聖霊の祝福をあなたに

itoma

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第1話:アカデミーへ

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 ルゼオン帝国の"東の剣"と名高いロートレック伯爵邸の門前に、皇室の馬車が停まっている。
 バラが咲き誇る庭園の中、鞄一つを手に歩くのはフィオナ・ロートレック、16歳。

「姉さん!」
「……」

 そしてその後ろを追いかけてきたのは3つ下の弟、アンリ・ロートレック。二人が血の繋がった姉弟であることは、同じ亜麻色の髪と薄紫色の瞳を見れば一目瞭然だった。
 フィオナは足を止めて振り返り、周囲に人影がないかを確認した。

「見送りなんてしたら侍女長に叱られるよ」
「平気だよ。それより、その……長期休暇には帰ってくるよね?」
「……わからないわ」
「……そっか」

 姉弟の会話にしてはぎこちない雰囲気が漂っている。
 およそ5年もの間、必要最低限の交流しか許されなかった二人は、それぞれ姉への甘え方も、弟の可愛がり方もわからなかったのだ。

「元気でね」
「……姉さんも」
「坊ちゃん! 授業が始まりますよ」

 フィオナは最後にアンリの頭を撫でようとしたが、侍女長の声を聞いて伸ばした手を引っ込めた。

「風邪をひいたらいけませんわ。早く戻りましょう」

 駆けつけた侍女長はアンリの肩に羽織りをかけ、名残惜しそうにするアンリの背中を強めに押して屋敷へと促した。その間フィオナの方には一度も視線を向けていない。まるでフィオナを"存在しない者"のように、徹底的に無視した態度をとっていた。

「まったく……坊ちゃんが呪われたらどうしてくれるのよ」

 そして去り際にボソリと呟いた言葉は、秋風に乗ってフィオナの耳にも届いた。しかし彼女の表情は変わらなかったし、反抗する素振りも見せなかった。
 眉を下げて心苦しそうにするアンリに向けて薄く笑みを作ってから踵を返すと、フィオナは一度も振り返らずに門をくぐった。

「荷物はそれだけですか?」
「はい」

 そんなフィオナを、皇宮から派遣された官吏が出迎える。フィオナは彼がエスコートの手を差し出すよりも先に自力で馬車に乗り込んだ。

「僕はハドリー・ブレイアム。皇宮で外務官として働いています。ロイフォードのアカデミーまでご案内します」
「フィオナ・ロートレックです。よろしくお願いします」
「詳しい説明はベアトリクス卿を迎えてからしますね」
「はい」

 皇宮で働くハドリーは今までに多くの令嬢を見てきた。蝶よ花よと大切に育てられた令嬢達は、皆口元に笑みを貼り付け、高貴な振る舞いを身につけるよう教育されるものだ。
 しかし目の前の伯爵令嬢は、愛想を振り撒く素振りも気品ある姿を見せようとする気配もない。

(ロートレック伯爵の長女は精神病を患ってると聞いたが……ただの噂だったか)

 ハドリーは事前に聞いていた噂を頭の中で打ち消した。おそらく社交界に顔を出さないうちに、好き勝手言われるようになってしまったんだろう。
 
(……綺麗だ)
 
 静かに外の景色を眺める彼女の横顔は凛としながらもどこか儚げで、触れてはいけない神聖な絵画のようだとハドリーは思った。


***


「フィオナ!」
「レナルド、久しぶり」

 すぐ隣に領地を持つベアトリクス侯爵家の次男、レナルドが馬車に乗り込むと、フィオナは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「久しぶり。元気だった?」
「うん」

 レナルドはフィオナの隣に腰を下ろした。ふわふわの銀髪と温かみのあるエメラルドグリーンの瞳からは柔らかい雰囲気が伝わってくる。彼には「育ちの良いお坊ちゃん」という表現がよく似合っていた。
 8歳の時に出会ってから、レナルドはフィオナの唯一の友人だった。

「では、今回の留学について説明しますね」

 ハドリーはフィオナの年相応の笑顔に少し見惚れた後、軽く咳払いをしてから説明を始めた。

「お二人にはルゼオン帝国を代表して、ロイフォード王国のアカデミーに3年間通ってもらいます」

 アカデミーは帝国ではなく北西に隣接するロイフォード王国にあり、フィオナ達は留学生として、1ヶ月遅れで入学する。
 歴史上多くの移民を受け入れてきたロイフォード王国は、早い段階で教育拡充の必要性に気付き、国家政策としてその取り組みを進めてきた。
 当時、宗教の影響を受けない教育機関は初めてだった。教会からの反発はあったものの、今ではロイフォードのイメンスアカデミーは大陸最高峰の名門校に成長を遂げている。

「学費は国から出ますが、卒業後は皇宮で働いてその半額を返済していただきます」

 イメンスアカデミーを卒業するということは、将来を約束されたも同然である。そのため毎年多くの志願者がいるが、その門は狭く、今年度の帝国内の合格者はフィオナとレナルド2名のみだった。

「僕も留学した身です。2年くらいで返済できますよ」

 ハドリーも5年前にアカデミーを卒業して皇宮に入った。彼のように学費を完済しても、そのまま皇宮で働く者がほとんどのようだ。

「何か質問はありますか?」
「食堂のごはんは美味しいですか?」
「はい。特に魚料理がオススメです」
「海があるんですよね。アカデミーから海は見えますか?」
「見えないけど、課外授業で行く機会はありますよ」
「おおー!」

 フィオナとは対照的にレナルドは感情表現が豊かで、今回の留学をとても楽しみにしているようだ。
 キラキラと瞳を輝かせるレナルドに、先輩として得意げに答えるハドリー。二人のやりとりを傍観しながら、フィオナは見たことのない海の色を想像していた。


***
 

「今日はここに泊まります」

 ロイフォード王国までは2日程かかるため、今夜は国境を隣接するセルベーニュ公国で一泊するらしい。
 フィオナとレナルドの眼前に広がる宿泊施設は豪華なホテルとは言えないが、皇宮が手配しただけあって格式のある佇まいを見せていた。

「もう部屋は使っていいそうです。僕はここで飲んでるので、食事を取りたい時は声をかけてください」
「「はい」」

 中に入ると1階は賑やかな酒場になっていた。既に多くの客が集まり、酒を片手に楽しそうに談笑している。
 先に手続きを済ませたハドリーから鍵を一つずつ貰い、二人は階段を上がっていった。

「僕は6号室だから……一番奥だ」
「……」

 絵画や花で装飾された廊下を進み、フィオナは5号室の前で立ち止まった。その瞳は6号室のドアをじっと見つめ、右手は前を歩くレナルドの裾を掴んだ。 

「レナルド、部屋を交換してもらえないかな」
「え? 奥の部屋がいいの?」
「うん」

 フィオナの唐突な要求にレナルドは違和感を覚えたのか、首を傾げた。
 フィオナのことをよく知らない者が聞けば、ただの貴族令嬢のワガママだと呆れたかもしれない。しかし友人であるレナルドは、こういう時のフィオナの言動には何かしらの理由があることを知っていた。

「まあまあ、部屋なんて同じだって。ちょっと入ってみようよ」
「あ……」

 フィオナの意図を察したレナルドは、手前の5号室に一緒に入るよう促した。そして扉を閉めてから真剣なトーンで尋ねる。

「……視えるの?」
「うん……6号室の扉の前に」

 フィオナは小さな頃から人ならざるもの……霊を視ることができた。部屋を交換しようと言ったのは、6号室の扉の前に霊の姿を確認したからだった。
 そしてレナルドはフィオナの特異能力に理解があった。というのも、彼自身も微弱ながら似たような能力を持っていたからである。

「僕に視えないってことはヤバいヤツではないのかな」
「多分……見た目はちょっと怖かったけど」
「どんな?」
「スキンヘッドで頬に大きな傷があって、ムキムキだった」
「なんか霊っぽくないな……」
「膝を抱えて座ってた」
「よくリアクションせずにいられたね!?」

 しかしフィオナのように姿形がはっきり視えるわけではないらしい。ぼんやりとモヤのようにしか視えないし、力の弱い霊は感知できない。

「そういうことなら、部屋は変わらなくていいよ」
「でも……」
「僕だって少しは耐性あるし……"知らんぷり"が一番良い対処法なんだろ?」

 レナルドとフィオナが出会ったのは8年前。黒いモヤが悪霊であることを知らずに関わってしまったレナルドを、フィオナが助けたことがきっかけだった。
 レナルドはその時に、霊とは関わりを持たず、無視するのが最善だということをフィオナから教わったのだ。

「……下に移動した」

 5号室から出ると、6号室の前にいた霊が階段を降りていったのが視えたらしい。レナルドには関わるなと言ったくせに、フィオナはその後を追いかけて様子を窺った。
 
「……」
「フィオナ?」

 階段から1階の酒場を見下ろしていたフィオナが、ふいに優しく微笑んだ。

「大丈夫……彼、あのウェイトレスさんを護ってるみたい」
「……そっか」

 スキンヘッドの霊は酒場で働く女性を見守るだけで、誰かに危害を加える様子はないらしい。
 彼女にちょっかいを出す男に向けてガンを飛ばす姿も、彼女の笑顔を愛おしそうに見つめる優しい瞳も、フィオナにしか視えていない。
 表情まではっきりと視えるからこそ、フィオナは霊との関わりを断つことができないのかもしれない。愛する者を護るために存在する霊がいることを、フィオナはずっと前から知っていたのだ。

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