼんやり見ていると、髪色の多様性に気がついた。帝国人はほとんどが茶髪や金髪であるため、赤や青の髪はフィオナの目に新鮮に映ったのだ。
 フィオナは深呼吸してバラの香りを楽しんだ。初めて訪れたにも関わらず、フィオナはとてもリラックスしているように見える。

「……!」

 ふと、目の前の小道から出てきた黒髪の青年に、フィオナは目を奪われた。
 青年は大通りに出る前に周囲を見渡し、そして正面のベンチに座るフィオナを見つけて凝視した。重ための前髪から覗くその瞳は綺麗な青色だった。
 黒い髪に青い瞳……その特徴は母の傍にいた霊、ラウルと酷似していた。更にフィオナを見て驚き、困惑する表情が「パパ」と呼んで戸惑った時の彼と重なる。

「ッ……」
「!?」

 つう、とフィオナの右頬に涙が伝う。その様子に青年はぎょっとした。自分と目が合って泣き出した見知らぬ女性に対してどうすればいいのかわからなかったのか、青年は今来た小道を引き返して行ってしまった。

「あ……待っ……!」
「フィオナ!」
 
 青年を追いかけようと立ち上がったフィオナの腕を、レナルドが掴んで引き止めた。

「何か視えたの?」
「……わからない」

 レナルドに青年の姿は確認できていない。それが来る前に行ってしまったからなのか、単に視えなかったからなのか……つまり彼が人間か霊かは、今のところ判別できない。
 
「どっちにしても知らない土地で走り回るのは危険だよ」
「うん……」
「な、泣いたの? 大丈夫?」
「あ……ゴミが入っただけ。大丈夫だよ」

 レナルドに言われて初めて、フィオナは涙が流れていたことに気がついた。
 レナルドはアワアワとハンカチを取り出す。しかしフィオナはそのハンカチがあてられる前に、自分の手の甲で頬を拭った。

「……」
 
 こんな些細なことでも頼ってもらえないことに、レナルドは一瞬寂しそうな表情を見せたが、すぐにいつもの柔和な笑顔を浮かべた。

「アイス、売り切れで一つしか買えなかったんだ。スプーン2つ貰ってきたから半分こしよう」
「……ありがとう」

 フィオナはレナルドからスプーンを貰い、彼の手の中にあるカップから一口分のアイスクリームをすくって食べた。
 口の中に広がったバラの香りは、ネオローザの景観とともにフィオナの記憶に深く刻まれたのだった。


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